魔王様のカエルの花嫁

村田天

◇プロローグ カエルの呪い


「落ち着いて聞いてくれ……俺は今、動物や魔物を使い魔にするための契約を君にした。それは魔物が俺に命を預け、生涯を共にする盟約だ」


 ミリセントは男が言っていることがよくわからずに問いかける。


「……じゃあ、私は今、あなたの使い魔なんですか?」


 男はこちらを見ずに、目を逸らしたまま言う。


「いや、ヒトは使い魔にできない。その契約は……人間相手にすると、魔族における婚姻契約になる」


「こんいん……けいやく」


 ミリセントは聞いたままに虚空を見つめて繰り返し、再び目の前の男を見る。

 黒い髪に燃えるような紅い瞳、それから硬そうな角。

 目の前にいる美しい男は魔族だろう。


「あの、あなたは魔族、なんですよね」


「そうだよ。俺は現魔王……名前はフーミュル」


「魔王様……ですか」


 二百年前の勇者一行による魔王討伐。その際、最も強大な力を持つにも関わらず、戦に参加しなかった魔王の息子が人里離れた場所に隠遁していると聞いたことはあった。


 魔王は相変わらずこちらを見ようとはしない。床を見つめ、小さく肩を震わせている。

 そして、ようやくゆっくりとこちらを向くと、カッと目を見開いて言った。


「お、俺はこの歳まで友達すらいたことがないんだ! カエルならまだしも、人間と結婚なんて絶対無理だ!!」


 この歳ってどれくらいなんだろう。見た感じは二十かそこらで、そこまで自分と離れてなさそうだけれど。そんな、どこか不似合いな思考が頭をよぎる。


 魔王フーミュルが四百二十二歳であることはその後知った。




   ***



 十八歳の誕生日の朝、ミリセント・ベルが自室で目覚めると、自らの身体が小さなカエルの姿になっていた。


 やたらと広くなった寝床から這い出し、小さな姿見の前まで行ったミリセントはそこで初めてカエルの姿を見て、叫んだ。しかし、その叫びすらゲコッという濁った音にしかならない。


 すぐに思う。これは、義母の仕業だ。


 勇者一行による魔王討伐は既に二百年以上前の歴史となり、平和な日常の中、人々は魔術を捨てた。

 ヒト同士の戦争においては銃器のほうがよほど簡単な武器だったからだ。現在魔術の使用法はごく一部にしか知られていない。また、知っていたとしてもその使用は禁止されている。


 にも関わらず魔力というものは貴族の“権威“を計る重要な材料とされていた。

 貴族には魔力があり、魔力があるから貴族になったという説もある。高い魔力はときに爵位を覆すほどの権威となる。

 魔力量を測定する魔測機が開発されてから貴族たちは使いもしない魔力量を競い続けている。近年ではより強い魔力を一族に取り込むために、数少ない生き残りの魔族にまで求婚をするなりふり構わない家もあった。


 そんな中、ミリセントは伯爵家に生まれながらずっと魔力がゼロだった。


 それでも十三歳の時に父が亡くなるまでは貴族の令嬢として不自由なく育てられていたが、父が亡くなってから義母が家の実権を握るようになり、全てが変わった。


 それまで腫れ物に触るようにミリセントを避けていた彼女は態度を変えた。義母は父がいた時分には大人しく、一歩下がった場所で意見を言わない人だったので予想もしていなかった。


「魔力がない者は家の格を下げます」


 義母はそう言ってミリセントを蔑み、貶め始めた。

 最初はただ冷淡な態度を示されていただけだったが、やがてミリセントの部屋は狭い物置部屋へと変わった。躾と称して食事を抜かれることが増え、そのうち用意されなくなった。役に立たない者に食い扶持はないと、使用人と共に働かされたが、給金が出るわけではない。


 人というのは恐ろしい。最初のうちは家の娘に対しての扱いに驚き遠慮がちだった使用人たちも、義母がミリセントを当然のように貶めるうちに“軽んじていい者“という認識に変わっていき、敬意を失っていく。やがてミリセントの世話をする物はいなくなった。誰もミリセントに話しかけない。


 義母は父に愛された前妻である母が憎かったのだろう。父は結局母ひとりを愛したまま逝った。だからその子供であるミリセントを憎んだ。


 義妹であるシャルロットは元々は暗くて大人しい子だった。ミリセントに対しても憧れを抱いていると言ってくれたことがあったし、遊びに連れ出したりもしていた。


 けれど、根が頑固で真面目な彼女は、それが正しいことと思えば平然と残酷になれる素養を持っていた。義母が繰り返しミリセントを下げながらシャルロットに自信を与えたことで、彼女も変わっていった。


