第12話 家族の肖像画 2
ティエンはフレアとヒルダの二人が書庫に向かいうのを見送る。ここに残ったのはグースとウェルの三人になった。
お代りいかがですか? とウェルが言いながらもう注いでいる。自分の分を用意して余った分を入れたようだ。無作法というより、いつもしているようなことのように思えた。今日はグースはお茶を飲んでいない。
グースのほうが、ウェルそれ他の人にしちゃダメ、と指摘していたが、ティエンはちょうどよかったですと返しておいた。
なんとなく置いてあった肖像画に視線を向ける。筆致に粗削りなところがあるが、それも味な気はしていた。色彩の数は少ないのが特徴とフレアが言っていたなとティエンは思い出す。
ティエンは絵画どころか芸術品に全く興味がない。この絵の善し悪しはわからないが、目力がすごいなと感じた。
「肖像画は他に何枚かあります。ただ、姉弟そろったものは一枚も見つかっていません」
「どうしてです?」
「さあ? 不思議なことにご両親のものもないんです。
この家には、家族がそろった絵が一枚もない。平民ならわかるんです。習慣上ないですからね。しかし、貴族家がそれをすることに違和感があります」
「絵を描かれるのがきらいだったんでしょうか」
そうティエンは言うが、嫌いでも残すものだと知っている。貴族でなくとも金がある家は一枚くらいは家族の絵を描かせるものだ。
グースもそうかもしれませんと同意したものの腑に落ちない顔をしていた。
「覚えていられるのが不都合だったから、ではないでしょうか」
ウェルがそう指摘する。
「顔を直接見たことがある人以外、誰も知らない。そして、記憶も薄れていつか誰も覚えていない。
そのほうが、都合の良いこともあります。例えば、夜逃げするときとか……って、知り合いが言ってました」
「そんな前から予定を立てる夜逃げなんてないよ。ウェル、どこかでやらかしてきたわけ?」
呆れたようにグースはそう言う。ウェルはしませんと俺は公明正大だからと主張していた。
ティエンもそう思うのだが、この家にあるものは、先を知っていたかのように準備されていた。すべて売り払えば、数十年は暮らしていけるほどだ。資産価値としては高い。
そんなものを用意していた人たちなら、もしかして。
そう考えて、現実的じゃないなとティエンは思い直した。普通は夜逃げしないようにするものだ。今もフレアの両親は行方不明だが、別に夜逃げでもない。
「まだ行方不明のままなんですか?」
「追えるところまでは確認しましたが、あるところで痕跡が全くなくなりました。どこかに消えたと言ったほうが正確かもしれません」
「神隠しというのも不自然ではありますね」
「まあ、ヒルダは別にいなくても困らないしというところなので追加では調べていません。
色々問い詰めたいことがあるので、本当は探しておきたいんですけどね。領地も大変なので」
「他にも何か?」
含みのある言い方だったのでティエンは一応聞いておくことにした。
「こう、中長期的な利益を見込んでの投資が多くて、領地単体での資金繰りがギリギリという感じですね……。
貴族としての暮らしは以前から投資していた会社からの配当などから賄っていたようなんです」
「それは赤字というものでは?」
「総収入的に言えば、釣り合ってゼロですね。今後、徐々に利益が増えていく見込みです。私が手を出すまでもない」
グースは利益が増えるというのに困り切ったような声である。
ティエンは商売のことも領地への采配もわからない。責任を持てないからと領地のない宮中伯から爵位を買ったほどである。まあ、これは別に城へ仕える責務がついていたりもしたのだが。元々、城にある研究所に誘われていたこともあるのでそこは困っていない。
「領主が居なくてもちゃんと運営出来ているということは、新しい領主がいてもつけ入る隙もないということなんです。
長い間かけてきちんと対処していたから、手をかけなくても問題ないことになっている。かなりイレギュラーなことをやっている。
それなのに引継ぎ資料がほとんどないんですよっ! なんで、少数民族や異種族が集落作って住んでるんです? 意思の疎通は通訳を通してますが、あってるのか不安になってくるし、なんだか怯えているし」
「……それは、大変ですね。専門がないか聞いてみましょうか?」
ティエンもそれなりに知り合いはいる。仕事上の付き合いが多いが、話はきいてくれるだろう。
多少は助けになるかもしれない。問題もつれてくるだろうが。
しばしの沈黙にいらぬ世話だったかと思えば、グースはすくっと立ち上がった。
「ぜひとも! ぜひとも紹介してくださいっ! 僕が魔王とか呼ばれて、聖女を監禁してるなんて不名誉な話はないと説得してほしいんです!」
「そ、そ、そうなんですか」
「ええ。僕のどこをどう見たら魔王なんて言えるんですか」
ぷっとどこかから噴き出した声が聞こえる。おそらくウェルだろう。
気のいい青年のどこが魔王らしいのか。ティエンは少し考えて、納得した。仮面と恰好である。そして、想定を超えて華憐で麗しいヒルダのせいのような気もした。
「連絡しておきます」
「どうかよろしく」
深々と頭を下げられ、ティエンは少々居心地が悪い。よっぽど困っていたのだろうが、そこまで力になれる気もしないし、期待させすぎもよくない。
そんな期待しないでくださいと言い募ろうと思っていた時に。
「お姉さまを案内してきましたわ。
……グース、なにしたんですの?」
間が悪くばーんとヒルダが扉を開けた。
「頼み事をしていたんだ」
「ふぅん?」
ヒルダは少し疑うような目でグースを見た後、ウェルに標的を決めたようだった。
「あー、ほんとなにもないので」
真面目な顔でウェルは言っているが、少しばかり口元がぴくついている。
にこりと笑ったままヒルダが近づくとグースは少しばかり慌てたようだった。大したことじゃないと言っているが、それは大体火に油注ぐことになるのをティエンは知っている。
案の定、ヒルダに問い詰められている。もしかしたら、魔王などと言われているということを隠していたのかもしれない。
「こっちは何とかなるので、フレアさんのところに行ってはいかがですか?
