第15話  王子のお料理

 王家の暗部であるアーロンが侯爵を呼びに向かっている頃、アルノルト王子は肉の塊を手に取り、今日の晩餐の準備を始めていた。


 牛の舌は大きくて長い。舌をそのまま切った状態だとグロテスクにも見える紫の薄い膜に覆われているのだが、この膜をナイフで剥ぎ取った後に調理をする必要があるわけだ。


 かの鳳陽ではこの牛の舌を料理に使うのだが、一番簡単なのは、やはり蒸し料理になるだろう。アルノルトは牛タンの舌の先から三分の二をきりとって蒸し器に入れると、舌の根本の部分はトマトと一緒に煮込むことにした。


 牛タンの舌先の部分は薄切りにして焼いても良いし、蒸しても良い。コリコリとした食感を楽しむことも出来るのでアルノルトも好んで食べているのだが、舌の根本の部分は脂分が多いため、煮込み料理にすることが多いのだ。


 新大陸から持ちこんだトマトは育てるのが簡単であるし、真っ赤な実をたくさん付けるため収穫も簡単なのだ。しかも美容にも良いということが知識人による研究によって判明しているため、クラルヴァインの貴族の間では好んで食べられるようになっている。


 仕事に忙殺されているアルノルトは、気分転換に料理をすることが多いのだが、カサンドラが妊娠してからというもの、どんなに忙しくても晩餐はアルノルトが用意するようになっている。


 母親が口から食べたものでお腹の中にいる胎児が成長していくのだと聞いたアルノルトは、可能な限り、妻と子のために栄養たっぷりのバランスの取れた食事を用意したいと考えている。


 理想は高いものの、アルノルトの日々の業務があまりにも多いため、最近では煮込み料理に逃げがちなところがある。この前もハンバーグを大量のトマトで煮込んだし、今日は今日で、牛タンの根本を大量のトマトでコトコト煮込んでいるのだ。


 牛タンの根本は煮込めば煮込むほど蕩けるように柔らかくなる。大概の物は煮込めばそれなりに美味しくなる。ここ最近は煮込みに逃げがちな男、それがアルノルト王太子ということになるのだ。


 先端から三分の二の部分の牛タンを蒸し器で15分ほど蒸したアルノルトは、蒸しあがった牛タンを出来るだけ薄切りにして皿に並べると、その上にスライスした玉ねぎと青ネギを散らした。醤油とレモン酢を混ぜたものをタレとして用意をしたアルノルトは、後は給仕や料理人に任せて晩餐室へと移動する。


 結婚前はカサンドラを囲い込むことに必死だったアルノルトは、自分の執務室で食事が出来るようにテーブルを用意して、カサンドラと食事がとれるように差配したのだが、今は周りからの進言もあって晩餐室を利用するようになっている。


 王太子夫妻が利用するのはこぢんまりとした晩餐室であり、給仕も最低限で、二人きりの時間を楽しめるように差配されているのだった。


「カサンドラ、待たせてしまったかな」

 そう言ってアルノルトが席につくと、カサンドラは口元に笑みを浮かべた。

「いいえ、丁度私も来た所ですの。コンスタンツェ様からお手紙が届いて、その内容に驚いていた所でしたのよ」


 カサンドラの方に視線を向けたアルノルトは皮肉な笑みを浮かべる。

「令嬢はセレドニオの浮気を疑って領地に戻ったと聞いたのだが?」

「私のお兄様が浮気だなんて、見当違いにも程がありますわ!」


 海賊を退治するということで、サンジーワというシンハラ島から来た海賊を送り込んだ時に、アルノルトは王家の影も一緒に送り込んでいるのだった。バルフュット侯爵家は王家派筆頭として信頼も厚いのだが、侯爵家麾下の貴族たちが一丸となって王家に忠誠を誓っているとは限らない。


 本来ならば王太子の妃となったカサンドラの実の兄であるセレドニオを、敬意を持って迎え入れなければならない。だというのに、下々の者たちは侯爵の目が届かないところでセレドニオを排除する動きに出ているのだ。


