ゲームオーバー

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 異形の指で引き金を引けば、銃弾は意志を持っているかのように自動的に敵の頭に吸い込まれる。此方に打ち込まれる反撃の弾丸は、何発当たった所で命に届くどころかHPを減らすことも出来ない。諦めて銃を下ろした敵がゲームの世界から去る前に引き金を引きアバターを消し飛ばす瞬間が、彼にとっての愉悦だった。

 だがそれよりも好きなのは、倒した相手のナマの「反応」を見ること。HPがゼロになったアバターはすぐに消滅し、また敵のリス部屋を覗けない以上、それをするには配信者を狙うのが最適だと彼は経験から知っていた。


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[MAD HATTER]

@unknown

アカウント不明。FPSゲーム《MOON INVADER 2》に出没するチーター。配信者に対しスナイプ・ゴースティング・粘着行為をすることで有名である。

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 最初はただの思い付きだった。配信中の有名配信者をスナイプし、粘着して倒し続ける。すると画面の中の有名人が、何百何千のコメントが、自分のせいで苛立っているのが面白いように伝わってくる。それは今やマッドハッターにとってやめられない快楽となっていた。


 銃を撃つ、相手が倒れる。

 銃を撃たれる、HPは減らない。

 無双。必殺の攻撃と無敵の防御で、ただ無双。他人の努力も工夫も全て同じように違法の技で蹂躙する行為が、昏い快楽の蜜となって脳を濡らす。


「クソチーターが」

 という声を、アバターの顔面を穿つことで黙らせるのは気持ちが良い。


「やめろよ、皆が楽しめなくなるんだよ」

 だからなんだと言うのだろう。こっちは堪らなく愉しいのだ。


「卑怯者」

 勝っているのはこちらなのだから、罵声は己の強さを讃える負け惜しみにしか聞こえない。


 そうして彼は、他人を己の「強さ」を証明するための贄として、仮想の世界で無双を続ける。


 [マッドハッター]。《ムンイベ2》を最悪な方法で愉しむチーター。

 彼は視界の端、今回の標的である[Love>_<it]の配信を見やる。マップを憶えている彼からすれば、それでウサギ耳の彼女が何処に居るかは一目瞭然だった。彼女の居場所はマップでいう「月面」、屋外だ。

 既にチーターの味方をしていたことに気付いたチームメイトは全員がゲームを抜けているが、元より自分一人いれば試合は決まるので気にする必要は無い。

 ステータスを改造した高速移動でマップ内を走り抜け彼女の元へ。そうして彼の眼は、月面で立ち尽くすウサギの耳を生やした宇宙服姿を捉えた。

 彼は心の中で舌なめずりをしながら銃口を彼女に向け、己の力を誇るかのように引き金を引き――。


 ――その軌道上に、何かが割り込む。


「おっと危ない」


 ズガガ、と発射された闇色のエネルギー弾は、しかし標的の女アバターを穿つことはなかった。自動的にヘッドショット判定を追尾する弾丸が、彼と標的の間に割り込んで来たの頭に吸い込まれたからだ。


 嗚呼、そうだ。

 弾丸は、確かにその男の頭を撃ち抜いた。


 当たったのは一発だけではない。マガジンを空にする勢いで発射した何発もの弾丸、その全てが男の頭部を穿ったのをこの目で見た。

 だから、有り得ない。この世界ゲームに設定されたHP、武器の威力、ヘッドショット倍率を考えれば、そのアバターはポリゴンの欠片のみを残して消滅……つまり、「死亡」しているハズだ。

 なのに男は消えない。倒れない。弾丸を弾く怪物のように、実体のない幽霊のように、無傷の体でゆらりと此方に歩み出てくる。


 ――その男には顔が無かった。

 深く被ったフードの下に広がるのは人の顔ではなく、ただ闇。深遠を思わせる濃い黒色が、全てを呑み込む奈落みたいに視界に穴を開けている。先程放った弾丸はその闇に吸い込まれてしまったのではと思えてしまうほどの闇色だ。

 そんな闇の上に、ゆらゆら揺れる鬼火が三つ。上にふたつ、下にひとつの三角形を作りながら揺らめく火は、数秒歪み踊った後、ようやく人の表情を真似ることに成功した。

 つまり、弧を描く目と口だけで笑ったのだ。ニヤリと、あるいはニタリと嘲笑したのである。


 ネット越しの視覚信号を受け取った体に怖気が走るのを感じる。今恐怖に貫かれた脊柱は、電脳のアバターのものかそれとも現実リアルの肉体のものか。マッドハッターがそれを冷静に思考するには、やはり眼前のアバターは不気味に過ぎた。


