花散る季節に、新緑の君を思う
@heavenly-twins
花散る季節に、新緑の君を思う
あやうく「ゲゲゲッ」とあまり品が良くない、あるいは最近一部女性の間で流行している古典妖怪漫画のような声を出しそうになってしまったが、社長の眼の前でとうていそんな声はあげられない。
「わっ! すごいですね〜!」
目いっぱいの甲高い声をあげながら、目眩でおぼつかない視界いっぱいに広がる、新緑まぶしいアスパラガスの群れを見下ろす。社長夫人の家庭菜園の春の成果は弊社の業績と反比例するように好調だったのだという。スーパーで買おうと思ったらけっこうな値段がつきそうな量だ。しかし、弊社内の反応は冷ややかである。精一杯はしゃいでみせている私だって喜んでいるフリだ。すぐに食べられる差し入れならともかく、アスパラガスなんて急にもらっても困る他にすることがない。
「立派なもんでしょ〜! うちの奥さん♡」
私の愛想笑いにも気づかず惚気トークをかましているニブい社長はどうせ知らないだろうが、アスパラガスはおどろくほど足が早いのだ。一度でいいから冷蔵庫でどろどろにとけた悲惨な"かつてアスパラガスだったものの姿"を見てほしい。
「あやちゃん、いつもお弁当だから料理好きなんでしょ。買ったらけっこうすると思うよ。家計は助かるんじゃない?」
「う〜ん、そうですね〜」
ああ、弊社の安月給ではお弁当しか手段がないのだと言ったら、この社長はどんな顔をするのだろう。そして、これはイマドキ完全に男女差別案件だと思うのだが、社長がこういうときに男性社員に声をかけることはない。そして、IT系中小企業の弊社オフィスの男女比は脅威の9対1で、アスパラガスの陣に追い詰められた私の窮地を救ってくれる存在はいない。
「岩ちゃ〜ん、岩ちゃんもどう?」
鉄の女、いや、名前からすれば岩が正確だろうか、経理の岩崎さんは社長の声がけにも完全無視を貫いている。強い。強すぎる。私には真似できないことを平然とやってのける。そこにシビれるあこがれる。
「こんなにたくさんありがとうございます! 奥様にもよろしくお伝えくださ〜い!」
しかし、どんなにあこがれたところで、名は体をあらわすという言葉のとおり、
****
がたんごとん。がたんごとん。
新年度恒例のあれやこれやでめっぽう忙しい中、2時間の残業を終えた帰りの電車の中、ベースメイクの8割が剥げ落ちた私は多分死んだ目をしている。あるいは人を二、三人殺してそうな顔をしていると思う。
多摩ならいざしらず、というと多摩の人に怒られるだろうが、東京メトロ丸の内線には不似合いな土臭いビニールを両手にささげ持ち、通勤用のリュックを腹側に抱えながら、この憎きアスパラガスどもをどう料理してやろうかと考えることしかできない。
なるべくヘルシーで健康志向なメニューにしたい。金曜日には新卒の歓迎会が控えている。カロリーは極力抑えなければ。
湯がいて白だしにつけておかかをかけようか、ミニトマトとツナと和えてサラダにしようか、オーブンでシンプルに焼きびたしにしようか。
がたんごとん、がたんごとん。がったんごっとん、キキーッ、ドン。
『ただいま、最寄り駅構内でお客様トラブルのため、列車を停止しております。お帰りをお急ぎの乗客の皆様にご迷惑をおかけしますが……』
急停止した列車内に響く、車掌の疲れた声のアナウンスは、脳内を埋めつくす強い怒りに飲まれ、途中で聞こえなくなった。
頭が春のおめでたい連中の喧嘩沙汰が収まって、運転を再開した先でどうにか最寄り駅にたどり着いたら、自宅近くの普段は足を運ばない割高なスーパーに駆け込んで、新じゃがと新玉ねぎを買い込んで、ハシゴしたカルディでちょっといいベーコンとチーズを見繕って、両腕をふさぐ親の敵ごとしアスパラガスを滅多切りにしてジャーマンポテトに混ぜ込み、残りは簀巻きならぬベーコンチーズ巻にしつくして、冷蔵庫で数多の舎弟の安発泡酒に囲まれながら、うやうやしく鎮座まします秘蔵のアサヒスーパードライ様の500ml缶をあけてやる。
そう決意するまでの速さは、きっと桜の散り様にだって劣らなかったはずだ。
〈了〉
花散る季節に、新緑の君を思う @heavenly-twins
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