不変願望

小狸

短編

 最近ちまたで流行している小説群を見るたびに、思わず私は目を覆いたくなる。


 劣悪な環境、状況に置かれた主人公が、底からの逆転を成すというものだ。


 私のようなひねくれ者は、そんな小説を目にすると、こう思ってしまう。


 報われるなよ。


 救われるなよ。


 ずっと駄目であれよ。


 少なくとも現実はそうだろうがよ――と。


 現実は醜い。


 とても醜悪で劣悪で、目も当てられない。


 綺麗事では済まされない事柄がゴロゴロ転がり、それを常日頃踏み抜いて、足許あしもとがぐちゃぐちゃになりながらも、それでも生きているのが我々である。

 

 ああ――うん、いや。


 多分私は、嫉妬しているのだ。


 そういう風に、「何かが変わって」「前向きになれる」要因を持った人々に対して。


 少なくとも、私の人生には無かった。


 詳細を書いて、不幸自慢をしていると言われるのも癪なので、ここには書かない。


 ただ一つ言えるのは、所詮世の中は、環境である――ということである。


 その人が成功したという事実の裏には、ほとんど確実に、環境的要因が見え隠れしている。


 努力できるだけの下地。


 頑張れるだけの基礎。


 小説に登場する者達を改めて見返して見ると、一見可哀想で、どうしようもなく、救いようのないように見えるけれど、どこかの所で恵まれていたり、幸せになる準備ができていたり、許されていたりするのだ。


 そしてその要因を契機にして、駄目な奴が一念発起し、「ざまあ」「俺強ぇ」というジャンルが生まれる訳だ。今まで見下していた者を見返す快感。それが読者に刺さることは明白だろう。非現実的であるという点を除いて。


 大抵の駄目な奴は。


 一念発起する機会すら与えられない。


 駄目なまま、登場人物欄にも掲載されないまま、可哀想なまま、許されないまま、恵まれないまま、世の中の仕組の中で都合の良いように使われて、一生を終えていく。


 私のように。


 だから、そういう小説を目にするたび、私は思ってしまうのだ。


 非現実的だ――と。


 だから、YouTubeの批評家気取りのライトノベル批判を観て、その苛立ちを抑えていた。


 なかなかどうして辛口な意見を出す人も多く、アカウントが凍結されても、すぐに復帰する人ばかりで、楽しかった。


 私と同じ意見の人がいると知って、嬉しかったのである。


 そうだよね、リアリティないよね、設定作り込まれてないよね、アレのパクリだよね、等々。


 そうやって、私の中の小説への思想は、かたよっていった。


「……それはさ――づかさん」


 と。


 それを止めてくれたのは、ある友人である。


 彼は現役小説家の友人であり、恐れ多くも私は、彼に昨今の物語の在り方について愚痴を零していた。


 彼はしばらく考えた末、こう言った。


「小説は、『醜い現実』を書くものじゃ、そもそもないんだよ。小説、物語、ストーリー。そりゃ、リアリティだって必要だろうさ。君の言うよう、昨今の傾向が安直であることも否定できない。でも現実をそのまま描くだけじゃ、駄目なんだよ。だってそんな味、皆知っているもの。毎日痛感して、分かっているもの」


 そう言われた。


「だから、僕は小説を書く時は、過度に現実に縛られないようにしているよ。勿論、必要に応じて取材はするし、辻褄は合わせるよ。だけれど、創作の上で一番重要なのは――現実を書く能力ではなく、だと、僕は思っている」


 現実と、現実味。


 その違いが、私には分からなかった。


「そうだなあ。例えば、『人が倒れていた。その人を助けて、お礼をしてもらった』この一連のストーリーに現実を加えると、こうなるんだ。『人が倒れていた。誰もその人を助けなかった』。実際はそういう人の方が多いと思うよ。だけど、僕の言いたいこと、分かってくれる? 創作において現実というのは、スパイスなんだ。過度に入れると、それは虚構つくりものでなく、現実ほんものになってしまう。僕は、小説はあまねく虚構のものだという考え方だからね。それにさ――」


 彼は続けた。


「辛い現実ばっかりだと、疲れちゃうじゃん」


 そう言われて、はっとなった。


 私は、悲劇的な物語を、報われない物語を求めていた訳では無い。


 ただ――自分より不幸な奴を探していたのだ。


 私より辛そうで、可哀想で、苦しそうで、もがいて、生きて、死ぬこともできないどうしようもない奴を探して、そして下に見たかった。


 そのために、小説という媒体を利用していた。


 それが分かって、一気に自分が、恥ずかしくなった。


 家に帰る最中、YouTubeのチャンネル登録をあらかた削除した。


 書店に寄って、新刊のコーナーを見ると。


 今まで見えなかったはずの色彩が、そこにはあった。


 タイトル、本の装丁、作者名、カバーイラスト、改めて見てみれば、引き込まれるように作られていて、実際に私は、引き込まれていた。


 ――なんだ。


 ――こんな近くに、あったんだ。


 私は、その内の1冊を手に取り、会計を済ませた。


 家に帰ったら小説を読もうと、私は思った。




《Universal Hope》 is the END.

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