第46話 誘惑の木 Ⅱ

 対峙するのは、漆黒しっこくの天使。


 ダークエクスは一直線に伸ばした腕を刃物のように変形させる。次の瞬間、背中から黒い翼が生え、ものすごい速さでアリス目がけて飛んでくる。


「アリス!」


 アリスを庇うようにエクスが前へと出る。エクスも右手を刃物のように変形させて、攻撃を受ける。

 キイン、と、辺りに冷たい音が響き渡る。


「なんなんだよこいつ! 俺と同じ能力を持ってんのか!?」


 エクスが身体を手前にひねり、ダークエクスの腕を弾く。ダークエクスはすぐに体勢を整え、再びアリスへと斬りかかる。

 エクスに腕を引っ張られ、なんとか攻撃をかわす。相手の追撃はエクスが防ぎ、アリスはただ呆然ぼうぜんと座り込む。

 双方の力は均衡きんこうしている。お互いに斬り合うエクスとダークエクス。剣の音と呼吸が交じり合い、緊迫感が漂う。


「エクス! 私、どうすればいい!?」


 剣を手にしていないアリスは加勢ができない。何とかしてエクスを助けることはできないか、考える。

 エクスは戦いの最中、アリスに向かって叫ぶ。


「こいつは交霊術ゴエティアで浮遊霊をあやつって作り上げた人形だ! 浮遊霊が嫌がるものが弱点なはずだ!」

「浮遊霊って何が苦手なの!?」

「炎だ!」

「炎……って言われても……」


 辺りは泉だ。火種はない。マコの家に戻っている時間もないだろう。

 困惑するアリスをよそに、楽しそうに戦いを見ていたブランカが口を開く。


「うーん。同じもの同士だと、なかなか決着がつきませんねえ。それなら……」


 ブランカは空気を一度吸うと、そっと、歌い始める。

 黒の旋律。魔女ウィッチの歌。ブランカの声は夜空に響き渡り、アリスは己が闇に取り込まれたような感覚に陥る。


 歌を受けて、ダークエクスの背中から生える翼が大きくなる。にらみ合う状況が崩れ、エクスが押されていく。


「クッソ……!」

「エクス!」


(……ああ! また、何もできない!)


 天使や悪霊は、歌で強化することができる。だが、アリスはこの点において役立たずだ。何か、何かしなければ。また、エクスに怪我をさせてしまう。また、ただ見ているだけなんて。そんなのは嫌だ。そんなのは。


(浮遊霊を止める……炎……炎があれば……)


 ふと、豆電球に明かりをつけた、神道術テウルギアの授業を思い出す。


 霊と心を通わせて、心象を具現化させる。

 

 明かりをつける神道術テウルギアを応用すれば炎を起こすことは可能ではある。が、四元素を扱う術には危険が伴う。授業では禁止されているし、当然、やったことなどない。


神道術テウルギアで、炎を……)


 一か八か、やってみるしかない。


(書に載っていた方法……自然界に存在する火の素を、霊と調和させる。霊に語りかけ、力を集束する。その力を右手の中指に集中させて……)


 霊の鼓動こどうを感じる。全身がビリビリと痛む。熱い。熱い。


しゅよ! 力を貸して!」


 アリスは叫ぶ。親指の付け根へ中指を、パチン、と強く当てる。


 瞬間、アリスの右手から炎が沸き上がる。


 紅い炎は風で前方へと流れ、ダークエクスの頬を掠める。ダークエクスの姿は揺らぎ、小さな複数の鳥へと変化する。それらは悲鳴を上げ、散り散りに飛んでいく。


 アリスは自分のやったことに目を丸くする。まさか、こんなに大きな炎が手からでるなんて。


 はあ、と大きく息をする。無意識に呼吸を止めていた。ひんやりとした空気が肺に入ってきて、苦しい。全身が熱くて、額から汗がしたたる。ふと、自分の右腕を見ると、ひじから下の服は焼けてなくなっていて、肩のすぐ下辺りに火がついている。


