Film

のなめ

プロローグ

ここはどこだろうか。

目が開いているのかわからないほどの闇。

身体は動かず、声も出ない。全身から何かが抜けていくような感覚と寒さを感じる。


……疲れているのだろうか。

どうして疲れているのかもわからない。


そもそも自分は誰だろう。名前すらも思い出せない。性別、家族、友達、職業全部わからない。何をしてきたのかもわからない。


なにもわからない。けど……


ままならない状態の中どこからかポタポタポタと水滴がどこかに跳ねる音が聞こえる。


 

そしてその音と共に次第に身体が温まり始めたのか、うっすらと全身の感覚が戻ってきた。

温かい何かに包まれているような感触で、少しずつ水滴の跳ねる音が遠くなり、聞こえなくなってくる。


目を閉じて、少しずつ意識が遠のいていく感覚に身を預けた。


 

次に目を開けると、何も映っていない大きなスクリーンが目の前にあった。

さながら映画館のような雰囲気を感じる場所だったが、周囲を見渡しても誰も見当たらない。


「   、        」


精一杯の力で叫ぼうとしたが、声が出なかった。


改めて声を出そうとすると体の下から何かが込み上げ、ひどい吐き気に襲われて抑える間もなく口から水が溢れ出した。

床には赤く染まった水がぶちまけられたが、痛みは全く感じなかったし嘔吐直後の酸っぱさも感じなかった。


身体の感覚もとても曖昧で、手や足はまだ動かすことができない。視覚だけが正常に機能しており、周囲の様子をぐるりと見渡す。

見渡していると周囲の明かりが次第に暗くなり、スクリーンに映像が流れ始める。


映し出される映像は小さな赤子が産まれるシーンから始まり、これから赤子の人生が始まると言わんばかりに必死に叫んでいそうな様子がわかる。けれども、赤子の声が聞こえてこない。この眼ではしっかりと生きていたいと叫んでいるように見えるのに。

母親らしき女性が慈しみに溢れた眼差しで赤子を見つめ、口を開き、微笑んでいる。


すると突然シーンが変わり、さっき見たばかりの女性らしき写真とその周りにたくさんの白い花が飾られている大きな部屋が映し出された。

その部屋の中には、膝から崩れ落ちる小さな背中とその背中をそっと支えるように寄り添う人物の姿があり、どちらもひどく肩が震えていた。


そして幾多もの月日が流れ、赤子だった子どもは立派に育ち黒いスーツを着るほど大きくなっていた。

スーツを着た青年は自分の部屋に帰ると目がうつろでふらふらと歩いていて映像だけでも生きる力を感じられないのがはっきりとわかる。

不安定な足取りでどこかに向かった青年は洗面台にたどり着き、鏡に映る自分の姿を見ている姿が映り次第に映像が暗くなっていく。

白く塗りつぶされたエンドロールがひたすらに流れ、最後に『film 00』というタイトルだけが表示され、スクリーンの光は消えて周りが明るくなっていく。


あの青年はあの後どうなったんだろうか。

あまりにも話が急でどこかスッキリとしない気持ちだけが残った。


 

「――、――――ぇ!ねぇ!!聞こえてる?」

突然後ろから話しかけられて振り返ると真っ黒な服を着た幼い姿をしている子がイスに座っていた。

「すごく不思議な映像だったね。ボクもこんなのは初めて見たよ」

 

いつのまにか音もしっかりと聞こえるようになり、手も足もすっかり動くようになっていた。

「……ぁ、ッつ!」

さっきの嘔吐の感覚が少し残っていたのか、まだ声がうまく出せない。

 

「あぁ、無理に喋らなくても大丈夫だよ、おにーさん。ボクはソウマ。ずっとここにいてここの管理をやってるんだ。まぁ管理って言っても勝手に映像が流れちゃうし、ここがどこにあるのかとか詳しいことわからないんだけど……」

 


「……ごほっ……それ…管理人って言わなくない……?」

「あはは……でもほら、キミのは綺麗さっぱり片付けといたからさ?」

 

確かに映像を見るのに夢中で気が付かなかったがいつのまにか床の水が綺麗さっぱり消えている。

 

「ごめん。勝手に汚した上に掃除までさせちゃって」

 頭を下げるとソウマは首をぶんぶんと振りながら笑っていた。

「全然いいのいいの、そう言えばキミ、名前は?」


 名前……自分の名前……。ダメだ、全く思い出せない。喉まで出ているのに靄がかかり思い出せない。

 

「あの……俺ここに来るまでの記憶が全くなくて、名前すらもわからないんだけど……」

「あらら、そういう時はどうしたらいいんだっけな……」

 

うーんうーんとソウマが唸っていると開演のブザーがなりはじめ、周囲がまた暗くなっていく。

 

「あぁ!また何か始まるみたい。とりあえず座って」

ソウマはポンポンとイスを叩きながらスクリーンに目を向ける。


この映像で少しでも自分のきっかけがあれば……。いや、あるに決まってる。

そう自分に言い聞かせ、少し震える体にビシッと喝をいれて白く光始めるスクリーンを眺め始めた。

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