オトナ版マーメイド物語・いよいよスタート!

第2話 人間と動物の関係を、政府と政党の関係性と比較

 この度は、某サイトに書き込ませていただいた内容をトレースし、加筆修正の上掲載します。


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 第8話までの「わんだふるぷりきゅあ」においてみられた(今後みられる状況も含んでの試論~ためしろん~を兼ねております)人間と動物の相互関係は、まったくもって、ナチス期のドイツの法学者・ハインリヒ・トリーペル氏の唱えられた国家と政党(こちらでは人間と動物と理解されたい)の4段階説を完全に踏んだものとなっていると思料されます。


 その基礎となるトリーペルの4段階説とは、国家が政党を如何に扱うかの視点から、次の4段階の経過を経るものです。


1.敵視

2.無視

3.承認及び合法化(現日本国憲法はここ)

4.憲法レベルにおける編入(良くも悪くも社会・共産主義国家はこれに入ります)


 4段階に行くことが国民にとって幸福かそうでないかは、さておきましょう。

 それこそ、社会主義や共産主義を標榜する国を見れば明白ではないかと。

 あるいは、今でこそその手の主義を標榜していなくても、実質的に独裁国家と思われるような国も、実態としてはここに来ているとみてもよろしかろう。

 その国の名前は、あえて名指ししませんが。 


 1段階の敵視段階は明治初期の自由民権運動を想起されたい。それこそ、薩長の明治の元勲らはこの運動をむしろ弾圧していますからね。


 2から3段階に行く段階において、同じく立憲政友会と称する政党の代表者が内閣総理大臣を出している件につき、明治の元勲である伊藤博文(第4次内閣限定)と憲政の神様と称された犬養毅が立憲政友会総裁という同じ立場で内閣の首班ついたことはまさに、政党の国家に対する位置付けが如何に変わるものであるかということを象徴するものであるかを表象したものと考察されます。

 なお、伊藤博文は長州藩の下級武士出身で明治の元勲であるとともに、藩閥政治の中心人物でありました。どちらかというまでもなく、本来はこの手の団体の敵になる人物のはずです。

 一方の犬養毅は、憲政の神様と言われるほどの人物ではあるが、革新倶楽部等のむしろ弱小政党というべき政党の代表を務めてきたことも多い人物です。


 では、わんだふるぷりきゅあにこのトリーペル説を、演繹的にトレースしてみるとしましょう。


 人間と動物の特別関係、ここでは飼い主と被飼い主(いわゆる「ペット」のこととご理解を。あえてそう述べますね)を築く4段階をトリーペル説風に作れば、こんなところではないでしょうか。


1.敵視

2.無視もしくは最低限の接触

3.対手の承認

4.対手との特殊(かけがえない)関係性の認識及び構築


 これをこのたびの犬飼いろはとこむぎ、猫屋敷まゆとゆきに当てはめてみると、興味深い流れが見えてきそうに思われます。


 ユキはまゆに対して気に入らねばひっかくことも辞さぬところが、ここ(第8話を参照)に至って無関心というか無視を決めているように見受けられましたが、これはトリーペル説の2段階に進んだものと思料されます。


 となれば、こむぎという触媒を経て被飼い主たるユキは、飼い主であるまゆに対する態度をトリーペルの3段階目に移行させていくのはもはや時間の問題であろうかと解釈されましょう。

 それが、ユキをして人間になり、さらにはプリキュアになる段階と言えます。


 トリーペル説に基づく愚説は、いろはとこむぎに関しても形を変えて当てはまります。追って述べてみます。


 最初の出会いは無論敵視。出会いのエピソードを想起されたし。

 状況的にも3段階以降に進む余地はないところからのスタートでした。

 そりゃ、人(元飼い主)に見捨てられて雨の中放り出されていたわけですから、無理もないことでしょう。人間でも、同じような立場に立たされたらそうもなろうというものです。それこそ、かつての養護施設に預けられた子どものようにね。


 このいろはとこむぎの関係は、その後そこから段階を経つつも3段階どころか4段階に行っているかのようにも見られます。 

 だが、実際のところはどうであったか。


 人間と犬という属性の違いは、否応なく2段階の無視の過程をステップしていた側面がこの2か月間の放映において多々見受けられました。


 これが例えば三島由紀夫氏と東大全共闘ともなれば嫌でも通る段階ですが(全共闘各位が三島氏を揶揄した「近代ゴリラ」という表現は、実はこの段階の変形と思料されます)、こちらのいろはとこむぎを見るに、そこを何となく通り過ごしていたことも見て取れましょう。

 さすがに女子中学生とパピヨン犬ですからね、三島氏と全共闘各位のように、それこそ、熱情だけは信じるが他は信じないとか、「天皇」という名のもとにおける共闘は無理という結論に至ることもないわな(苦笑)。

 かくして、いろはとこむぎは仲良くなった。それどころか、の話もあるがそこはここでは詳細を述べません。いずれにせよこれは慶賀に堪えぬ事象です。


 しかしながら今、こむぎが人間側に足を踏み入れた段階において(日本国に政党政治が根付いた段階において、と、ここはパラレルな関係にあります)、3ないし4段階から埋め合わせをしている状況のようにも解釈できます。


 悟少年と兎の大福との関係については、このように考察を加えてみましょう。

 こむぎが大福の言葉を悟に紹介したところがすべて正確な伝達であると仮定しましょう。さすれば、彼らは言葉こそ交わさないものの、お互い既に4段階に至っているものではないかと仮説を立てております(現在に至るまでの経緯及び今後の展開においてそれが正しいか否かは今後の放送にて要確認)。


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追記


 トリーペルの4段階説は、私が司法試験受験生の頃の憲法の基本書と言われる学者各位の御著作に必ず出ておりました。

 私の場合(1990年頃)は、京都大学の佐藤幸治教授(当時司法試験委員)の基本書で知りました。難解じみた文章ではありましたが、読みごたえがあったという印象を持っております。

 もっとも、日本ではトリーペル氏との接点は、この政党4段階説以外ではほとんどないようです。WIKIを見ても日本語版は作られておらず、英語版でも記述は少しだけ。

 さすがにトリーペル氏の母国であるドイツ語版ではかなりしっかりとした記述がありますが、当方ドイツ語は不如意のため、人物像まではわからぬままです。

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