ささくれ立った悲しみに

コラム

***

仕事が終わり、自宅へと帰ってきた。


冴えない契約社員ながら、今日も仕事をこなしてこれから家族のために夕食を作る。


現在、私は父と二人暮らしだ。


母は去年、病気で亡くなり、兄がいるが家を出ている。


私も家を出ていたが、母に介護が必要となり、実家へと戻ってきていた。


本当は戻りたくなかった。


だが兄は正社員で、お前は非正規なのだから戻れと言われ、以前の仕事を辞めて地元で働くことになった。


母が亡くなるまでの日々は、正直いって辛かった。


生んでくれた親の介護に文句を口にするなと言われそうだが、これまでの人生の中で私の気力体力をもっとも削ったことだった。


それには、慣れない新しい職場に入ったばかりというのもあったとは思う。


しかし、それを差し引いても過酷だった。


こんな私なので仕事と介護をしている中で、何度か兄に愚痴を言った。


誰でもいいから聞いてほしかったのだけど、兄は酷くうんざりした様子でこう言い返してきた。



「今日は疲れているんだ。そんな話はまた今度にしてくれ」



そう言った後に適当にあしらわれて、電話を切られた。


それからというもの兄は、私が少しでも愚痴っぽいことを言うと同じことを口にした。


本人も覚えていないのか、兄はいつも疲れていて、今度にしろとしか言わない。


私はこの人は頼れないと心底思った。


それだけではなく、母の葬儀中に兄が母の遺体にポンッと手を置いたとき、怒りすら覚えた。


その後、私からは兄に連絡を取らなくなった。


母が亡くなった後――。


父と二人暮らしになった生活もまた、新しい地獄の始まりだった。


いつまで非正規でいるのだととか、結婚や孫の顔を見せろなどという言葉を、顔を合わせるたびに言われるのだ。


これまでにも何度も言われてきたことだが、母が亡くなり、定年退職後に時間を持て余している父にとって、私に不満を言うのは一種の精神安定剤だった。


いわば父にとって私を痛めつけるのが、老後の趣味といっても過言ではない。


たしかにそうかもしれない。


私は兄とは違い、正社員にもなれず結婚もせず、孫の顔すら見せてやれなかったのだから。


世間的に見ても親不孝でしかない。


それでもこんな仕打ちに、私はいつまで耐えればいいのか……。


母の介護に続き、これから父の介護も私が診ることはもう決まっている。


もう父が死ぬまで私の地獄は終わらないのだ。


「あ、ささくれができてる……」


ボソッと独り言をつぶやく。


そのとき、ささくれができるのは親不孝だからという話をふと思い出し、私はなんだか泣けてきた。


〈了〉

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