42.拒否したわけじゃないんだが
時間を半日ほど巻き戻し、ウルリヒと別れて寝室に引き上げたところから。
シーツを丁寧に整えながら、乳母ゲルダは心配そうに声をかけた。
「姫様、本当に寝室を一つになさるのですか? まだ未婚女性ですのに」
ムンパールの習慣では、結婚式当日に初夜を迎える。それまで未婚女性は純潔を貫くのが決まりだった。貴族の間での話であり、平民なら適用されない。また少しずつ考え方も緩和されてきて、貴族でもそこまで純潔性を求めなくなっていた。
だが乳母ゲルダにしたら、たとえ閨事をしないとしても、未婚の男女が同じベッドを使うことに抵抗がある。こればかりは世代ごとの慣習や常識の違いで仕方なかった。アンネリースが王女殿下だったことも手伝い、不安そうに見つめる。
ここでルードルフは良かれと思い、最大の失態を犯した。
「乳母殿、心配はわかる。出来るなら、何もなかったと証明するために、同室で休んでもらえまいか」
乳母の付き添いを要望したのだ。これにアンネリースが激怒した。一般的に考えて、成人する女性へ幼子のように付き添いを用意しようだなんて。それも夫として認めた人からの言葉だ。
寝室を別にしようと拒否されたも同然だった。かっとして言葉が出てこない。それでも声を張り上げて睨んだ。
「っ! なんでそんなことを!!」
頭に来すぎて、手を伸ばして掴んだクッションを全力で投げた。武人であるルードルフが簡単に避けたことが、さらに怒りの炎に油を注ぐ。
「避けないで!」
「いや……しかし」
反論すら受け付けないとばかりに、手当たり次第にクッションと枕を投げる。避けるなと言われたルードルフは、受け止めて足元に積み上げた。こんもりと重なった山を恨めしげに睨み、アンネリースはさらに投げるものを探す。
ベッドメイクされたばかりのシーツに手を伸ばし、大きく深呼吸して離した。乳母の仕事を無駄にする行為だし、さすがにみっともない。理性がゆっくり戻ってしまった。我を忘れたままなら、もっと責められたのに。
「なぜ嫌なの?」
「嫌ではない。ただ、その……陛下の……」
言いかけて、名の呼び方が違うと叱られる。
「ああ、その、アリス様の評判に関わる、だろう? 俺のような無骨で気の利かない男、真珠姫に相応しくない」
「私が選んだの。勘違いしないでちょうだい。私の夫よ、誰であろうと……あなた自身でも否定はさせないわ」
勢いで告白したことに、彼女は気づいていない。真っ赤になったルードルフの手を引いて、ベッドに移動した。アンネリースはそのまま、大人しくなったルードルフを押し倒す。腕を抱き枕にして、隣に横になった。
「ゲルダ、枕とクッションをちょうだい。それから上掛けもよ」
乳母は「やれやれ」と苦笑いし、お転婆だったアンネリースの昔を思い出す。遊びに行く約束に浮かれすぎ、夜に眠れなくて大騒ぎしたこと。木に登って降りられず、ゲルダに助けを求めたこと。噴水の縁を歩いて足を滑らせ、落ちたこともあった。
あの頃から何一つ、失われていない。損なわれなかった姫に、ゲルダは羊毛を編んだ毛布を掛けた。
「おやすみなさいませ、姫様。将軍閣下」
挨拶を済ませ、部屋に敷かれた分厚い絨毯で毛布を巻いて横になる。明日の朝、いろいろと大変だろうと想像しながらも、彼女は今の生活に慣れ始めていた。
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