第6話 血濡の天使 Ⅱ

 放課後。アリスは一人になれる場所を探して、空き部屋に入る。


 どうやらエクスは、アリスにしか見えないらしい。だとすると、人目のある場所で会話したら、一人で喋っているヘンな人物になってしまう。


「いやあ、学校楽しかったな~」

「いつもよりすごく疲れた……」

「なんで?」


 お前のせいだ、と心の中で思う。気が気でなかった。子連れの親とはいつもこのような気分なのだろうかと、何となく同情する。


「この後は予定ないよな? 聖堂の門を開ける方法を調べなきゃなのだが、悪霊デーモンも放っておけないし……」


 椅子に座り、ガタガタとさせて喋るエクス。これは他の人から見たらどう見えるのだろうか。椅子が勝手に動いているように見えるのだろうか。それよりも——


「あのさ、何で私があなたを手伝うことが決定してるの?」

「んえ? 昨日、契約しただろ?」

「あれは、必死だったから……もう一度、ちゃんと話を聞いてからじゃないと……」

「もう取り消せないぞ」

「えっ?」


 エクスは指を立て、唇に添える。


「お前と誓い、交わしちゃったし」


 その仕草を見て、昨日、エクスに口付けされたことを思い出す。


「そっ、そういえば……昨日……!」


 急に、エクスと視線を合わせられなくなる。


「私! 好きな人とも婚約者ともしたことなかったのに!」


 アリスは顔を真っ赤にして、詰め寄る。


「おい、しゅへの誓いの儀式ぎしきを情欲でする接吻せっぷんと一緒にするな」

「じょ……」

「いいか、あれは、お前が誓った言葉を閉じ込めるために必要な儀式だ。挙式における接吻もそうだ。それなのに最近の若い者は恥ずかしいだの気持ち悪いだの……全くもって度し難い」


 子どもっぽいのかと思っていたのに、急に年寄りくさいことを言い出すエクス。


「天使は悪霊デーモンを狩るのに人間の相棒を選ぶ。人間がいた方が色々と都合がいいんだ。そしてお前は俺に選ばれて聖女セイントとなった。俺が死ぬかお前が死ぬか、お前が大人になるまで、この関係は続くってわけ」

「そんな……」


 ただでさえ、アリスは他人に支配されて生きている。それなのに、天使にまで使い潰されるとは——己の不運を呪いたくなる。


「まあまあ、タダで手伝ってもらおうってんじゃない。お前にもいいことがある」


 そう言ってエクスは、赤い宝石のような双眸そうぼうを細める。


「天使には聖女セイントとなった人間の願いを叶えられる能力がある」

「願い……?」


 何処に入れていたのか解らないが、エクスは腰のあたりから一冊の本を取り出す。


「じゃじゃーん」

「……何の本?」

「俺が作った願望目録だ」

「お手製なの?」


 アリスは胡乱うろんげに受け取り、願望目録とやらをパラパラとめくってみる。


「庭の草刈り、馬車の調達……これ何?」


 質問を投げかけると、エクスは得意げな顔をして答える。


「アリスが聖女セイントとして俺と一緒に悪霊デーモンを狩れば、そこに載ってる中から好きな願いを叶えることができるんだ! すごいだろ!」


 読み進めていくと、後ろの方のページになるほど、非現実的な内容になっていく。


「性転換とかあるけど……これ本気で言ってるの?」

「ん? ああ。ちなみに後ろのページになればなるほど、たくさんの霊素れいそが必要になるから、たくさん悪霊デーモンを狩る必要があるぞ」


 霊素、というのが何かよくわからないが、そういう仕組みなのか、と理解する。だが、内心穏やかではない。こんな、奇跡みたいな力が、本当に存在するのだろうか。

 アリスは、こんなことができてしまう能力を、与えられてしまっていいのだろうか。


「昔はな、天使側で聖女セイントの手柄に応じた褒美を考えていたらしいんだがな。肖像画の入った皿をあげたらいらないって泣かれたことがあるらしくて、最近は選ばせる感じだ」


 半信半疑でページをめくっていたが、アリスはある項目を目にして、動きが止まる。



 ——死者の蘇生そせい



「……噓でしょ? 死者の蘇生なんて……」

「嘘ではない。まあ、大変だけどな。かなりの数の悪霊デーモンを狩らなくちゃいけない。それも強いやつを」


 アリスの心臓が、早鐘を打つ。項目を指し示す指が、震える。

 必死に声を絞り出し——目の前の天使に問う。


「……数年前に亡くなったとかでも?」

「できるぞ」

「……魂が死の国にちていたとしても?」

「できる」


 アリスの表情が強張こわばる。そんなアリスを不思議そうに眺めて、エクスが言う。


「まあ、焦って考える必要はないぞ。願いは前もって決めておく必要はないからな。注意点は、死ぬ前に叶えろってぐらいかな」


 猫のように伸びをして、エクスは空き教室の窓の方を見つめる。

 西日が部屋全体を橙色に染め、埃がキラキラと輝いている。


「ほら、アリス。日が落ちてきた。もうじき夜になるぞ。お前は昨日までの、夜に怯える子どもじゃない。自分の力で、願いを叶えることができるんだ」


 美貌の天使は——魅惑的に、笑う。


「一緒に来るよな?」

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