第32話 月の道標 Ⅱ

 アリスは、自宅のベッドに座っている。


 ライラに告白? された後、自分がどうやって家に戻ってきて、何をして今に至るのかはっきり覚えていない。

 いつもならばそろそろ寝る時間だが、目が冴えてしまってどうしようもない。



 ——君のこと、好きになっちゃったかも。



 ライラの声が脳内に響く。


(ああ、もう、どうしたらいいんだろう。抱えきれない。神父様が魔女ウィッチで、子どもたちも魔女ウィッチで、私は、子どもたちを、救うって言っちゃった。救える? 私なんかに?)


 どうしようもなく不安になって、右手の中指の指輪に向かって話しかける。


「エクス……どう思う?」


 すると、指輪が光を放つ。


「…………!」


 指輪は液体へと変わり、液体はエクスへと姿を変える。


「ふああ……」


 大きく欠伸あくびをするエクス。きょろきょろと、自分のいる場所を確認する。


「エクス!」


 そんなに長い間姿を見ていないわけではないのだが、なんだかとても懐かしい気がして、嬉しくなる。


「もう大丈夫なの? 内臓は? 痛くない?」

「だいぶ……完全ってわけじゃないけど……まだ眠いし……」


 エクスはぼーっとしている。声にも覇気はきがない。

 そんな状態のエクスに重たい話をするのは気が引けるが——


「ねえ、エクス……私、なんか、大変なことになっちゃったかもしれない……」

「ん……それはなんとなく……近くにはいたから……知ってる……」

「私、どうしたらいいか……」

「アリスならできるよ」


 そう言って、エクスはアリスの隣に座り、ことん、と肩にもたれ掛かる。


「……眠いからって適当にいってるでしょ……」

「そんなことない。本音だ。アリス、ちょっと変わってるから、人とは違うことでも、できるよ」


 エクスはアリスを抱きしめ、そのままベッドへと倒れ込む。


「ちょっ……! ちょっと……! 何を!」


 エクスに抱きしめられたままベッドに転がる形になり、アリスは真っ赤になる。


「今日は一緒に寝ていい?」


 甘える子犬のような目をして言うエクス。


「え……」


 引きがせない。色々な感情を、ぐっと呑み込む。


「……今日だけだからね」


 ——我ながら、押しに弱くて嫌になる。



 部屋の中には夜が広がっている。


 隣には、寝息を立てるエクスがいる。

 人と寝るなんて、何年ぶりだろう。妹が死んでからだから、五年ぶりぐらいか。

 手を握るときに、冷たいと感じていた天使の体温は、一緒に寝てみると案外暖かい。

 ベッドの中が、いつもより心地よく感じる——が。


(……眠れない)


 緊張が解けない。こんなに綺麗な顔を目の前にしてすやすやと眠れる訳がない。


(エクスは赤ちゃん、エクスは赤ちゃん……)


 脳内で繰り返す。

 エクスがもそもそと動き、布がれる音がする。


 ——駄目だ。

 気にしないようにしようと思えば思うほど、気になってしまう。


「ああ!」


 小さく声を上げて、上体を起こす。

 エクスを起こさないようにベッドから出て、大きく伸びをする。


 ふと、窓からの、月明かりのきらめきが目に入る。

 この間、黒騎士が来た日も、今日と同じような、月の輝く晴れた夜であったことを思い出す。


 なんとなく、薄いレースカーテンを開け、窓の外から庭を見る。

 庭のベンチに、人影が——ある。


「………!」


 アリスは慌てて、二階の階段を降りていく。



「……もう、来ないかと思ってました」

「何故だ? 来るが?」


 庭のベンチには、夜風に吹かれながら優雅に読書を楽しむ、大悪霊アークデーモンの姿があった。

 やはり、不法侵入ふほうしんにゅうなのだが。と言う気持ちは置いておいて——


「騎士様……じゃなくて、アーク……だっけ?」

「アーク? ああ、ライラはそう呼ぶがな。まあ、名前なんてどうでもいい。好きに呼べ」


 大悪霊アークデーモン聖女セイントであるアリスとは敵対関係にあるはずのモノ。

 それなのに何故だろう。あまり恐怖を感じない。相手から、友好的な雰囲気が漂っているからだろうか。


「座ったらどうだ?」


 アークは自分の横をトントンと叩く。一瞬怯んだが、言われるがままにアリスは座る。


 夜風がそよそよと吹く。花の香りが、鼻孔をくすぐる。

 一瞬の沈黙をはさんで、アリスはアークに問う。


「あなた、本当に悪霊デーモンなの?」

悪霊デーモンだぞ?」

「人間にしか見えないのに……」

悪霊デーモンは人間の霊を手に入れれば手に入れるほど人間に近づく。そういうものだ」

「どうして人間の霊を奪うの?」

「食べると悪霊デーモンの力は増すからだ。あと、普通に美味い」

「肉体は奪ったらどうするの?」

「それは悪霊デーモンによるな。状態が良ければ、手に入れた肉体に入って、人間に交じって昼間うろついて楽しんだりもする。あと、普通に美味い」

狂悪霊インセインデーモンのことはどう思ってるの?」

狂悪霊インセインデーモンな、あれは良くない。契約者が狂悪霊インセインデーモンになってしまうと、肉体が浮遊霊に喰われて、貰えなくなる。頭のいい悪霊デーモンは、契約者が狂悪霊インセインデーモンにならないように契約者が使える力を制御する」


