第47話 水と月 Ⅰ

 地鳴りのような呻き声が辺りに響く。

 アリスは禍々まがまがしい樹木の姿をした悪霊デーモンと泉の真ん中で対峙たいじする。


 死者の手のような枝葉はざわざわと鳴り、根は大蛇のようにうごめいている。その中心、木のみきに縛りつけられたブランカは、ぐったりとして動かない。


「ブランカさんは、大丈夫なの? まだ生きているの?」

「ああ。だが、肉体を悪霊デーモンに乗っ取られてる。早くしないと手遅れになる」

「どうすれば助けられるの?」

「ブランカが死ぬ前に、悪霊デーモン本体を叩くしかない」


 アリスは悪霊デーモンの姿をまじまじと見る。この巨大な木の悪霊デーモンを狩るには、一体どうすればいいのだろうか——


 次の瞬間、悪霊デーモンはアリスを見定めたのか、枝を急速に伸ばし、襲いかかってくる——が、アリスの身体はためらうことなく、鳥が自在に舞うかのように跳び跳ねる。


悪霊デーモンって、狂悪霊インセインデーモンみたい心臓があるものなの?」


 枝を巧みにかわし、エクスに問う。


「心臓って言っていいのかはわかんないけど、核はある。それを破壊すれば悪霊デーモンは消える」

「核は何処にあるの?」

「大体は悪霊デーモンの中心部にある。木の幹が少しだけ光っているだろう。そこを突け」


 目をらして悪霊デーモンを観察する。ブランカの頭のすぐ上、木の幹が少しだけ光っているように見える。

 恐らく、核がある部分だ。だが、そこを正確に攻撃するのは至難の業だ。幹まで近づくのも大変だし、下手をしたらブランカを傷つけてしまうかもしれない。


 木はうめき声を上げ、みるみるうちに成長する。絡み合った枝はつちのような形となり、アリスの頭を割ろうと振り上げられる。

 地面を揺るがすほどの勢いで振り下ろされるそれを、ひらりとかわす。水しぶきと土砂が舞い上がり、アリスの視界を塞ぐ。


(……全然、近づけない!)


 アリスは歯噛みする。もたもたしている暇などない。早くこの悪霊デーモンを狩らないと、ブランカが死んでしまう。あと、何分大丈夫なのだろうか。マコが心配しているのだ。焦燥しょうそうに駆られ、抑えられない。


 枝を剣で切り落とし、幹に向かって突っ込んでいく。


「待てアリス! 無茶するな!」


 エクスの声が脳内に響いたが、時すでに遅し。

 真横から伸びてきた枝に気が付かず、脇腹に攻撃を受ける。そのまま、アリスの身体は人形のように吹き飛ばされる。


 アリスは一瞬、意識がふわりと揺れるような感覚を覚える。次に目を開けると、何者かによってしっかりと抱かれているようだった。


「ごめん、エク……」

 

 またエクスかばわれてしまった。そう思ったのだが、エクスは剣の姿のまま、しっかりとアリスが握り締めている。


 エクスでないとすると、この温もりは誰のものなのだろうか。


 恐る恐る顔を上げ、目に入ってきたものは——



「……大丈夫ですか、学生さん」



 燃えるような赤い髪に黄金の瞳の、物腰の柔らかそうな、青年。


「神父……様……」


 アリスが思わず口にすると、青年は優しく微笑み、アリスへと顔を近づける。


「……じゃなくってオーロラ!」


 我に返ったアリスは、青年の姿となったオーロラの顔を押し返す。


「おや、いいんですよ? この姿のときは神父様って呼んでもらっても!」

「喋り方も変えなくていいから! なんで男の姿なの!」

「少女の姿では学生さんを受け止められないじゃないですか」

「早く下ろしてよ!」

「残念です! 僕はもうちょっと触れていたかったんですが!」


 渋々アリスを地面へと下ろすオーロラに向かって、アリスは聞く。


「……マコおばあちゃんは?」

「もう大丈夫ですよ。術は解除しました。今は家で寝ています」

「そっか……」


 少しだけ、胸が軽くなる。だが、問題は解決していない。早くブランカを助けなければ。


「……状況は?」


 オーロラが地鳴りの中、尋ねてくる。


「ブランカさんが、あの木の悪霊デーモンに乗っ取られた。早く悪霊デーモンを倒さないと、ブランカさんが危ない」

「そうですか、困りましたね」


 悪霊デーモンは泉の中央で、バタンバタンと動いている。目は良くないのか、距離を取っていればアリスには気が付かないようだ。


「ブランカさんのすぐ上に、悪霊デーモンの核があるの。でも、木の枝がたくさん伸びてくるから、幹に近づけなくて……」

「ふうむ……なら、学生さんの剣も伸ばしてみては?」

「え?」

「遠くからでも木の幹をぶった切れるぐらいに剣を大きくすればいいんです」


 オーロラの意見に目を丸くするアリス。剣を握り、エクスに語りかける。


「エクス、そんなことできるの?」

「無理だ」


 きっぱりと返事をされる。


「無理だって」


 アリスは少しむくれて、オーロラを見る。


「今の俺の力ではそんなに剣を大きくすることはできない……ってエクスが」

「大丈夫。僕が手伝います」

「手伝う……? どうやって?」

「さあ、アリス。行って」


 オーロラに背中をとん、と押される。

 アリスは剣を強く握り締め、再び悪霊デーモンに向かって駆ける。


 距離が縮まると、木の枝がアリス目がけて伸びてくる。アリスを捕らえようと動く枝を次々と切り落としていく。


 だんだんと息が上がってくる。これ以上は防ぎきれない。そう思った矢先——


 夜空に、歌声が響く。


 前に、一度だけ聞いたことがある。オーロラの声だ。

 いつの間に少女の姿に戻ったのか、その歌声は美しく、しなやかでありながら、どこか異次元の旋律せんりつを持っている。


 夜風がそっと歌声を運び、泉中に響き渡っていく。

 オーロラは歌が上手い。昔はアリスも歌が得意だったはずだが、そんなの比べ物にならないぐらい——


 うっかり聞き惚れていると、


「あ!」


 と、エクスが声を上げる。


「ど、どうしたの?」

「何か、力がすごいみなぎってくる!」


 弾むようなエクスの声に困惑する。


「そうなの? 私はよくわからないけど……」

「ちゃんと握ってろよ、アリス!」

「え?」


 瞬間、握っている剣がみるみるうちに大きくなる。

 シミターのような形状だった剣が、大剣グレートソードへと変わっていく。剣身は長く、冷たい月光を反射して輝く。


「きゃあああ! でっか! あれ、でも重くはないかな……?」

「この大きさなら木の幹を狙えるな?」

「や、やってみる!」

「間違ってブランカの首を切り落とすなよ!」

「怖いこといわないでよ!」


 大剣を両手で握り締めると、踊るように振り回す。アリスに向かって伸びていた枝が一瞬のうちに切り落とされる。


 剣の軌跡きせきが宙に描く軌道は、星座のように美しい形を作り上げる。アリスの動きはさらに速く、大胆になっていく。大剣はアリスの意志と一体化し、敵を切り裂く音とともに勇気を呼び起こす。


 最早、負ける気がしない。


「お願い、当たって!」

 

 アリスは木の幹の中心部へと、剣を振りかぶった。

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