ささくれに餞

@yanenite_yoru

ささくれにはなむけ

 ぱち、と切られたささくれが木箱の中に落ちていく。ついさっきまで私の体の一部だったものが、綺麗な木箱に収められていく。


 ささくれの根元は赤くなってしまっているが、痛みは感じない。


 全てのささくれを切り終えて蓋を閉じ、木箱を物でいっぱいになっている棚にしまう。


 ささくれを切っているうちに爪が伸びているのも気になってしまう。

 片付けた木箱の隣の箱を取り出す。しゃらしゃらと爪の欠片たちが揺れる。古いものも新しいものも混ざり合って時間が薄れていく。この箱に入れられたものは今までもこれからも私の所有物であり続ける。


 いつしか切ったささくれや爪を捨てられないようになっていた。私のものだった爪がゴミ箱に捨てられ、燃やされ、この世から無くなってしまうことに耐えられなくなっていた。


 二つの箱の位置を元通りに整えていると、スマホが震える。

「子猫の里親を探してるんだけど、どうかな?」

 メッセージに目がまん丸の茶猫の写真が添付されている。額には茶色の三本線が入っている。不思議そうにじっとカメラを見つめているこの猫が、横になって動かなくなっている様子が脳裏をよぎる。


 この猫を飼うとしても、お母さんと同じようにお別れしなければならないときが必ず来る。当時飼っていた猫も、親戚に譲って以来会いに行けないままとなってしまった。あの木箱に入れても、同じ状態のまま取っておける訳ではない。よく分かっている。


 二十数年前、狭い手術待機室に家族で詰め込まれ、そこがどこかも理解していなかった。何も知らないままただ退屈な時間をやり過ごしていた。


 両手を組んで俯き加減に座り込む父や、眉間に皺を刻んで黙り込む祖父のことは覚えていても、それに対して何を感じ取ったのかは記憶がない。ただ、お母さんにはもう会えないと悟ったのはそれからずっと後のことだった。


 「ちょっと難しいかな」と返事を送るも、家を開ける三日間だけ、などと堀り下がられてしまう。もうすでに何人にも断られているのだろう。文面から今までで一番の勢いを感じる。


 もともと下がり調子の眉を更に傾けて懇願する友人の姿が浮かぶ。三日でいなくなると分かっていれば落ち込むこともないかもしれない。


 「じゃあよろしくね」と去っていく友人を見送り、ついに猫とふたりきりになる。猫を運ぶためのキャリーケースを覗くとつぶらな瞳と目が合う。猫は人懐っこくにゃあと鳴いた。


 友人が置いていった餌などを家に運び、猫を飼う際の注意点を詳しく調べる。メッセージで友人から告げられた留意点も熟読し、猫に餌を与え、撫で、おもちゃで遊ぶ。


 背中をゆっくり撫でると猫の耳が外へ向き、目を半分に細める。初日には恐る恐る触れていたが、この三日で少しだけ慣れてしまったように思える。

 猫がこの家からいなくなるまであと数時間だ。


 猫の鳴き声と衝撃音が聞こえた。急いで駆け寄ると、落ちた拍子に蓋が外れたのだろう木箱と散らばったささくれに猫が顔を近づけていた。


 抱き上げると、猫は大人しくなった。ケージの中にそっと入れ、ゴミ袋をがっと掴む。木箱を逆さまにしてふり、床に落ちたささくれも全て捨てる。引っかかって血を流すことがあっても、いつか私の体であったささくれが粗雑にゴミ袋の中に放り込まれていく。


 爪の木箱も取り出し、一欠片も残さずゴミ袋に捨ててしまう。私のものが、時間が失われていく。


 へたりこんで猫を抱き寄せる。柔らかな毛もあたたかさも確かに感じる。視界が滲み、涙が溢れてしまう。服に染み込んでしまう涙は取り返せないのに、なくなってしまうのに、私は我慢する気にもならないでひたすらに泣き続けた。


 しばらくして訪れた友人は私の目が赤くなっていることを心配したが、何やら満足気にしている。全てを捨ててしまったが、私はなぜだか爽やかな気持ちになっていた。


「やっぱりこの猫、引き取っちゃだめかな」

 彼女は驚く様子もなく二つ返事で承諾した。


 全てを持っておくことはできない。一つ決めたものだけでも大切できればそれでいいと猫の頭をやさしく撫でた。

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