15.夫婦より主君の誓いが先だ

 自室に戻れば、用意された桶に吐く友人の姿があった。ベッド脇の小テーブルに水差しがある。目が覚めて水をもらい、嘔吐して叱られ……桶を渡されたのだろう。床に拭いた跡があった。


「あのゼノはキツイ性格……うぅっ、だな」


 文句を言いながらも、滝のように嘔吐する。器用だと感心しながら、ルードルフは床に座った。部屋に椅子はあるが、普段は分厚い絨毯に座る。三世代は使用する絨毯は羊毛で編まれ、鮮やかな模様が自慢だった。各家庭で色や模様が異なる。


「神託があった」


 無言で吐き続けるウルリヒだが、視線で先を促す。ルードルフは静かに予言のような神託を口にした。シュリヤが届けた通りに、一言一句違えずに記憶している。


「げほっ、つまり……あれか。真珠姫はお前の主君でもあるわけだ」


「そうなるのだろうな」


 美しい姫と彼女の忠犬、神託に従うならこの形がしっくりくる。本人も違和感を覚えなかった。ウルリヒは苦笑いし「孫の顔はお預けか」とぼやいた。


「お前は俺の親ではないだろう」


 呆れたとルードルフは肩を竦める。家族として距離を詰め、親しくしてきた。だから言いたいことは伝わるが、叶わないと諦めてもらうしかない。姫を襲って孕ませる気はないのだから。


「神託を告げるのか?」


「ああ、主従の誓いも立てなければならん」


 生真面目なルードルフは、外見からよく誤解される。野獣の如き振る舞いをし、常識がなく強引なのだろう、と。謀略に弱いが、人情に厚く優しい男だった。不器用で生真面目、ズルをしない。人を信用すれば、その者が裏切っても許容する器の大きさもあった。


「ならば、俺が同行して説明しよう」


 ウルリヒの申し出を、ルードルフは断らなかった。彼を信頼している以上に、自分の口下手を自覚している。誤解なく伝えるには、彼の同席が欠かせないのだ。


「頼む」


「せっかくだ。お前の恋心も告げ……たりしないから、その短剣をはずせ」


 一瞬で距離を詰められ、桶に首を落とされるところだ。ウルリヒはすぐに降参を表明した。巨大帝国の元皇帝の誇りなどない。押し付けられた椅子を放棄して、清清していた。だが、己の吐瀉物に顔を沈めて死ぬのは、さすがに遠慮したい。


「余計な発言はするなよ」


「誘拐犯みたいな口調だが、お前が誤解される要因の一つだ。少し柔らかく表現しろ」


「わかった、神託以外で口を開くな」


 あまり変わっていない。だが指摘してもこれ以上の改善は望めないだろう。笑おうとして、込み上げた吐き気に桶を覗いた。なんとも情けない気分になる。しばらく禁酒しよう。そう心に決めたが、もしこの決意を口にしていたら友人に一蹴されたはずだ。飲むたびに同じことを言うぞ、と。


 ウルリヒの吐き気が治まるまで、結局丸一日を無駄に潰した。神託を説明する友人が、姫の前で嘔吐するわけにいかない。その程度の気遣いは、蛮族と呼ばれた男にも残っていた。

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