仕事が終われば、あの祝福で

氷上慧一/ファミ通文庫

第一章 狭間の地がもたらした出会い

第1話


 城塞の、狭い通路を通り抜けると、左右を切り立った断崖で挟まれた広場に出た。

 遮蔽物もなく、行く手の門に辿り着くまでには微妙な距離がある嫌なスペースが広がる。


 なにかが待ち構えている。

 それは戦士としての直感だった。


 意を決し一歩を踏み出すと、道の奥には巨大な城が姿を見せる。

 最初に目に入るのは重厚な城壁や、林立する尖塔。


 そのあちこちに精緻な細工が施され、かつてどれほどの栄華を誇っていたかを訪れた者にまざまざと見せつける。


 だが、くすんだ象牙色の壁はあちらこちらが欠け、抉られ、朽ちようとしていた。


 滅びゆこうとしている、城の残骸。

 それが第一印象だ。

 そんな塔の一つの頂に異形の鬼が一人現れ、傲然とこちらを見下ろす。


「褪せ人よ、愚かな野心の火に焼かれ、お前もまた、エルデンリングを求めるのか?」


 返答は求めていない。


 鬼は、ただ一方的に述べることを述べると、塔の頂上から身を躍らせた。

 地面との距離は一〇メートル以上。

 しかし鬼は、地響きと土煙を巻き起こしながらも平然と着地し、身を起こす。


「ならば、その火ごと消してくれよう。忌み鬼のマルギットが!」


 両者の間にあるのは対話ではなく、ただ命のやり取りだけだった。


 鬼が魔術で編んだ光のナイフを投擲する。

 一つ、二つ。


 見てから避けていてはとても間に合わない速度で飛来するそれを、体で覚えたタイミングで回避する。


 続く展開はいくつかに分岐する。

 距離を詰めてくるか、それとも更にナイフを投げつけてくるか。


 だが鬼は、こちらが考える余裕を与えることすらなく、無防備に距離を詰めてくる。こちらの攻撃など意に介さないという、強者にのみ許された態度だ。


 ならば、とまだ距離がある間に輝石のつぶてを撃ち出す。

 連続して鬼に襲いかかる蒼光。


 それらは予め想定していたかのようにすべてかわされてしまう。

 中途半端な距離で、遠距離攻撃を単純に撃ち込んでも強敵には当たらない。


 しかし今回の戦いはひと味違う。


 レベルは低くとも、前世で蓄えた膨大な情報が味方してくれるのだ。

 その証拠に、金色の人影が一歩遅れて参戦する。


 敵と交戦状態に入ったことでようやく動き出してくれたのだろう。細身の片手剣を携えた魔術剣士が鬼の存在に怯むことなく斬りかかる。


 少し離れた場所からも、鬼が魔術剣士に向き直ったことが見て取れた。

 その隙に、ショートカットに設定してあるアイテムを使用する。ちりん、と澄んだ鈴の音と共に、三匹の狼が出現した。


 ここから一気に畳みかける、と前を見たところで状況が一変する。


 目の前の鬼が、自らに斬りかかってくる魔術剣士を無視してこちらに向き直ったのだ。何がきっかけなのかはわからない。


 しかし何かの行動が鬼の敵視を買ってしまったらしい。


 画面越しだというのに、こちらに向き直った動きと共に殺気すら感じる気がした。

 まずい、と思った瞬間、鬼は跳躍する。


 恐ろしいまでの跳躍力と共に、彼我の距離は一瞬で消滅し、手にした杖で殴りかかってきた。


 杖だが、並の剣よりも恐ろしい攻撃力を誇る凶器だ。

 反射的に地面を転がる。

 タイミングが悪ければ逃げた先ごとなぎ払われる恐ろしい攻撃。出現したばかりの狼達を吹き飛ばされたものの、辛うじてこちらは無傷で切り抜ける。


 だが鬼は諦めない。


 しつこくしつこく、何度も杖を振る。


 転がって逃げるよりも杖が届く範囲の方が広く、簡単には逃げ切れない。

 おまけに、インパクトの瞬間と無敵時間が噛み合わなければ回避に徹していても簡単に狩られてしまう。


 その一撃は、一度でこちらのHPの大半を削り取る強烈なもので、まだわずかな回数しかない回復手段も、回復している隙にさらに攻撃を浴びて終わる瞬殺コースが待っている。


 ここは絶対に喰らえない。

 ボタン連打ではなく、微妙にタイミングをずらしてちゃんと見切って回避しなければならないのだ。


 必死にリズムを合わせながら転がり続けていると、次の瞬間いきなり足場が消失

し、航のキャラは崖下に真っ逆さまに落下していった。


『うわあぁぁぁ~~~っ!』


 断末魔の悲鳴と共に、画面に表示される「YOU DIED」の赤文字。

 緊張の糸が切れ、航は画面の外で大きく息をつく。


「あぁ~~~っ! やっぱり押し込まれると魔術職は弱いなぁ」