書庫は二階の奥です」
ヒルダを宥めるでもなく、ウェルはティエンに勧めた。主の救済はしないらしい。
少し二人を眺めてからティエンは部屋の外に出た。首を突っ込むと飛び火しそうだからだ。そして、なぜかウェルも外に出ている。
「そろそろうちの使用人もくるので出迎えにいってきます。
さすがに夕食のセッティングは俺一人では荷が重いので」
そう言って玄関に向かうウェルと別れて、ティエンは二階にあがる。ぎしぎりと軋む階段とフレアから聞いたことがあるが、本当にぎしぎしと音が鳴る。
小さい頃は楽しかった、ような気がするとフレアは話してくれた。普通の家族のように過ごしたこともあったのだと。
10数年前、祖父が亡くなるのを境に一変してしまった。あるいは、隠されていたものが表に出てきたのかもしれない。そういう彼女は寂しそうだった。
本当のところはなにもわからない。
ただ、完全な無関心というわけでもなさそうではある。
フレアがティエンと再婚してしばらくしてから、フレアの母と会ったことがある。ふらっと城に現れて、もし、困ったことがあったのならばこの杖を使ってほしいと渡してきたのだ。困ることがなければ、本人にも知らせないでほしいとも。
それは一本の枝の形をすこしばかり直したようなものに見えた。
黙っていようかとティエンは思ったが、フレアにそれを告げた。そうしたほうがいいと思えたから。
それを見てフレアは庭木の杖と呟いた。それ以上は何も言わず、顔をしかめただけだった。いらないというわけでもないようで、現在は居間の壁にそれが飾られている。
そのしばらくあとから現在まで彼女の両親は消息不明だ。
二階の書庫に入る前にティエンは扉を叩いた。返答はない。
「フレア、いい本あった?」
本を熟読していたフレアはティエンの声に顔をあげる。
「あ、ティエン。それが、書庫丸っともらいたいんだけど、どこに置こう?」
もらっていいか、ではなく、置く場所の相談になっていた。
書庫の中身は専門家垂涎のものだった。
ティエンでも書庫丸ごともらっていいかと聞きたいほど。
一般的に楽しい本はほとんどなく、一部、娯楽用の本と絵本があるだけだったため、ヒルダはいらないと言っているそうだ。
「すぐに家に置くのは無理だよ。一時的にグースさんの家に置いてもらったほうがいい。防犯的にも」
「そうね。やっぱり引っ越し先を探しましょう」
そんなことを言いながら、今日持って帰る本を二人で選別する。
その途中でフレアはある本を読み始めていた。よく読まれたようで、少しボロボロだった。
「……それは?」
「昔語りの絵本。
昔々、魔女と剣士が、魔物の四天王を退治ました。彼らは改心して、大人しくなったのです。という感じの話で全五巻。これは二巻目。残りがないのよね」
「聞いたことがない本だな」
「そうなの? 小さいころでも古びた本だったから、かなり昔の本なのかも。
これは山よりも大きな鳥が、金貨をよこせと襲ってくるの。黄金のベッドで寝たいんですって。魔物が金貨好きなんて面白いと思わない?」
「鳥という特性ならキラキラしたものが好きそう」
「そうね。
巻末に魔物図鑑があって、弱点とか書いてあるの。本当かどうかは知らないけどね」
ティエンは興味を引かれて本を覗き込んでみた。可愛い絵柄ながら特徴的な魔物姿を描いている。かなり昔に魔物はいたという文献はいくつもあるが、現在は姿を見せたことがない。精霊や妖精などと同じように空想の産物と片付けられつつある。
ただ、それでは説明できないものが多数残されているから、今も魔物というものはいる、ということになっていた。
ページをまくり、最後のページに倒した巨鳥が見開きで書いてあった。巨大なアヒルである。その可愛さとは裏腹に巨鳥の項目には念入りに処分方法を記載されていた。具体的すぎて、そこだけ浮いているくらいだ。
興味を惹かれてその本を調べてみようとティエンは思った。
「これも昔読んだわ」
フレアが持ってきたいくつかの古びた本はティエンも読んだこともあるものだった。今は手放してしまった子供の頃、好きだった本。
ティエンは一部は必要ないかと思っていたが、結局まるごともらうことになりそうだった。