 ああ、彼は。

 今知己たる女性を守るため現れた彼こそは。

 電脳たるこの世界において無類の強者にして無法者。糾弾されこそすれ賞賛を浴びることなど叶わぬだろう違法の存在。

 即ち、「チーター」。ゲームのルールを破った犯罪者。

 しかして彼は、同類から友を庇いながら口にする。希望を、正義を、断罪を。


「――どうも初めまして電脳犯罪者クソチーター。残念だが、オマエはここで『GAME OVERゲームオーバー』だ」


 彼こそは、違法な手段で「敗北」を遠ざけた者たちに正しい終わりを、「GAME OVERゲームオーバー」を与える者――即ち、


 ――チートヒーロー。


 そんな言葉が、直接脳味噌をハッキングされたみたいにラビーの口からぽろりとこぼれた。

 ラビーを庇うように前に出て来た男――カギヤにその小さな呟きは聴こえなかったようで、彼は更に一歩チーターに向けて歩を進める。


「ゴースティング、オートエイム、高速移動に無敵化か。事前調査通りのやりたい放題だな」


 呆れたようにカギヤが喋ると、鬼火の口に当たる部分が広がって揺らめく。

 防衛軍の制服の上から羽織った黒い上着、そのフードを被った下にはただ闇。そんな黒の中で、目と口だけが発光しているように浮かんでいるのは、どこかジャックオランタンを思わせた。アバターの着せ替え機能で特殊な仮面アイテムを付けているのだと頭では分かっていても、その姿は怖気を覚えるのを堪えきれない程には不気味であった。

 そんな不気味な男に、マッドハッターは再び銃を撃つ。闇の光弾が複数放たれ、全弾が軌道を曲げながらその頭に命中し……しかし男は倒れない。鬼火のような光が形作る裂けた口が揺らめき、ニヤリと笑いながら言葉を放つ。


「ま、俺も『無敵』だが」


 何でもないようにそう言って、顔の無い男は自分の頭に銃口を押し付け銃を乱射する。やはりそれでも男は死なない。というかこの男、屋外たる月面で宇宙服を着ていないのに生きている。

 ――「無敵」。その言葉が脳裏にへばりついて、じっとりと焦りを塗り込まれているような気さえした。

 そんな異常な行動の数々に気を取られ、ラビーがその場から離れるように逃走するのを、マッドハッターは追えなかった。


 既に場は、顔の無い男の――カギヤの独壇場となっていた。

 彼は弾切れになった銃をぽいと放り出し、マッドハッターを指さしながら、罪を糾弾する裁判官のように、あるいは舞台の上の道化のように、大袈裟な身振り手振りで語る。


「チートツールで常にHPを最高値に書き換え続けてるんだろ? このゲームならそれが一番簡単な『無敵化』だもんな。イヤ、チートを買っただけなら詳しい仕組みは知らないのか? まあどっちでも良いや」


 羅列される言葉は、しかしマッドハッターの頭に入って来ない。


『……ナ、何ナンダオマエハ』


 動揺が現れたマッドハッターの歪んだ声――エフェクトで素性を隠した声に、カギヤは嘲るように答える。


「はぁ? そんなの見りゃ分かんだろ。アンタと同じ電脳犯罪者クソチーターさ」


 その言葉と共に、彼がビッと立てた中指は……しかしマッドハッターを少しだけ冷静にさせる結果となった。得体の知れない怪人が、しかし己と同じような感情・仕草を持っていることに気付いたからだ。

 そんな相手の心境の変化を察しているのかいないのか、カギヤは歌い上げるような口調で朗々と演説を行う。


「さて。下調べの時点でアンタが無敵化チートを使ってるのはすぐ分かった。問題はそっから、つまり『死なない敵』をどう倒すか。俺はこのゲームのデータファイルと睨めっこしながら考え、そして見つけた。このゲームにはキルストリーク……いわゆる必殺技がある。その中には爆発とかの『吹き飛ばしノックバック』効果が付与された技が何個かあってな。もしアンタの無敵が俺と同じ仕組みなら、吹き飛ばしノックバックは無効化できないだろ」

『……ダッタラ何ダ。俺ハ無敵ダ!』


 マッドハッターは突き付けられた確認の言葉ごと動揺を払うように、再びカギヤ目掛けて銃を乱射。全てが頭に命中した弾丸は、やはりカギヤを倒せない。

 だがそれは自分も同じだ、とマッドハッターは強がる。チートがこの身を守る限り、カギヤの攻撃もまた、こちらのHPを減らせないのだから。

 その薄ら笑いを見抜いたか。カギヤの言葉に嗜虐の響きが混ざった。


「確かに、HPが常にMAXになるアンタをキルするのは無理だろう。でも吹き飛ばせればそれで十分なのさ」


 カギヤが思い出すのは、チュートリアルの時の「気持ち悪さ」とラビーの言葉。


 ――『ただでさえフルダイブのゲームって酔いやすいっすもんね。その上この低重力っすから。ウチでさえ未だに激しい動きしたら酔っちゃうレベルなんで、あんまりそういうことしないように気を付けてくださいっす』……。


