第14話 家族の肖像画 4

「旦那様ぁ?」


 ヒルダは怒っていた。それは、ものすっごく、怒っていた。


「なんですのっ! 実家に飾ってた絵!」


「ええと。ダメだったかなぁ」


 しょんぼりしたようなグースの態度にヒルダは懐柔されそうになった。いや、ここはちゃんと怒っておかねばならないところだ。ぐっとこらえて問いただすべきだ。


「ダメに決まってるじゃないですかっ!」


 問題が発覚したのは一時間くらい前である。

 修繕が終わったと数日前に聞いていたヒルダは実家にこっそり行ってみた。外観もきれいなったわと思いながら、ばーんと家の扉を開けた。

 薄暗い玄関ホールだったが、こんなこともあろうかと明かりを持ってきていた。

 隅だしとそっと見ないことにされていた端の壁紙もきちんと張りなおされていて、床もピカピカである。うんうん。と頷きながら、ヒルダは玄関ホールを見渡した。


「あれ?」


 前になかったものが、そこにあった。

 三枚の肖像画である。

 一枚目は、三姉弟の十数年前の姿を描いたもの。当時なかったもので、これはこれでいいと思えた。当時そんな仲良しでもなかったが、幻想の仲睦まじい姉弟を捏造してもいいだろうと。

 二枚目は現在の姉弟と配偶者が描かれたもので、これについてもヒルダはなにを言うつもりもなかった。むしろ、褒めてつかわすなどと上から目線で考えていた。


 問題は三枚目。

 ヒルダの両親の若かりし頃の姿が描かれていた。


「はぁっ!?」


 最近、出したこともないような声が出た。

 ヒルダは即、帰宅してグースの仕事場に突撃した。


 そして、今、グースの言い訳にもならない、いいわけを聞いている。


「いや、だって、ルード氏がどうしても描きたいっていうから……」


 挙動不審のグースにヒルダは渾身の上目遣いをお見舞いしてやる。うっと呟いたのが聞こえた。


「ごめんなさい。黙ってました」


「反省してください。うちの親は、描かれるのが嫌いだったんです!」


「あ、そっち」


「そっちってなんです。

 あれは隠居先に送り付けましょ。そうしましょ。嫌がらせです。ふふふ、帰ってきて驚くといいんです」


「燃せばよくないか?」


 ウェルがそんなことを言い出した。いつもは、同じ部屋にいても最後のあたりにしか口出しをしないのだが。

 ヒルダは驚いてウェルに視線を向ける。


「なにか怨念でも?」


「知らん人」


 そう返してきたが、ヒルダにはとてもそうは思えなかった。ウェルは微笑んでいるように見えたがその歪んだ口元が、少しばかり不穏だった。

 悪い方面での知り合いかもしれない。ヒルダはその可能性を失念していた。実入りがあるのかわからない商売に全投入していたころもあったので、何かやらかしていたかもしれない。


「僕が外すよ。一回並べてみたかっただけで、ちゃんと外すつもりはあったんだ」


「どういうつもりですの?」


「ヒルダって義父さん似だよねぇって」


「……不名誉ですわ」


 ヒルダも薄々感じていたところではある。エイルもヒルダも父系の顔だちを引き継いでいた。

 家族の誰も顔がいいなどと父に言わない。確認作業に過ぎないから。何なら祖父も顔が良かった。若いころはもてたんじゃという話を良く聞き、年上のお姉さま方には初恋はあの方で、と少女のように照れられるようなこともあった。そんなじじいだった。


「でも、義母さんの要素もあって、奇跡の配置だなぁって」


「…………褒めてます?」


「事実確認。

 ヒルダの綺麗は天然もの。すっごいなぁってルードさんと話しててそういう結論が出たからさ」


 美術的観点からの話だった。勢いに乗ったグースから絵画的専門用語があふれてきて半分以上ヒルダは聞き流した。つまり、美術品レベルでヒルダは美しい。そう言う話だ。

 ヒルダとしては怒りにくいが喜ぶのも何か違う気がした。鑑賞されるために生きているわけでもない。


「まあ、美しいだけじゃヒルダはダメだけどね」


「んんっ!?」


「喜怒哀楽を表現してくれる中身がないと」


 黙ってろとよく言われるヒルダである。

 中身入れ替えられないかとまで言われたこともある。余計なお世話だと即言ってやったが気にしてないわけでもない。


 それが、中身がいると! 今の中身でもオッケー! いけてると!