 アリスは、がくり、と肩を落とす。


「どうして普通に答えるの……」

「変な奴だな。聞いたのはそっちだろう」


 はあ、とため息を吐く。その姿をまじまじと見ながら、アークが言う。


「ライラと話をしたようだな」

「え……知ってるの?」

「ああ、この地のことは何でも知っているからな、俺は」

「でも、リリーさんの居場所は知らないんですよね?」

「……リリーの居場所以外なら何でも知っている」


 訂正ていせいするアーク。なんだか、子どもっぽく感じる。

 アリスは一息ついてから、話し始める。


「私、ライラに凄いことを言ってしまったかも。孤児院の子ども達が契約した悪霊デーモンを、全部倒す、みたいな」

「そうか、すごいな、頑張れ」

「……どうしたらいいのかな」

「俺に聞くのか?」

「確かに……私……馬鹿みたいだ……」


 悪霊デーモン相手に、自分は何を吐露とろしているのだろう。


「……強くなりたい」


 そう、呟く。アークに言ったわけではなかったのだが、聞き返してくる。


「何故、そんなに強くなりたい?」

「……大切な人を守りたい」

「お前が守りたいのは誰だ?」

「……妹と、憧れの人と、他にも、たくさん……」

「そいつらを守って、どうしたい?」

「……一緒に笑い合える、未来が欲しい。私の……居場所が、欲しい……」

「そのためにお前には、何ができる?」

悪霊デーモンを……狩る」

「ふふふ……」


 アークは楽しそうに笑う。


「じゃあ、いいことを教えてやろう」


 アークはアリスのほほを片手ではさみ、無理やりこちらを向かせる。 蒼石そうせき色の瞳を光らせて、アリスを見据える。


「俺はなんだ?」

「……悪霊デーモン?」

「そうだ。そして、ただの悪霊デーモンじゃない。この地で、一番強い、悪霊デーモンだ。俺を狩ることができたら、それはそれはお前は強くなれる。お前の望む願いだって、何だって叶えることができるだろうよ……どうだ?」

「何でも……?」

「ああ」

「あなた一人、狩るだけで……?」

「ああ」


 アリスは、星空色の瞳をキラキラと輝かせて、アークを見つめ返す。


「ふふ……ははは」


 アークは笑い出す。いかにも悪い魔物、といった感じの笑い方だ。


「いいぞ、いつでもいいぞ。卑怯ひきょうな手でも何でも。これなら勝てる、というものを見つけて挑んで来い。待っているぞ、アリー」


 そう言うと、いつものように外套がいとうひるがえし、去っていく。


 アリスは一人、拳を握り、微かに笑みをこぼした。



◇ ◆ ◇



「ふふん、ふ~ん♪」


 アリスと別れた後、アークは鼻歌交じりに夜の散歩を楽しんでいる。

 

 その後ろを、赤いリボンを首に巻いた二匹の黒猫がついていく。

 アークが歩みを止めると、二匹の黒猫はきり状になり——二人の男女の子どもへと姿を変える。


 あでやかな黒髪は、猫の耳のように両側がぴょこんと跳ね上がっている。女児の髪は肩より上でぱつんと切り揃えられていて、男児の髪はそれより短く、寝ぐせのように所々跳ねている。淡青と金色のオッド・アイは、鏡に映したように、左右が反対だ。


「……なんでご主人はこんなに上機嫌でありますか?」


 女児が、不満そうな顔をして、男児にこそりと言う。


「さあ……」


 男児もいつもと違う主人の様子を、不審ふしんな目で見ている。


「なあ……クロ」

「はい?」


 男児の方が答える。


「俺は新たな楽しみを見つけたんだ」

「はあ……そうですか……」


 クロと呼ばれた男児は、あまり興味なさそうに、答える。


「楽しみって、あのメスガキでありますか~? ネコちゃんは反対であります。あいつ、木に登ってたネコちゃんの身体を勝手に触ってきたでありますよ? 非常識!」


 自らを『ネコちゃん』と呼ぶ女児は、不機嫌な声で言う。


「だって、面白いではないか」


くつくつと笑うアーク。


「俺を一瞬でも『狩れるかもしれない』って思ったんだろうな……あの時のアリスの顔は傑作けっさくだったぞ」


 まるで、自分が神か、少女の初恋の男にでもなった気分だった。

 あんな瞳で、人間に見つめられたことは、今まで存在していて一度もなかった。



「さて、どんな風に、俺を殺しに来てくれるのだろうな」

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