18.偶然か、神々の采配か

 皇帝ウルリヒが、国の解散を命じた話は一瞬で広まった。無理に噂を流す必要もない。お喋りな宮廷雀の中には、他国から差し向けられた間者が紛れていた。彼や彼女らは、己の職務を果たしたに過ぎない。


 ジャスパー帝国は急激に成長した国だ。ウルリヒの叔父に当たる先代皇帝は、憑かれたように戦争に没頭した。敵対する国はもちろん、その通り道にある国も片っ端から平らげる。ムンパール国が魔の手から逃れたのは、本当に偶然だった。


 先代皇帝が海へ開けたムンパールの領土を欲した時期、背後の山岳民族が騒ぎを起こした。その影響で、攻め込むタイミングを逃したのだ。今度こそと向き合おうにも、他国との戦争が始まってしまう。小国が生き残れたのは、そんな事情もあった。


 もちろん、他国に災難があれば助けの手を延べるムンパールは、周辺国から信頼され頼られている。もしジャスパー帝国が動けば、彼らも味方をしてくれただろう。だが、国の存亡を懸けて戦うほどの助力は期待できない。


 最終的に公爵家の欲で滅ぼされたが、運が良かったのだろう。先代皇帝が攻めていたら、ムンパールの国土の大半は焼け野原にされた。炎上は王宮だけに留まらず、民の生命や財産は根こそぎ奪われたはずだ。


 ウルリヒは叔父を倒して、帝位を簒奪した。一代で三倍の領土に広げた叔父も、老いに勝てない。大人しく伏せていた虎は、油断した獅子を噛み殺した。いくつかの国を復興し、属国として管理する。叔父が壊した世界をある程度整理したから、帝位を放棄したのだ。


 勢力バランスが崩れるのを承知の上で、これ以上世界を壊さぬように。夢枕に立つ、信仰する黒き男神の願いに従った。神々が何を望むか、ただの人に過ぎないウルリヒは知らない。しかし、これが正しいと信じた。


「我らを正しき未来へ導きたまえ」


 夕日へ祈りを捧げ、ウルリヒは身を起こした。中庭で膝をついた彼を見詰める視線は、鋭さを増す。憎しみ、悲しみ、悔しさ……様々な感情が渦巻く視線を、彼女は隠さなかった。


「いかがした、姫」


「……二度と姫と呼ばないでください」


 あなたが国を滅ぼした。祖国を奪われた私は「姫」ではない。民を置いて、敵将に下賜された女だ。突きつけるように噛み締めた言葉は、吐き出す直前で呑み込む。


 どんなに罵倒したくとも、アンネリースは気づいていた。ルードルフだけでは、国を興せない。一部族の長である彼は、あくまでも武力であり剣だった。まっすぐ戦いを挑む敵に勝てても、敵の策略は避けられない。


 盾のように守り、国の基礎である足元を固めるのは……この男のように狡猾な存在だ。腹立たしくとも、今は排除する時期ではなかった。


 彼女の判断を、ウルリヒは満足げに受け止める。ここで感情をぶち撒ける姫なら、女王にはなれない。彼女が本当に民を思い、国を取り戻したいと願うのならば、今後は表情も感情も制御する必要があった。


 若く美しい女王が誕生すれば、あっという間に虫が集まる。それを駆除する方法は一つではなかった。己が見込んだ未来の王に、ウルリヒはゆっくりと腰を曲げた。最敬礼となる九十度の挨拶を済ませ、彼女が立ち去るのを待つ。


「女王陛下の仰せのままに」


 無言で去った彼女の足音が消えて、ようやく頭をあげた。


「まいったな、俺はどうやら頭を下げられるより、下げる方が得意だったらしい」

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