「熱っ! あっつ!」


 アリスは慌てて泉へと転がる。火はすぐに消えたが、心臓がドキドキと鳴り止まな

い。立ち上がり、落ち着けようと深呼吸を繰り返していると——


「アリス!」


 急に、エクスが飛びついてくる。


「きゃああああ!」

「すごいじゃん! 神道術テウルギアで炎なんて出せたんだな!」


 子犬のようにキラキラとした目でアリスを見るエクス。


「いや、咄嗟とっさにやっただけだから。もう一回やれと言われても、できるかわかんない……」


 抱きついているエクスをがしながら、ブランカを見る。ブランカは下を向いて、何やらブツブツと呟いている。


「ずるいです……ずるいですよ……」


 顔を上げたブランカの瞳は怒りに満ちている。



「ブランカが持っていないものを見せびらかさないでください!!」



 叫び、ブランカは指笛を吹く。

 ブランカの頭上の空に大量の黒いもやが集まり、その全てが鳥の形となる。ギャアギャア、とやかましく鳴き、空中を飛び回っている。これが一斉に襲ってきたら、避けることはできないだろう。


「や、やばいよエクス。これ、どうすれば……」


 アリスは後退こうたいし、目の前の大量の鳥を凝視ぎょうしする。


「アリス、さっきの神道術テウルギア、もう一回やれるか?」

「わ、わかんない。けど、やり方はなんとなく掴んだ……かも」

「よし」


 エクスはアリスの後ろにぴったりと付き、右手を支えるように握る。


「次は俺が手伝ってやるから。あの鳥たち目掛けて、もう一回やれ」

「ええっ!?」

「俺を信じて、打て、アリス」


 空をおおい尽くし、黒く、おびただしい数の鳥が一斉にこちらへ向かってくる。


 アリスは目を閉じ、集中し——指を鳴らす。


 顏に熱風が当たる。目を開けると、そこには渦を巻く火柱ひばしらが立っていた。あまりの光景に、アリスは目をしばたたく。


 輝く炎は、夜の闇を照らす。


 火柱はブランカの仕掛けた黒き鳥を次々と焼き払う。キイキイ、という悲鳴が広がり、鳥は闇に溶けていく。


 やがて消失すると、辺りはしん、と静まり返る。


「あ……」


 ブランカが木の側まで後退あとずさる。怯えたような目で、アリスを見ている。


「……ブランカさん。もうやめて」


 アリスはブランカに目を合わせ、近づく。


「これ以上、力を使わないで」

「ブランカが……勝てない?」

「力を使いすぎると、どうなるか解っている? 狂悪霊インセインデーモンになるの。あなたが」

「何でですか……」


 ブランカはしゃがみ込み、わなわなと震えている。


「ブランカさん、お願い、やめて——」

「今のブランカよりも、先輩の方が可愛いって言うんですか!!」


 ブランカの叫び声が響く。同時に放出された力でアリスは数メートル吹き飛んだが、エクスに受け止められる。


「神様、聞いてください。ブランカの身体を、今すぐにあげます」


 ブランカが『悪霊デーモン』に語りかける。ゆらりと立ち上がり、アリスを見据える。



「だから、この女を、殺してください」



 瞬間、地面が揺れる。


「なっ、何!?」


 アリスが声を上げると、今度は何処からか、うなり声のようなものが聞こえてくる。たまらず、耳を塞ぐ。


「っ……これ、何?」

「……悪霊デーモンの声だ」


 夜の闇に、ぱっと明るい光が灯る。少女の後ろにある木が光っている。

 地鳴りと共に木はメキメキと動き、その根が地面を引き裂き、地上にい出る。木は急激に成長し、枝が絡み合い、巨人の腕のようになる。腕はブランカを捕らえ、吸収でもするかのように、その身体をみきへと固定する。


「ブランカさんが! 木に捕らわれて……!」

「やりやがったな、こいつ……」


 オオオオオオオオオ!


 悪霊の咆哮ほうこうが響く。恐怖が全身を駆け巡る。先程まで白い花をつけた美しい樹木のようだったその姿が——幹は厚く歪み、不気味な模様がくぼみに浮かび上がり、まるで怨念おんねんり込まれたかのような、禍々まがまがしい姿へと変貌へんぼうする。


「アリス、時間が無い、やるぞ」


 エクスの冷静な声で、我に返る。


「ブランカさんはどうなっちゃったの……?」

「まだ生きている。助けたいなら、戦え」


 エクスが左手を差し出す。


 アリスは喉につかえた恐怖心を飲み込み、エクスの手を取った。

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