第37話 貞潔の百合 Ⅱ

(何で私がこんなことに……)

 

 オーロラのせいで、模擬戦もぎせんでシンシアと戦うこととなったアリス。

 うらみを込めてにらんだが、当人はうきうきと身体を揺らしている。


「うふふ、アリスの勇姿、網膜もうまくに焼きつけなきゃ……!」

「でも、大丈夫かなあ。アリス、剣術の成績良かったっけ? 目立つ印象ないけど」


 代わってもらう形になったクロエが、申し訳なさそうな顔をしている。


 アリスは、シンシアと対峙たいじする。

 シンシアはただ、微笑んでいる。それだけなのに、飲み込まれてしまいそうな感じがする。

 彼女が身にまとう自信と迫力は、アリスの心に不安を植え付け、自信をすり減らす。


(この人、本当に、強い人だ……)


 騎士でもないアリスにも、それが解る。



「では、始め!」



 模擬戦は開始したが、シンシアは動かない。

 アリスも動けない。どう仕掛けるべきなのか、解らない。


(エクスがいてくれたら——なんて考えるのは、どうかしてるわ……)


 にらみ合ったまま数秒が経過すると、シンシアが口を開く。


「うふふ。怖がらなくていいのよ、お姫様? 仕掛けてきなさいな」


(……怖い?)


 怖いのだろうか。いや、思ったよりも怖くはない。

 勝てる自信があるわけではない。だが、相手は人間であり、これは模擬戦だ。


 アリスはもっと、得体の知れない化け物と戦ったことがある。負けても、何も喰われるわけではない。

 そう思うと、心が軽くなる。


(それなら……!)


 アリスは仕掛ける。素早く斬りかかったつもりだったが、シンシアはたくみに身をかわし、後退こうたいする。


 踊るように、回転して攻撃を続ける。

 だが、シンシアはすぐに剣を構え、全て防御される。


 二人の攻防を間近に、場内はどよめく。


(あれ、なんだろう。今、エクスに動かしてもらってるわけじゃないのに……)


 シンシアが剣を強く握る。反撃が来る。


(見える——)


 ふわり、と蝶が舞うようにそれを避ける。


(身体が、戦いに慣れている……?)


 シンシアが目を細める。


「へえ……?」


 その一瞬のすきを突いて、シンシアの懐に入る。辺りは静まり返り、生徒たちの息遣いが聞こえるほどの緊張感が漂う。


(今だ!)


 打ち込もうとした瞬間、シンシアの姿が揺らぐ。


「へっ?」


 間抜けな声を出して胸元を見ると、剣が突き付けられている。

 ぞくり、と身体が震える。死を感じ、敗北を悟る。


「残念……」


 シンシアの冷たい声が響く。額から、汗が流れるのを感じる。


「でも、いいじゃない。ドキドキしたわ」


 そう言うとシンシアは剣を下ろし、アリスに向かって微笑む。


「……ありがとう……ございます」


 荒い呼吸を整え、シンシアを見据える。

 ぱちぱち、と拍手の音がする。


「アリス! 綺麗! 興奮した!」


 相変わらずうるさい、オーロラの声が聞こえる。


「すごーい! ハラハラしちゃった!」

「アリスさんってあんなに強かったっけ……?」


 生徒達が口々に言うが、あまり頭の中に入ってこない。ただ、どっと疲れを感じて、元の席へと戻る。


「お帰りアリス、すごかったね!」


 クロエが嬉しそうに言う。


「……疲れたわ」


 膝を抱えて目をつむると、ステージ上から声を掛けられる。


「アリスさん」


 シンシアの凛とした声に、どきりと心臓が跳ね上がる。


「えっ? はっ、はい」

「貴女の攻撃、すごくよかったわ。私を狩ろうとする、覚悟が感じられた。貴女、きっと素敵なリリウムになれるわ」

「え……」

「すごーい! リリウム隊隊長に褒められるなんて!」


 興奮したクロエが、アリスをつかんで左右に揺さぶる。

 シンシアは微笑み、ステージを降りる。


「先生、ありがとうございました」

「あれ、もういいのですか?」

「ええ。最近のリリウム隊は、量も質も落ちてきて困ってましたの。ですが、こんな子が育っているのなら、将来のリリウム隊は安心ですわ」


 シンシアは付人つきびとに合図を送ると、訓練場の出口へと向かい——最後にこちらを振り返る。


「また会いましょう、お姫様たち。今度、私の前に現れるときは、お姫様を捨てて、騎士になって……ね」


 そう言うと、シンシアは訓練場を後にする。


「カッコいい……」


 クロエが頬を赤くする。


「そうだね……僕は好みではないけどね。僕はもうちょっとはかなげで美少女感があって、それでいて母性的な感じがいい」


 オーロラが意味不明なことを言っているのを無視して、思う。


「なんだか、不思議な人……」


 彼女とは、何か——不思議な縁を感じる。

 

 まだ震えの残る手を、アリスはじっと見つめた。

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