生活ノート

黒音こなみ

前編

 これは、わたしの友人、Kくんのおはなしです。


 かれこれ、二十年以上も昔の出来事だというのに、未だ思い出す度に机や壁に頭を叩きつけるほどのトラウマになっているらしいので、彼のためにこの場を借りて供養したいと思います。


 Kくんは中学生時代、曰く「やみぼく」なる反社会的衝動を内に秘めていたらしく、その危うさの象徴として、月並みながらナイフを携帯していました。


 物騒な話ですが、当時はKくんに限らず折り畳み式のバタフライナイフをファッション感覚で手にすることに憧れを抱く少年が、一定数存在したものでした。


 一方で、Kくんの「闇僕やみぼく」は、そうした風潮とは一線を画していたようです。


 ――かっこいいバタフライナイフは、店で買うと足が付く可能性がある

 ――そもそも、武器えものの見栄えなど気にしない


 狡猾クレバーにそう割り切った結果、実家からくすねた果物ナイフを持ち歩くという、合理的かつローコストな方法で、彼はなにかしらのアイデンティティを確立していたのでした。

 さらには、ナイフの先端をペンチで曲げておくことで、もしナイフの所持が発覚した際も、


「これは果物を切るためのもので、しかも刺さらないようにしてあるから、傷害目的とは言えないですよね?」


 などという弁明へりくつをかませるように、入念な準備もしていたとのこと。ただ、先端を曲げたせいでナイフが鞘に収まらなくなってしまい、しかたなく抜き身の刀身にハンカチを巻き付けて携帯していたそうです。


 こんな調子で、人知れず慎重に内なる闇と同居していたKくんでしたが、あるとき、自らのミスと不運が重なって窮地に陥ることとなりました。


 その日、いつものように果物ナイフを制服の内ポケットに忍ばせて登校していたKくん。体育の授業を終えて教室に戻る途中、ちょうどその教室の方からクラスメイトの男子三人が、こちらに歩いて来るのが見えました。


 三人ともKくんと同様にまだ体育着姿でしたが、状況からして先に教室に戻ったのに、着替えも後回しで引き返してきたようです。不気味だったのは、皆ニヤついた表情で、先頭の男子の腕には粗雑に二つ折りにされた制服が掛かっていました。


 そして彼らの視線の先にあるのが自分だと気がついたとき、Kくんの脳裏に最悪の事態が過ぎります。


 かくして想像のとおり。先頭の男子はKくんと対峙する直前に、制服の下に隠していたブツ――ハンカチで包まれた果物ナイフを取り出して、チラ見せしてきたのです。


 どうして、こんなことになったのか……。


 Kくんがあとで友だちから聞いた話によれば、着替えの際にロッカーに突っ込んだ制服が床に滑り落ちていたらしく、気がついた生徒が親切にも拾い上げてくれたとき――カランと乾いた音を立て、それは内ポケットから木製タイルへと転がったのだそうです。


「Kくーん、これはなにかなぁ?」


 男子らの冷やかしに対し、Kくんは、例の「果物を切るため」云々を繰り出そうとするも、なにか想定していた状況とミスマッチな気がして、ただ口籠っていました。


 そんなことより、隙をついて武器えものを奪い返さなければと奮起するも、それにも及ばず、「はいよ」と、割とすぐに制服ごと手渡しで返ってきました。


 いろいろと思うところはありましたが、とりあえず、「酷い日だ」と内心で呟いたそうです。


 しかし束の間、男子たちの肩越しに、さらに絶望的な光景を目の当たりにしたのです。なんと担任の先生が、渋い顔をしてこちらに歩いて来るではありませんか。


 ――こいつら、まさかチクリやがったのか!?


 Kくんの頭は怒りで上気しましたが、それも一瞬のこと。


 ――まずい、このままじゃ刑務所送りだ!

 ――いや、ワンチャン偶然通りかかっただけでは?


 やたら振り幅の大きい想像で、地獄と天国とを行き来しているうちに、男子らが道を開け――先生は、とうとうKくんの前に立ちはだかりました。


つづく

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