第10話、生まれながらの王

 やはり、毒を盛ったのは大舟なのか。信じたくはないが、それなら理解できた。しかし、例え緑公ろくこうの遺児だとして「お前が毒を盛ったのだろう」と決めつけるわけにはいくまい。


 尚王は悩みながら蔵書閣に向かう。かんぬきは開いていて、中には見覚えのある姿があった。大史ではない。あの夜と変わらない幼い女の横顔。身長は俺よりずっと低い。女として成人してるとはいえ、自分とそう変わらない年の子が一人前に働いているのを見ると、なんだか居心地が悪かった。


璃珠りしゅ

「はあ」


 尚王のほうを見ずに返事が返ってきた。生意気なと思う一方、媚びへつらう様子がないのは嬉しい。誰も彼も尚王に王であれ、王らしくあれと言う。そう言って尚王の前で嬉しそうに頭を下げるのだ。王にしがみつき、甘い汁を吸って、いらなくなれば自分たちに都合のいい王に変えるくせに。


「ちょっといいか」

「仕事があるのですが」

「そうか。わからないところがあるので時間をもらえるか」


 璃珠は書を探す手をぴたりと止めた。何を探していたのだろうか。疑問には思ったが、今聞きたいのはこっちのことだ。尚王がじっと待つと、やがて璃珠がゆっくりと振り返った。その顔に影が落ち、表情がよく見えない。


「……なんでしょうか」

「どうして大舟を疑う?」


 十二年前だと璃珠はまだ小さい子供だ。知るはずがない。そう思えど、璃珠は何か知っていると確信があった。


「教えてもいいですが、対価が欲しいですね」

「対価?」


 いったい何を要求されるのかと尚王は身構える。王としてではなく個人的に知りたいことだ。勝手に何か大きなものを与えることはできない。そう心配する尚王に、璃珠は口元だけで笑って聞いた。


「聞きたいことがあるのです。天子様、皓華こうかはなぜ滅びたのでしょうか」

「……知らん。俺の生まれる前のことだ」

「では、なぜ、今、あなたが王としてここにいるのでしょう」

「俺は生まれながらの王だ。その他の生きかたはない」


 祖父は自ら王を名乗った。父も祖父と共に戦い、王になった。俺は違う。生まれた時から王の子であり、王となるべき者として育てられた。


「天から与えられたものだと?」

「いいや。人が俺のことを王だと思っているからだ」


 答えて初めて尚王は知った。であれば、先の答えはもう出ている。


「皓華の臣下であった我が祖父は、皓華王を王とは認めなかった。そして多くがそれに従った。ただそれだけではないか」

「……」

「俺は王だ。民のために望まれてあるものだろう。皓華は我が伯父を人質としながらいけにえとして殺したという。なぜ滅びたかと言えば民を侮ったからだ。俺はそのようなことはしない。絶対に」

「そうですか」


 暗い蔵書閣の中、璃珠の表情が見えない。尚王の答えをよしとするかいなとするかわからない。それでいいと尚王は思う。誰が何を言おうと、俺はこの華の王である。良き王として、人をまとめるかなめとしてありたい。

 そのように思えば、王だからなんだのと言われ続けてきたことがずいぶんくだらないことだと分かる。王であるための立ち居振る舞いとは、人を威圧するためのものではなく、人の心を安らかにさせるためのものだろう。王として堂々と厳かに、重々しくあるということはしっかりと国を治めるということだ。


「……しかし、臣に軽んじられるというのも気分が良くない」


 尚王は自嘲するように息を吐いた。璃珠が疑わしげな視線を送る。


「最近、塩の値が上がっている。厨房で聞き、自分の目でも確かめた。きな臭いが、叔父上も太師も何も言わぬ。市井を見ろと教えたのは彼らではないか。あやつらは何かを隠しているのではないか」

「信用なりませんか」

「いや、俺だけかやの外なのが気に食わないだけだ。それに、王として国を守るのは当然だろう」


 くすりと璃珠の口から吐息が漏れた。幼い顔が、年相応におかしげな笑いを作る。


「なんだ」

「いいえ。……なぜ疑ったか、でしたね。緑公ろくこうはご存知でしょうか」

「大舟が緑公の子だと知っていたのか?」

「はい。存じております」


 尚王はごくりと息を飲んだ。璃珠はどこでそれを知ったのだろうか。


「やはり、夜燈が緑公を処刑したためか」

「私には分かりかねます。しかし『殺さないように』毒を盛るのは、相手に気づいて欲しいからではないでしょうか。自分がこんなにも恨んでいるということを。……大宰様は気にしておられないようですが」


 夜燈はまったく毒の仕業だと思ってはいないようだった。ただの体調不良だと考えているようだ。もっとも、気づくとは尚王も思えない。あの叔父は自分のことにも人の心の動きにも鈍いところがある。

 尚王は額に手を置き、長い長いため息を吐いた。恨まれる理由はあったが、素直に納得はできない。それは逆恨みもいいところだ。


「賊を放ったのは緑公ではないか」

「それはどうでしょうか」


 しんとした蔵書閣に、ずいぶんと冷えた声が落ちた。


「……む?」

「大宰様が緑公を処刑したのは、おそらく、衡大公こうたいこう様を恐れてのことです」

「太師がどう関わるというのだ?」

「十二年前、緑公ろくこうの処刑を急がせたのは衡大公様でした」


 あの太師が。衡大公が緑公の処刑を早めた? 確かに、衡大公は大舟を腐刑にしたことを、善くは思っていないようだ。殺しておけばよかったのだと言った。それは国のためにだと思っていたが、これはまるで口封じではないか。何か不都合なことを隠しているようではないか。


「まさか、太師が賊に関わっているなどと。緑公をそそのかしたのは太師だとでも? 自分の孫を殺させるはずが」

「あり得ないことではありません」


 すっぱりと糸を切るような声に、尚王は言葉を失った。衡大公が孫である雅妃を殺すはずがない。そんなことをしても衡大公に益はないからだ。でも、益があったとしたら? 衡大公はそれをやるのだろうか。


「それで、王はどうします?」

「……それが本当だとして、俺はどうもできない。衡を滅ぼそうとすれば戦になる」


 軍事に秀でた大国と戦になれば華は疲弊する。また争いが起こるだろう。七王時代末期、我こそが王であると起こった戦は三百と五十年に及んだと言われる。そんなことを繰り返すわけにはいかない。

 だが……賊を王妃に向けた者を許せば、やはり国が乱れる。気づかなかったふりをしたいと思った。けれど、知ってしまったからには、王とは正しくなければならない。悪事を見なかったことにはできない。


「見逃すのですか?」

「……大舟と話がしたい。それからだ」

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