第1章

第1話 夢裡の少女 Ⅰ

 この地は神に選ばれた。だからここが楽園だ。



 かつて、ローラシアと呼ばれた大陸の南西端に『選ばれし地』と呼ばれる場所がある。


太陽と水に恵まれた、肥沃ひよくな大地。豊富な資源、天然の要塞ようさいとなる山——人々が生活する上で必要なものは、全て揃っていた。


 その地の中心部に『天使の都』と称される、王都エディリアがある。

照りつける太陽に乾いた空気、どこからともなく漂ってくる花の香り。小路がたくさんある迷路のような城塞都市じょうさいとしだが、大通りに出ると様々な店が並び、大いに賑わっている。行き交う人々は笑い合い、子どもたちのはしゃぐ声が響き渡る。


 絵に描いたような、美しい風景。そんな大通りを、仰々しい馬車が通る。二頭立ての、そんなに大きなものではないが——屋根にはまばゆい装飾が施されていて、その中心には王家の紋章が据えられている。


 馬車には、ひとりの少女が乗っている。


 腰より少し上ぐらいまで伸ばした銀色の髪に、星空色の瞳の少女。大きくも小さくもない、女性の平均的な身長である。上品な紺色のワンピースに身を包んでいて、その服装から、王家のものではないが、中流階級以上の者であることが分かる。

 馬車の窓から見える美しき王都を横目に、可憐な少女の瞳は虚ろで濁っている。

 まるで、これから死刑が執行される罪人のように。



 馬車は王都の大通りを上りに上り、南北西の三方を森と断崖で囲まれたところに位置する、マラキア城と呼ばれる王城へとたどり着き、城門で停止する。白を基調とした美しく壮大な城であり、高さの異なる塔がいくつも建っている。少女はこの城に来るのは二回目だが、その規模に圧倒される。


「お待ちしておりました、アリス様」


 馬車を降りると二人の使用人が少女を出迎えてくれる。


「あ……本日はよろしく、お願いします……」


 アリスと呼ばれた少女はスカートを摘まみ、膝を軽く曲げて挨拶をする。


「では、こちらへ」


 使用人は、アリスを王城へと案内する。

 王城の中は華美かつたくさんの装飾品があり、清掃も行き届いていて埃ひとつ落ちていない。日中だがあまり外から光が入らないため、そこら中にある水晶のシャンデリアには火が灯されている。

 しかし、城内はひどく薄暗く感じる。たくさんの人が仕事をしたり暮らしたりしている場所のはずなのに、なんというか、生気が感じられない。


(王が病に臥せているからなのかしら)


 アリスは思ったが、この重苦しい空気は己の気分の問題なのかもしれない。それほどまでに気持ちが澱んでいるのが、自分でも解った。



 広い城内をひたすら歩き——アリスは東の塔の三階の控室に案内される。

豪勢な鏡の前に座らされ、使用人が二人がかりで手際よくアリスを飾り付けていく。

 アリスは半分息を止めながら、されるがまま状態となった。

 銀色の髪は両サイドを編み込まれ、まとめられる。青色の生地に白い花の刺繍が施された美しいドレスは、お腹周りが苦しくて、式中に気分が悪くならないか心配になるほどだ。


 完成したアリスを見て、したり顔で使用人は言う。


「なんとお美しい、さすがは第十三王子の許嫁殿」

「ドレスもこんな美少女に着られてさぞ嬉しいでしょうね」


 アリスとは正反対に、使用人たちは楽しくて仕方がない様子だ。


「アリス様、本日の予定ですが、まずは王妃殿下との謁見えっけん、その後は準備ができ次第、婚約式を行います」

「婚約式には士官学校のご学友や王都騎士達も参加されるそうですね」

「いいですねえ、楽しみですねえ」

「え、あ……はい……」


 よく喋る使用人たちにたじろぎつつ作り笑いを浮かべて答える。


 だが、次の瞬間——


 控室の扉が吹っ飛ぶように開く。


 誰かが蹴り開けたのだろう。使用人たちが小さく悲鳴をあげる。

 ずかずかと部屋に入ってきたのは、絵画の中から出てきたような美少年。


 肩上で切り揃えた、太陽の光を固めたような金色の髪。長いまつげに縁取られた澄んだ空のような淡く青い瞳。アリスよりいくらか高身長だが、ほとんど少女のような容姿。そんな美しい少年の顔は——ひどく不機嫌そうに歪んでいた。


「では、私たちはこれにて……」


 使用人たちは露骨ろこつに美少年を避けるようにして、部屋を出て行ってしまう。


「……アリス」


 少年はアリスに近づき、男には不必要なほどに愛らしい顔を近づけて言う。


「いいか? 余計なことは何もするなよ。お前はただ座ってりゃいいから」

「……わかってる」

「何かしようだなんて思わなくていいからな。どうせお前、何も出来ないんだし。王妃殿下と兄様に失礼のないようにだけ気をつけろ。他はどうでもいい」


 容姿のせいですごんでいても大して怖くないが、アリスは素直に答える。


「……セトの言う通りにする」

「…………」


二人の間に沈黙が流れる。しばらくして、セトと呼ばれた美少年はアリスの顔をじっと見て、一言だけ発する。


「お前、見た目だけは良いよな」

「………そう」


 どの口が言うのかと思うが、アリスは何も言い返さない。

 ふん、と不機嫌に鼻を鳴らすと、セトは部屋の外へと出ていく。


 一人になったアリスは、持参した鞄の中から何かを取り出し、それを手のひらに乗せて大事そうに眺める。


 金のチェーンにレースの透かし模様が入った、華奢な首飾り。

 アリスはそれを首にかけると、胸の前で祈るように握る。


「猊下、どうか、私に力を——」


 小さく呟いたその言葉は、広い室内に無情に響いた。

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