 10歳の時からアルノルトの婚約者となったカサンドラは、鳳陽小説に良く出てくる、ヒロインとヒーローの恋路を邪魔する悪役こそが自分の役割なのだろうと考えていた。王子の婚約者としてはひたすらやる気がない状態で、いつでも他の人と代わりますよと主張しているようなところがあったのだ。


 鳳陽小説の良くある結末のように、身分剥奪、実家没落、国外追放となっても良いように、自ら商会を立ち上げ、印刷会社と出版会社を設立し、異国の商品と文化をクラルヴァイン王国に取り入れながら、大金を荒稼ぎしたのがカサンドラだ。


 いつでも逃げられるように商売をしたお陰で、王家とアルペンハイム侯爵家は大いに儲かったのだが、王家とアルペンハイムが儲かったということは、自分たちは損をしている。甘い汁を吸えていない、頭にくる、と考える貴族が山のように出て来てしまったのだ。


 貴族とは働かないことが正義であり、領地から上がる収益で贅沢をすることこそが貴族がするべきことだと考える。怠惰で傲慢な貴族たちが多い中で、カサンドラはあまりに異端過ぎたのだ。本人は、

「アルノルト様はそのうち朗らかで楽しく明るい、頭のネジが緩んだ女性と恋をして、婚約者の私などあっさりと捨てて国外追放にするのですから、何の問題もないのですわ!」

 と、豪語していたのだが、結局、結婚しているし、なんなら妊娠までしているし。


 王家としては、有能で金を稼ぐ力を持つカサンドラを気に入っているし、とにかく今は無事に子供を産むことだけに専念して欲しいと言いながらも、社交と外国人街問題については丸投げしているような状態なのだ。


 そんなカサンドラを引き摺り下ろして、ついでにアルペンハイム侯爵家を没落させて、甘い汁を浴びるように飲んでいたいと考える貴族が、王家派、貴族派の垣根を越えて山のように集結し始めているらしい。


 セレドニオの浮気疑惑も、今の王家に不満を持つ貴族たちの悪意によって発生したものであり、その対応は慎重を喫する必要があるのは間違いない。

「カサンドラ、すまないが今日も簡単料理になってしまったんだよ」

 テーブルの上へと並べられる料理を見ながら、思わず落胆したような声をアルノルトは上げてしまう。


 何で落胆しているのか全く理解していないカサンドラは、

「まあ!アル様!これ!さっぱりしているし!コリコリして美味しいですわ!」

 早速、蒸した牛タンのポン酢和えを口に運んで、ニコニコ笑いながら言い出した。

「さっぱりした肉料理が食べたいと言ったらすぐに用意してくれるのですもの!アル様の料理の腕は天井知らずですわね!」


 実際問題、悪阻がおさまっているものの、胃もたれが酷いカサンドラとしては、アルノルトが用意してくれるさっぱり料理は有り難い。有り難いのだが・・

「今日はさっぱりお肉が食べられたので、明日はさっぱりした魚料理が食べたいですわ!」

 と、カサンドラは言い出した。


 クラルヴァインの王家は代々、料理好きが王様になっているのだが、今の国王はデザート、先王はスープを作って妃に食べさせるようなことをしていたらしい。アルノルトは肉とデザートの二刀流なのだが、魚料理には手を出さない。


「ですから、明日はお料理は料理長が、アル様はデザート担当でお願い致しますわ!」

「デザートか・・」


 明らかに気落ちをしているアルノルトを見つめたカサンドラは、

「デザートだってお料理ですのよ!」

 と、主張した。

「この子だってパパが作ったデザートが食べたいって言っています!」

 連日肉は食べたくないカサンドラは、デザートにシフトチェンジするように仕向けるようなことを続けていた。最近、大きくなってきたお腹の中の子供を引き合いに出して言えば、アルノルトをうまく誘導することが出来るのだ。





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カドコミ・コンプティーク様にて『悪役令嬢はやる気がない』(高岸かも先生 漫画)で掲載!ネットで検索していただければ!無料で読めます!短期連載で、クラリッサ編までのお話となりますが、こちらも読んで頂ければ幸いです!

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