第29話 夜明けの光 Ⅰ

 魔宴サバトから一夜明け、アリスはキッチンの椅子に座って腑抜けている。


 マラキア城から馬車で家まで送ってもらったが、やることが何もないので嫌なことばかり思い出してしまう。


 とりあえず、昼食に茶色のパンと何の肉だか解らない缶詰を食べ終える。

 伯母は相変わらず帰ってこないし、帰ってきた形跡もない。

 エクスはずっと指輪のままだ。


「……エクス? 元気になった?」


 話しかけても、反応はない。

 家の中は静まり返っていて、閉じた窓から差し込む光だけが、家の中を照らしている。


(ちょっと……気分転換に、散歩でもしてこよう……)


 思い立ち、家の外へと出る。

 アリスは一人でぶらぶら歩きながら、今朝、セトに言われたことを思い出す。



 ——俺達、しばらく、距離を置こう。



(距離を置こう……距離を置こう……あれよね、別れる前の男女が、とりあえず言うやつ、みたいな……)


 しばし思いを巡らせ、ある見解に辿り着く。


(私、もしかして、セトに……振られた?)


 頭の中に、わずかに衝撃が走る。


 何か嫌われるようなことをしただろうか。いや、もうそれは今更な気がする。

 それでも、まさか、こんな展開になるとは。

 セトと結婚できないとなると、アリスは士官学校卒業後、どうすればいいのだろうか。かつての母のように、王都騎士団リリウム隊に入るしかないだろうか。しかし、アリスの今の成績では、王都騎士団から声はかからないだろう。


(どうしよう……でも、何も考えられない……)


 両親と妹が亡くなってから、毎日、将来が不安で仕方がなかった。未来のことを考えては憂鬱ゆううつになり、一人枕を濡らしていたというのに。


 ここ最近——エクスと契約してから、未来のことを考えている暇なんてない。


 アリスには、リリスを生き返らせるという、使命がある。

 妹といる未来を手に入れる。それ以外、何もかもがどうでもいい——


 街に、昼鐘ひるがねが響き渡る。


 特に何処へ行こうかと考えていた訳ではないが、気が付くといつも同じ場所に辿り着いてしまう。広場を抜け、小さな街道を入った先にある、お気に入りの教会。

 正門へ近づくと、にぎやかな声が聞こえてくる。孤児院の、子どもたちだ。


「あ! この間の、お姉ちゃんだ!」


 前回、アリスの腕を引っ張り、遊びに誘ってくれた女の子が声を掛けてくる。


「こんにちは。あれ? 神父様はいないの?」


 神父らしき人が近くに見当たらなかったので、尋ねる。


「神父さまなら、祭壇さいだんにいるはずだよ」

「そう、ありがとう。挨拶してくるね」

「あ、お姉ちゃん、ちょっと待って」


 そう言うと、女の子は懐から何かを取り出す。


「はい、これ、あげる」


 黄色い押し花のしおりだ。あざやかな花びらが、輝く太陽のようだ。


「あら、とても綺麗。もらっていいの?」

「うん。このあいだの、遊んでくれたお礼」

「嬉しい、ありがとう」


 子ども達と触れ合うと、穏やかな気持ちになる。ぽかぽかとした気分に包まれ、アリスは祭壇さいだんへと向かう。



 建物内に足を踏み入れる。

 柔らかな光に、落ち着いた雰囲気。ここだけ、時の流れが遅くなったように感じる。

 祭壇さいだんの前に、祈りを捧げる神父がいる。

 昼の光を受けて輝く赤い髪に、颯爽さっそうとした背中。


 集中しているようだったので、声を掛けるのを止めようか。そう思った瞬間——


「……また、貴女に会えると、思っていました」


 神父の方から、話しかけてくる。


「あ、すみません。お邪魔でしたか?」

「そんなことありません。美少女からのお誘いは、いついかなる時でも大歓迎です」


 とびきりの笑顔で答える神父。


「そ、そうですか……」


 相変わらず少し変なことを言ってくるが、いつも通りの優しい笑顔を向けられ、安堵あんどする。


 アリスと神父は長椅子に腰かける。


「はあ……」


 溜息をついて、壁画を見つめる。


「学生さん。なんだかお悩みの様子ですね」

「え、そう見えますか……?」


 昨晩は思ったよりもよく眠れたので、疲れた顔はしていないと思うのだが。


「私でよければ、話だけでも聞きますよ。一応、神父なので」


 金色の双眸そうぼうを細めて笑う神父。


 さすがに、魔女ウィッチ大悪霊アークデーモンについて話すわけにはいかないが——

 アリスは一呼吸おいて、話し始める。


「……最近、少し生活が変わったんです。今まで、できなかったことが急にできるようになったというか。やるべきことが……できたと言いますか」

「はい」


 神父は、まるで父親のように、アリスを優しく気遣うように聞いてくれる。


「周りによって変えられただけなのに。私、自分が変わったような……特別な存在になったような気がして、おごってたんです。そのせいで、仲間……というか、相棒? のような存在に、怪我をさせてしまった。私がもっと用心していればよかったのに。私、いつも大切な人を守ることができない……」


 妹も、憧れの人も、エクスのことも——


「こんな私に、願いを叶えることなんて、できるのでしょうか……」


 なんだか訳の解らない相談をしてしまっている気がする。不安になって神父の顔を見たが、神父はにこりと微笑んで、言う。


「願い……ですか。この間、悪霊デーモンでもいいから力を貸して欲しい——と言っていた、願い?」

「え、はい……覚えてたんですか。恥ずかしいです……」


 アリスは焦る。危険な思想しそうを持っている子どもだと思われただろうか。


「いえ、恥ずかしくなんかないですよ」


 神父は遠くを見つめながら、続ける。


「人は奇跡を起こせない。ですが、奇跡じゃないと、どうにもならないような願いを抱いてしまうことがある。そうなったときに頼るのは、人ならざる力です」

「人ならざる力……」

しゅや天使の力だったり、悪霊デーモンの力だったり、ですね」


 神父は黄金の目を光らせ、アリスを見る。


「学生さんは、どんな奇跡が欲しいのですか?」

「え……それは、ちょっと……言えませんが……」

「誰にも言いませんよ」


 優しげなのに、強く突き刺さるような目。

 圧倒あっとうされるような感覚に負けて、アリスは言う。


「……大切な人を、取り戻すための力が欲しい……です」


 ——死んだ者を生き返らせたい、とまでは言えない。


 神父は、なるほど、と言う。そして、静かな声でこっそりと呟く。


「……だから貴女は、あそこにいたんですね」


「はい?」

「いえ。解りますよ。私も似たようなものです。私も、大切な人と離れ離れになりましたので」

「神父様も……ですか」


 神父はアリスへと視線を向けて、言う。


「……学生さん。お暇なら一つ、御伽噺おとぎばなしを聞いていきませんか?」

「え……はい。構いませんが」

「ありがとうございます」


 神父はそう言うと、優しく微笑み——小さな沈黙を経て、語り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る