「ウェル、外出てもらえます?」


「ダメ。仕事が山積しているのに、ヒルダが休ませろとうるさいから減らないんだ」


「誰かにぶん投げりゃいいのに!」


「同意するところだが、抱え込み魔だから」


「あの、僕、別に普通」


「違いますわ」


「ちげーな」


 その点についてはヒルダとウェルは共同戦線を張っている。グースは仕事ができなければ価値がないと思い込んでいるところがある。結果、余暇なくすべて仕事で埋めてしまうタイプだ。それは婚約後も結婚した今も変わらない。

 その認識を変えるのはヒルダの役目だろう。腕が鳴るわぁ、溺愛しちゃう、というのはグース本人には秘密である。


「しかたありません。妥協しておきますわ」


 ヒルダはウェルが後ろを向いたことを確認して、グースに近づいた。仮面を外せるほどに。


「な、なに!?」


「私を嬉しがらせておいて、何もないなんて思ってるなんて、ほんと可愛い人」


「え、ええっ」


 動揺しているグースの仮面にヒルダは手をかける。ちょっとだけずらして頬にキスした。


「今日はこのくらいで」


「…………ほんと、君は、僕のこと弄ぶ」


「あらぁ、本気で弄んでもよいんですけどぉ?」


「ごめんなさい。仕事したいです」


「んまぁ、私より仕事なんて。

 ま、それでこそ旦那様ですわね」


 ふんと鼻息荒くヒルダは部屋を出ていく。

 肖像画について、ほかの画家の動向も確認しておくほうがいいだろう。なにせ、画家たちにとっては苦境にいたときに支援してもらった恩がある。勝手に描いてないとも限らない。釘差しは必要だろう。

 全く、面倒ばかりかける両親ですこと。ヒルダは顔をしかめたままのしのしと歩いていった。誰がどこにいるかというのはフレアのほうが詳しいだろう。あまり、両親のことで姉を煩わせたくはないが、なんの予備知識もなくアレを見る衝撃のほうが心配である。


「化け物じみた母と思ってましたけどねぇ……」


 父は年相応に老いていた。肖像画と現在にはきちんと年月の加算がある。年より老け込んでいるところもあるくらいだ。

 問題は母のほうだ。苦労しているような暗さを感じるところがあるように見えた。それが少々偽りである、ということにヒルダは気がついていた。若々しさを消すような化粧をしていた。

 素顔は、現在も肖像画とさほど変わらない。化粧には全く興味のないエイルはともかく、フレアも気がついていてもおかしくはない。


 そして、時期が違うときに我が家に滞在した画家たちも、それぞれ肖像画を描いたら気がついてしまうかもしれない。

 いつも、同じであった母の存在に。


「ヒルダ、ちょっと待って」


「なんですの? さすがに燃やすのは文化的損失ですわよ?」


 声をかけてきたウェルにヒルダは振り返る。グースを置いて追いかけてくるのはよほどのことでだろう。


「弟君のところも寄ってきてほしい。

 ルーナさんが調子が悪いと聞いたから、栄養剤を手配していたんだ。用法容量はメモがついている」


「わかりましたわ。

 調子の悪いというのも続いてるのは心配だもの」


「……まあ、そうだな。

 うん。今度は、ちゃんと」


「今度は? ってなんですの?」


「ん? 割らないように」


「気をつけますわ」


「……メイドの誰か連れていくだろ。そっちに持たせる」


 ヒルダに渡しかけた箱をウェルはひっこめた。ものすっごい不安になったのだろう。

 ヒルダには否定しがたい前科がある。あらゆるものを割ってきた自負もあった。ものが壊れるのは仕方ないけど、ヒルダがケガするのはなぁと言っているグースでも、本当の貴重品はさりげなく遠ざけている。