 自分より下の者がいる。シャルロットは少しずつ下を向くことがなくなり、自分の魔力を誇りにするようになった。


「お母さま、あまり言っては気の毒です。お姉さまだって、好きで魔力なしに生まれたわけじゃないんですもの」


 シャルロットは義母がミリセントに罵倒をぶつけると、いつも庇おうとしてくる。そして、こっそり物置小屋にパン屑などを与えにくる。それがミリセントの主食となっていた。

 ミリセントを表面的に庇うことは彼女の自尊心を満たしているのだろう。可哀想な動物に餌を恵んでやるようなその目にはいつも昏い優越感が滲んでいた。


 そしてそのことを義母も知っていて、陰で薄い笑みをもらして見ている。自分の娘が前妻の娘より上にあることで憎しみをはらしているのだ。歪んだ家庭だった。


 子供の頃からずっといた環境が劣悪に変わってしまっても、ミリセントには他に行く場所がなかった。味方もなく、人としての尊厳が日に日に奪われたとしても、心を殺して耐えることしかできない。


 もうどこか、歳の離れた貴族の嫁にでも出してお払い箱にしてもらいたいくらいだったが、義母にそのつもりはなさそうで、彼女は義妹にあてがう魔力の高い相手のことばかり考えている。


 ここのところ義母はミリセントの姿を少しでも見かけると苛立つようで、ミリセントは部屋にこもっていた。

 母に日に日に似てきているのが原因かもしれない。そのヒステリックさはどんどん増していて、嫌な予感はしていた。

 けれど、まさかここまで憎まれていたなんて思わなかった。


 ヒトを動物にする魔術は禁忌とされている。証拠がなければどうにもできないが、見つかれば厳罰に処されるであろうそんなものを使ってまでミリセントを苦しめたかったのだろうか。そう考えて、背中がゾッと冷たくなった。


 どちらにせよこの姿で下手に誰かに見つかれば命はない。

 ミリセントは細く開いた窓から外に這い出た。

 行くあてはないがそれでもとにかくこの家から、義母から離れたかった。


 空は薄暗く、厚い雲が垂れ込めて雨が降っている。


 この姿でヒトに見つかりたくないという無意識の想いにより、街から離れたほうに来ていた。しかし、カエルを食べるような動物はむしろ人里離れたほうにいることが多いかもしれない。しくじったがミリセントとしてもカエルになったのは初めてなのだから、仕方ない。


 ミリセントは悪夢から逃れるような気持ちで一日中移動を続け、辺りが薄暗くなった頃に歩みを止めた。


 あたりは人通りのない荒れた道で、石の骨組みだけが少し残った建物の残骸があった。昔、教会か何かがあったのだろうか。ミリセントはその残骸の窓枠で雨宿りしながら今後のことを考えた。


 ずっとこうしていても仕方ない。何か考えなくてはならない。このままカエルとして生きるのは難しい。どうにかして呪いを解かなければ死ぬ。


 けれど、妙案は浮かばなかった。せめて魔力があればどうにかできたかもしれないが、ミリセントにはカケラもない。もしかして、自分は本当に生きる価値がない、この世に必要がない存在なんだろうか。


 しとしとしと。雨は降り続ける。

 どれくらいそうしていたのか、時間の感覚がない。ずいぶん長くそうしている気がしたけれど、まだ夜は一度も明けてない。


 ミリセントはそこで昔のことや、これからのことをぼんやりと考えた。


 昨晩までは人だったのに、その悲劇はどこか現実感がない。悪夢だと思いたいが、身体を撫ぜるぬるい風や冷たい雨の感触は生々しい。雲の隙間からは朧げな月が見えていた。


 だんだん、自分はもともとカエルで、ミリセントとして生きる夢を見ていたような気になってくる。


 このままここにいて、朽ちていくしかないだろうか。


 ぼんやりしていると、いつの間にか黒いマントのフードを目深に被った男がミリセントの目の前にいて、ぎょっとする。


 黒い髪に燃えるような紅い瞳、知性的な顔立ちの美しい男だ。

 間近でじっと見つめられて気づく、虹彩に印のようなものが混じるこの男は魔族だ。

 もしかして魔族って、カエルとか食べるんだろうか。詳しくは知らないけれど。


 気がつくとミリセントは彼の手にひょいと乗せられ、じっと睨まれていた。恐怖で動けなくなる。


 やがて、男が感嘆した声をこぼす。


「なんて綺麗なカエルなんだ……こんな模様、見たことがない。目の色もいい。壮絶に可愛い。持って帰ろう」


 ミリセントは見知らぬ魔族の男の懐に入れられ、空を飛んだ。




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