すぐに持って帰りたいが、今持てる本は限りがある。真剣に選びぬかねばならない。ティエンとフレアは選別のためと言い訳して、本を開いて読み始めてしまった。
「エイルさんも来ましたから、そろそろ戻ってください」
そうウェルから声をかけられるまで没頭していた。
居間へ行くとすでにエイルとルーナがいた。グースに絵画の説明をしてもらっている最中だった。その隣にはヒルダが寄り添っており、和解済みのようだった。
「僕もいらないかな。
肖像画も別に……」
「肖像画は全部ください」
いらないと言いかけたエイルをルーナが遮っていた。本人は嫌そうな顔をしているが、引き取るだけならと妥協している。
話の区切りのついたあたりで、ティエンとフレアは挨拶を交わす。少しルーナは調子が悪そうではあったが病気ではないと先に説明された。
フレアがもしかしてと呟いていた。
それを聞く前に食事の準備ができたと呼びに来たこともあり、食堂へ場所を移動することになった。
穏やかに夕食は始まり、近況報告や書庫に残っていた古い本のことなどが話題になった。あの古い本はエイルもヒルダも記憶にあるようだった。そして、やはり残りの4冊の行方は知らなかった。
給仕をしていたウェルが興味を持ったようであとで貸してほしいと依頼された。もちろん、フレアは断ることもない。
「ボロボロで壊れそうですけど、中身はちゃんと覚えているから気軽に読んでください」
フレアの気遣いに、ウェルはしばし沈黙した。慌てたように礼を言っていたが、ちょっとウェルの顔色が悪かったような気もしている。そのまま、デザートの催促をしてきますと部屋を出ていった。
「どうしたのかしら」
「さあ?」
グースもその態度には怪訝そうだった。壊すと思われていることに傷つくということでもなさそうではある。
引っかかりはあるもののひとまず別の話にうつっていった。
デザートは別室に用意する段取りになっており、そこで改めてお祝いの品を渡すことになっていた。なお、事前には伝えていない。
ウェルがほどなく戻ってきて別室へ移動することを促す。
「……心配だわ」
フレアが小さくつぶやいた。本当に心配そうにしている。
「なにが?」
「あのヒルダが今日は何もやらかしてないのよ。
どこかで何かすると思ってたのだけど……」
近年まれに見るドジっ子と表現されるような義妹である。確かに今日は普通すぎる。喜ぶべきことなのだろうが、なんだかティエンも不安になってきた。
「贈り物に突っ込むのと、デザートのほうに突っ込むの、どっちかしら」
「……突っ込む一択?」
「他は被害が大きくて考えたくない」
そう小声で言い合っているうちに居間の前に戻ってきた。ヒルダ本人は機嫌が良さそうで何かが起こるような予兆もない。
ただ、ちょっとエイルも不安そうである。
共通認識はしっかりあるらしい。
不安のままに扉は開かれた。
「……あのグースさん、止めなかったの?」
フレアは中にあったものに、頭が痛かった。壁にそれまでなかったものが飾られている。
飾られていたのはエイルの肖像画である。年齢順にきちんと並べられていて成長が感じられた。なお、食事の前まではなかった。
やりそうな人は一人しかいない。とても満足げにうなずいている。
「僕はやる気になったヒルダを止められた試しはありません」
「こ、これは」
「……撤去してもらっていい?」
真顔でエイルが言っていた。
「ほら、かわいいし。ねえ?」
「……これはどこかの画廊に展示したほうがいいのではないかしら」
「ルーナ、戻ってきて」
「文化的損失」
「ちょっと……」
なんだかちょっとルーナの様子もおかしかった。エイルも戸惑いを隠せていない。
「まあ、うちの弟、顔はいいからね。期間限定で展示してもいいかも」
フレアもちょっと呆れ気味ではあったが、同意していた。
「ええとフレアの分もあるかな」
ティエンはついそう言ってしまった。
「まあ、僕もヒルダのを並べたくはあります」
配偶者の強い要望によりただ、絵を並べるために画廊を借りる話になった。
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