 画面の中に没入していた意識が引き戻されると、そこは見慣れたマンションの一室。


 ゲーム内で踏み込もうとしていたストームヴィル城とは比べものにならないが、相田航が一人で暮らしている、自分だけの城である。


 ミニマリストというわけではない。

 ただ、あまり物のない部屋なのは確かだった。


 そんな中でテレビと外付けのスピーカーセット、長時間座っていても疲れない座椅子やクッションなど、ゲームプレイに関わるグッズだけは充実していた。


 ゲームが唯一の趣味である自分を忠実に表現しているなと、妙に感心する。

 特に、今プレイしている「ELDEN RING」はここ数年なかったほど熱中していて、それこそ仕事と生活に必要な最低限の時間以外、ほとんどをこのゲームに費やしていた。


 幸いにしてPS5が手に入ったのでPS5版をプレイしているのだが、そのスペックを活かし美麗なグラフィックで作り込まれたフィールドを歩き回るだけで溜息が漏れそうになる。


 特に、フィールドの大半から見える黄金樹の姿は、どこが一番きれいに見えるかを探して放浪したくなるほど美しかった。


 実は、さっきまで戦っていた鬼――マルギットはごく初期のボスである。


 熱中しているというわりに攻略が進んでいないと思われるかもしれないが、実はこのキャラは二人目だったりする。


 一度クリアをし、鍛えたままのキャラで最初からプレイする二周目もあるのだが、本当の意味で一からプレイしたくなった航は即座にサブキャラを作ったのだ。

 メインキャラが近接型だったので、サブキャラは知力特化にしてあった。正直に言って、序盤、魔術メインにするのはかなり難しい気がする。


 常にFPを消費して戦わなければならないため、FP量が少ない低レベルで、なおかつ序盤は回復の聖杯瓶の数も少ないのですぐにガス欠になってしまう。


 近接型は、死角から致命の一撃を狙ったり、相手の攻撃を空振りさせた後の隙に斬り込んだりするなど、戦技以外にも工夫できるのに対し、知力特化の遠距離型はそもそも魔術の種類が増えなければ戦略の幅が広がらない。


 一度クリアした航であっても何度か手詰まりになってしまうことがあったが、苦労してもまるで苦にならなかった。


 ガス欠になると感じれば、近接キャラではあまり使ったことがないアイテムなどで補いなんとか切り抜ける。

 まるで新しい別のゲームをプレイするかのような、全く別の達成感がある。間違いなく、メインキャラでは味わったことがないエルデンリングの新たな一面だ。


 一方で、美麗な景色を堪能したくなったときにはメインキャラのデータを引っ張り出して意味もなく狭間の地をうろついたりもする。

 それほどに、エルデンリングというゲームにどっぷりとはまりきっていた。


「はぁ、癒やされる……。リアルで起こった嫌なあれこれが溶けていくみたいだ……」


 たった今マルギットに瞬殺されたばかりだが、リアルのしがらみに比べれば、一度や二度のゲームオーバーはむしろご褒美だった。


 航が勤めているのは関東の小都市―H市にある樹リースという事務用品を中心に扱うリース会社である。

 所属は営業。


 実のところ、航にとってはこれが悩みの種だった。


「……正直、営業なんて向いてないんだよな」


 プレイを再開し、再びマルギットとの戦いに赴きながらそうこぼす。


 別にやりたくて選んだ仕事ではない。就職活動中、樹リースぐらいしか入社できそうな会社がなかったのだ。


 もちろん、やりがいを感じて働いている社員はいるだろうから、そんな人には申し訳ないのだが、向いていないものは仕方がない。


 世の中、無理をしたってだいたいろくなことにはならない。


 そもそもの問題が、航は対人スキルに自信がなく、営業のくせに人と喋るのが苦手だった。同じ会社には、口八丁手八丁で人を簡単にその気にさせる人間もいる。心にもないことを調子よく嘯いて、客をその気にさせるのだ。


 研修で横について見学していたが、航にとってはまるで異次元の出来事だった。

 当然、成績は下から数えた方が早い低空飛行を続けており、今日も同僚から嫌味を聞かされたばかりだ。


 自分でも少々情けないが、仕事は、好きなゲームを思い切り遊ぶ生活を続けるためだと割り切って日々を過ごしていた。


 会社に行って、クビにならない最低限の仕事をこなし、家に帰るとあとは思う存分ゲームに浸る。


 それが相田航の生活だった。

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