第11話 黄金の御手 Ⅱ

 明るい朝の光が差し込む、士官学校の教室前。

 金髪の美しい少年が一人、不審者のように彷徨うろついている。


 セトは、教室に入らず悩んでいた。立ち止まり、鞄の中に入れてある、深紅の美しい箱を開ける。

 王家御用達の職人が作った、精巧せいこうな首飾り。婚約式の夜、アリスがいつも着けている首飾りの代わりに、渡す予定だったものだ。


(はあ……)


 深く溜息を吐く。


(アリス、めちゃくちゃ怒ってたよな……あれから一度も会話してない。いつの間にか客人に紛れて帰ってたみたいだし)


 元々、アリスとセトは良い関係とは言えない。幼馴染の間柄ではあるが、仲が良かったわけではなく、お互いの目的のために婚約したにすぎない。だが、憎み合うのは違うだろう。少なくともセトはそう思っている。


(あいつ、いつもは何言っても何してもほぼ無反応なのに。そんなに大切にしてる物って逆に怪しくないか? 男か? 男から貰ったのか? 俺と婚約してるのに?)


 再び嘆息するセト。ここでもたもたしていても何にもならない。


(……とりあえず、話に行こう)


 意を決して、教室へと足を踏み入れる。

 初夏とはいえ、エディリアはまだ寒い。教室の暖炉には火がついている。その暖炉に一番近い席に、アリスが座っている。

 隣へ行き、鞄を置く。アリスはちらりとも振り向かない。仕方なく座り、セトの方からアリスに声をかける。


「おま……ア、アリス」

「え……?」

 

アリスはぼーっとしているような、何も考えていないような顔でセトを見る。とろん、とした目に胸がどきりとする。


(あれ? 怒ってないのか?)


 セトは少し安心して、話題を切り出そうとする。


「アリス……この間のことだけど」

「この間……って? 何?」

「はあ⁉ だから婚約式の……」


 アリスの腑抜ふぬけた反応にセトは苛立ったが、すぐに様子がおかしいことに気が付く。

 青い瞳はいつもよりぼやけているし、額には汗がにじんでおり、頬が火照っているように見える。いつもより弱々しく、気力を失っている様子だ。


「お前……体調悪いのか?」



◇ ◆ ◇



 ——身体が熱くて痛い。


 セトに医務室に連れていかれ、教師に帰るように言われた。アリスは午後の講義を受けずに、帰宅することとなった。


「ったく……体調悪いなら最初から来るなよ」


 別にいいと言ったのだが、セトが家まで送ってくれる。恐らく、アリスを心配したわけではなく、講義に出たくないだけだろう。


(身体が痛い……朝起きてからずっと……)


 今までに感じたことのない痛み。しばらくすれば治るだろうと思って学校に行ったが、どんどん痛くなってきて、熱まで出てきた気がする。


「あのさ、アリス……」


 セトが何か話そうとしているが、全く集中できない。


(疲れたな……セトと何があったんだっけ。色々ありすぎて忘れた……婚約式があって、あそこでエクスと会って……聖堂の門がなんたら……)


「あ‼」

「ひっ⁉ なんだよ?」


 急に大声を出すと、セトが跳び上がる。


(今、王家の人に、聖堂のことを聞ける機会だわ!)


 アリスはセトへと向き直り、言葉を発する。


「セト、お城の聖堂って、最近使われてないの?」

「は? 急になんだ? しばらく王家に子どもは生まれてないし、使ってるのは見てないけど……」

「誰が管理してるの?」

「うん……? 俺はよく知らない。兄様なら知ってるかもしれないけど」


 セトが兄様、と呼ぶのはエディリア第一王子のことだ。セトとの婚約が決まった際、一瞬だけ挨拶をしたことがあるが、ほぼ面識がない。彼が聖堂の門を閉じる術をかけているのだろうか?


「殿下に、入れないか聞いてみてくれない?」

「は⁉ 何で?」

「いや……ちょっと……見てみたくて。駄目かな?」


 アリスの言葉を受けて、セトの表情がくもる。


「……最近、兄様、あまり話してくれないから……」

「そうなの? 昔は仲良かったじゃない?」

「イヴ兄さ……猊下げいかの様態が良くないのか……最近猊下の部屋にずっといて……顔も合わせてない」

「そう……なの……」


 心底心配そうな顔をするアリス。それを見て、セトは苦しそうに表情を歪めた。



 アリスとセトは無言で歩き続け——自宅の前へと辿り着く。


「……じゃ、今日はこれで」

「……ああ」


 気まずい空気の中、玄関の扉が急に開く。



「見てくれアリス! 庭でいい感じの棒を見つけた!」



 家の中から出てきたのは、元気いっぱいのエクス。

 急に浴びせられた幼児の熱気で、アリスは無表情になる。


「あと、知らない人が入ってきたんだけど、アリスの家族?」


 ここで反応したらセトに不審ふしんがられる。アリスは無視して家の中へと入ろうとした——その時。


「え……誰?」


セトが反応する。


「あれ? こいつ俺のこと見えてるっぽい?」


 エクスが少し驚いた顔をして、口にする。

 セトはエクスを指さしたまま、口をぱくぱくさせている。


「え……え⁉ エクスって私以外の人には見えないんじゃなかったの⁉」

「見えないはずなんだけどな。まれにいるんだよ。霊がこっち側に近すぎて見えちゃうやつが」


 混乱するアリス。そんなアリスに同じく混乱したセトが詰め寄る。


「アリス⁉ お前、俺というものがありながら男と同棲どうせいしてたのか⁉ いつからだ? お前が俺に無関心なのはこの男が本命だからか⁉」


 怒っているのか悲しんでいるのか解らないが、生粋きっすいの美少年は半泣きになる。


「ちっ違う! この子は、えっと……母さんの遠い親戚しんせきで! 大きく見えるけどまだ子どもなの! 赤ちゃんなの!」


 咄嗟とっさに言いつくろうアリス。


「俺、赤ちゃんじゃないぞ。もう三歳だ」


 したり顔で『三』を示した手を突き出すエクス。


「三歳⁉」

「……これは最近ハマってる冗談で! 本当は十二歳ぐらい! ベルマリアから来て、しばらく家で預かってるの!」


 セトは疑いの目でアリスとエクスを交互に見ている。別に浮気をしたわけではないのだが、アリスの心臓はドキドキと早鐘はやがねを打つ。



「アリス——何してるの」



 不意に、第三者の声が響く。

 振り向くと、玄関の扉を少し開けて、ヘロディアスがこちらを見ている。


「伯母様……」

「あ……ヘロディアス殿……御無沙汰ごぶさたしております」

「セト殿下!」


 伯母は前へと歩み出て、アリスには見せないような笑顔をセトに向ける。


「……うちのが何かしましたか?」


 ヘロディアスの言葉を受け、セトは再びアリスとエクスを見る。


(あれ……アリスの伯母上、普通にしてるな……親戚っていうのは、本当なんだ)


 納得がいったのか、セトは何事もなかったかのようにきびすを返す。


「何でもないです。アリスはちゃんと休めよ。では、失礼します」


 そう言って、セトはアリスの家を後にする。


「……どうしたの?」


 興味もないくせに、伯母が聞いてくる。


「学校で体調を崩したので……セトが送ってくれました……」

「そう……」


 ヘロディアスはアリスのことを見もせずに家へと入り、吐き捨てるように言う。


「めんどくさい子ども……」

「…………?」


その様子を、不思議そうな顔でエクスが見つめていた。

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