 それはそれ、これはこれ、というところだろう。


「あと、変なもの拾ってくるなよ。面倒はいらん」


「拾いません」


「と言って拾った野良猫通算10匹についてはどう思う」


「かわいい」


「俺は、猫はきらいだ」


「好かれてるようですけど?」


「味見されてる気がする」


 嫌そうな顔でウェルは言う。なお、一〇匹のうち8匹はウェルが里親をさがしてきた。猫好きに違いないとヒルダは思っている。口では嫌いとか言うツンデレ。


「夕食を食べてくるなら連絡すること。それから夜分遅くまでよその家にいない。

 ちゃんと手土産を買っていく」


「わかってますわ。なんか、もう、口うるさいんですから」


 ヒルダはウェルを追っ払うように手を振った。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 仏頂面でもウェルはそう言ってヒルダを見送った。



 ヒルダの突然の来訪にフレアは面食らったようだった。最近は事前に予定を確認することになっていた。

 ヒルダは今日は緊急事態ですのと押し入り、ちゃっかりお茶ももらう。

 今日はティエンは仕事で城に行って夕方まで帰ってこないらしい。とても都合がいい。


 ヒルダはフレアに肖像画の話をする。最初は怪訝そうな表情で聞いていたフレアだったが、何か気がついたことがあるようで、一時席を外す。


「確かに親の肖像画が描きたいけどいいか? という確認は来たわ。

 下書きを持ってきた人がいたから、並べてみましょう」


 そうして、並べた結果、ヒルダとフレアは表情をひきつらせた。


「……ほんと魔女」


「ですわ」


 作者の画風の違いはあれど、同じ女性を描いたと言えるくらいには類似していた。同時期に描いたのかというほどである。その隣に描かれる父は多少の年月の経過をかんじられるのに。

 若くて羨ましいというより、並べると怖い。若さ吸い取られているんじゃないか的に。


「本人がいないので許可できない、と断っておくわ。

 これが並んだら母が探されるし、実家も調べられるかもしれないし」


「魔女として?」


「そうじゃないわ。

 ここまで若いままというのは、何かあると思われるのよ。ありえないけど、不老不死とかね?」


「ありえませんけど、ああいうの、持病付きだったらどうするんでしょうか」


「病気も直して健康であることが第一条件になるわね。

 ……て、そういう話ではなく。もしこの絵たちが公開されたら若作りで通すしかないわ。すごい技術で何とかしましたって」


「あるいはお父様が急激に老け込んだんです、とか」


「そ、そうね」


 フレアはそう返していたが、声が震えている。


「もうできちゃった肖像画は隠居先に送り付ける予定です」


「そのまま並べてもいいんじゃない?」


「え?」


「一枚もないというのも、探られて困るものがると思われるでしょう?」


「まあ、そうですけど。エイルがなんていうか。

 これから寄るので聞いてきますが、姉様はいいの?」


「絵は悪さしないもの」


「確かに」


 ヒルダは嫌な思い出を呼び起こしはしないだろうか、と思うが言わないことにした。姉にしても思うところはあるのだろう。

 絵に関してはフレアのものが欠けることもない。相続もフレアの分がないわけでもなかった。そう言う公平さだけは残っていたのは救いかもしれない。


「私もエイルというか、ルーナさんのお見舞いに行きたいところだけど大勢で行ってもね。

 手伝えるところがあるか聞いてきて。家事はエイルがやるでしょうけど、引っ越しの荷物も片付いていないかもしれないし」


「わかりました。またお手紙だしますね!」


「ちゃんと前置きとか書きなさいよ? いきなり用件とか書かない」


「うっ。こ、ここでもお小言」


「言われているうちに直しなさいね」


「はぁい」


 ヒルダはそれ以上言われる前に撤退することにした。

 次はエイルの家である。引っ越し先は一軒家。前の部屋と比べるとかなり大きな家である。エイルがそのうち家族が増えるかもしれないし、といったことにヒルダは衝撃を受けた。

