ダクスの女神 〜薄幸少女は天使と契約して聖女となる〜
森松一花
プロローグ
第0話 彼女が女神になるまで
少女は五年前、神に嫌われてしまった。
その証拠に今、死の
夜の森は闇よりも濃く、辺りは獣の鳴き声ひとつない。ただ、何かが木々をかき分け、なぎ倒す音だけが聞こえてくる。
少女は逃げるどころか立つことすらできずに、ただ木の陰に隠れて震えている。自慢の長い銀色の髪はぐしゃぐしゃになり、婚約式のために着せられた青のドレスは泥ですっかり汚れていた。
少女のすぐ傍では、死が
もうすぐ、こちらに近づいてくるだろう。
少女は己の死を覚悟した。まだ自分に死を恐れる気持ちがあったことに驚いたが、同時に死ぬことへの安心感もあった。
だって、アレに喰われれば、きっと妹と同じ場所にいける。
少女が生きることを諦めた瞬間——
「なあ、ちょっといいか?」
誰かが小声で、少女に話し掛けてくる。
「は……」
少女は思わず間の抜けた声を出す。
声の方角を向くと、少女よりも低い位置、
非現実的な美貌と、危機的状況で声をかけてきた非常識さに面食らって、少女はこの青年が人間なのかどうかすら判断できない。
「あそこでお前を探してる
「…………」
少女が何も言えないで固まっていると、青年は上体を起こし、少女の顔の前でぶんぶんと手を振る。
「もしもーし?」
青年は少女の顔をのぞき込む。揺れた白髪に月の光が反射して、頭に光の輪っかがあるように見える。
「……天使?」
思わず少女は口にする。が、青年はその言葉に何の興味も疑問も持たなかったのか、聞き返すことなく次の言葉を発する。
「どうする? 俺は別にここでお前が
青年の急かすような態度に少女は焦り、何とか声を絞り出す。
「助けてくれるの……?」
一度は死を受け入れたが、目の前の希望に縋りたくなる。
青年のことを必死になって見つめると、青年は期待したような目で少女を見つめ返してくる。
「俺のことも助けてくれるなら。どう? 俺と契約する?」
キラキラと輝く、まるで悪戯をする前の幼児のような顔。
一瞬、見惚れてしまいそうになるが、そうこうしている間にも——死は
「ねえ……助けてくれるなら早く……こっちに来るから……」
少女は震えながら静かに
「お前、名前なんていうの?」
「ア……アリス」
「じゃあアリスはさ、俺と助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓う?」
「は……? え……?」
アリスにはこの青年が何を言っているのかが、全く理解できない。
ただ、この状況を変え、アリスを救ってくれる可能性があるものは他にはなく——今アリスにできることは、一つだけ。
化け物の咆哮が近づく——迷っている時間はない。
「誓う!」
アリスは青年だけに聞こえる程度に、声を張り上げて答える。
瞬間——にやりと青年が笑う。
「その誓い、受け取った」
そう告げると同時に、青年はアリスに口付けをする。
後になってアリスは、その口付けには誓った言葉を閉じ込めるという意味があり、絶対に違えることはできないことを知る。そしてこの契約は、アリスの運命——いや、アリスだけでなく、この地に住まう人々全ての運命を、変えることになるのだった。
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