 誰ともちゃんとした関係を築きたくないと思っていた弟が、家族!? と。ルーナさんすごいと改めて感じたことだった。


 無職から食堂の店員にランクアップした弟は今日は不在だった。ちゃんと仕事に行っているそうだ。

 ルーナは調子が悪いといっても寝込むほどではないが、大事をとって休んでいるとことらしい。明日には仕事に復帰予定だが、長期休暇をとるための引継ぎをする予定らしい。


「そんなひどい状態なんですか?」


「お医者さんが言うには気を回しすぎというところらしいんですけどね」


「大変ですね……」


「来年には生まれるので半年は……」


「え、生まれる?」


「ええ」


 怪訝そうな表情でルーナは見返していた。


「エイルから、聞いていません?」


「なにもさっぱりこれっぽっちも!」


 あの野郎とヒルダは心の中で呟いた。どうせ、姉、大騒ぎする、めんどい、で黙っていたに違いない。大体あってる。

 あっているが! 甥か姪が誕生するのだ。騒いでもよかろう。


「おめでとう。そっか、エイルも父親に……なれるの?」


 いささか不安がよぎる。体力には自信がありそうなので力押しで行くのか。

 ヒルダはもし子供ができたら、早々に乳母を雇う予定である。これは周囲の意見とも一致していた。まあ、まだまだ先の話になりそうではあるが。


「どうでしょう?」


「辛そうなら、うちから人を派遣するから頼って!

 うふふかわいい子……」


 と呟いて、ヒルダははっとした。

 うちの弟、顔が良かった。ルーナも可愛らしく凛々しい。

 なんだかとっても美形な子が生まれそうな予感がする。あ、護衛雇おう。ヒルダは心に決めた。幼少期にちょっとばかり危ない目にあったこと数知れず。よくもまあ、無事だったなと振り返ることはある。


 どうしたのかな?と言いたげなルーナの視線にヒルダは愛想笑いを浮かべた。今は余計な不安は不要だろう。


「ええと、それならこの栄養剤ってそういうものかしら。

 ウェルからの差し入れなのだけど」


「ああ、以前お祝いしてもらったときに気がつかれてしまって」


 ウェルも黙っていたのか。ヒルダはあの野郎と再び心の中で呟いた。黙っていた理由もそう違わないだろう。そうなると知らなかったのはヒルダだけということも考えられる。

 つまりグースも……と考えてないなと却下する。そういうのは察しが悪い。


「使うかどうかはエイルとかと相談してからでおねがいしますね?」


 医師の判断も必要であろう。ウェルは信用できるとヒルダは思えるが、他人から見てもそうだとは限らない。

 ルーナは礼を言って受け取ってくれた。


「割れていないか確認してください。うっかりなんてことがあり得るので」


「中身は無事のようですけど、これ……」


 ルーナは中のメモを見て不思議そうな顔をしていた。


「どうしました?」


「見覚えのある字なんですけど、誰だったかしら」


「ウェルが書いたものではなさそう」


 二人で首をひねっても答えは出ない。ヒルダもどこかで見たような? という気はしているのだ。しいて言えば自分の字に似ているような気はする。

 わからない、とひとまず棚上げすることにした。


 そこからは多少の雑談をし、遅くならないうちに帰ることにした。エイルが帰るまで待つと遅くなりそうだったのだ。

 エイルの仕事場に顔を出して怒られたこともあるのでヒルダは伝言だけ頼んでおく。

 その翌日には好きにしたらというそっけない返事が届くことになる。

 

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