 つまり、彼の作戦は。


「ただでさえ酔いやすいフルダイブを助長する低重力……そんな状況下で人間お手玉されたヤツの三半規管がどうなるか、早速試してみようじゃねーか!」


 叫び、彼は手の甲に付いた端末をタップして「それ」を発動する。


10……『宇宙戦艦からのレーザー砲撃』を喰らいな!!」


 瞬間、空に現れる巨大な宇宙戦艦。空母にも似た形状とそれよりもはるかに大きなサイズの宇宙船は、要請に従いワープして来るや否や、衝角の下に備え付けられた巨大な主砲にエネルギーをチャージする。

 アレこそは映画MOON INVADERに登場する最終兵器、星さえ滅ぼす超高熱のレーザー砲――。

 ――キラ、と閃光が十字に輝き。

 飛来した極太の熱光線が月面ごとマッドハッターを穿ち、一瞬遅れて大爆発が世界を襲った。

 本来連続10キルという高難易度の条件を達成しなければ使えない最強のキルストリーク。その大爆発の衝撃に、マッドハッターは為す術も無く空を舞う。当然「無敵」たる彼は死なない。死なないが、吹き飛ばしノックバックならぬノックアップ効果を防げてもいない。

 六分の一の重力の世界、回転しながらゆっくりと落下してくるマッドハッターに向けて、カギヤは目と口しか無い顔でもハッキリと分かる程大きく笑った。勝気の自信で満ちた笑顔は、しかし仮面を通すことで邪悪に歪む。


「さてチーター、電脳犯罪者としての格の違いを教えてやるよ。オートエイムだの無敵だの、そんなせせこましい技より100倍ド派手でカッケー犯罪ワザをな!」


 手の甲に付いた端末をカギヤが連打すれば、その数だけ10キルストリークが発動される。チート、「キルストリークの無条件化」。10キルというコストを0にしたカギヤは、誰を殺さずとも、その技を好きなだけ使用できる。

 マッドハッターが回転しながらもなんとか空を見れば、そこには宇宙の空を覆い尽くす大量の宇宙戦艦が犇めきあっていた。明らかにゲームが想定していない挙動だが、それらの砲門は律儀にも全てが同じ標的を照準に入れている。即ち、ようやく地面に付きそうだった空中のマッドハッターを。

 戦艦の雲に覆われたソラが、恒星爆発の如き無限の閃光に光り輝き。


「ド派手必殺、キルストリーク無限連射!! そらそらそらそらァ!!」


 ズドドドドドド!! とあらゆる意味で「重い」超連続攻撃が仮想の月に炸裂した。

 爆発、爆発、大爆発。世界を揺らす終わらないレーザー砲の絨毯爆撃がマッドハッターを襲う。その度彼の体はあっちに吹き飛びこっちに吹き飛び、天地が分からなくなるほど大回転。ゲームでなければ確実に月面が抉れ、満月が無くなっていただろうと思える程の光景だった。

 30秒か2分か10分か。それすら分からなくなる空の旅の果てに砲撃が止み、マッドハッターはべしゃっと月面に落下した。彼は洗濯機の中にぶち込まれたような体験によるゲーム酔いで完全に目を回しており、まともに立ち上がることすら出来ないようだった。つまり、カギヤの作戦通りということだ。

 そんな無防備なマッドハッターに、カギヤは無造作に歩み寄り。


電脳兵装/出力プログラム・ロード――」


 予め紐づけておいた詠唱キーワードによって、その手に出現させた「半透明の剣」で、


「それ」


 ドス、とマッドハッターを突き刺した。

 

『ウグ……ハ? ナ、ナンダヨ、コレ。コンナ武器、知ラナ……』


 ようやく目の焦点が合ったマッドハッターは、己の胸を突き刺す武器に目を剥く。

 ――剣、だと? そんな武器がFPSであるこのゲームで存在するハズが無い。

 故にコレは。


「ああ。これはゲーム内の武器じゃねえ。正真正銘の違法装備チートアイテム、俺お手製の『電脳兵装プログラム・ツール』だ」


 それは半透明で僅かに光る文字列コードの集合体にして、黄金のつるぎを象った個人製作の電脳機構プログラム

 コード。この世界の法則システムに直接干渉できる、力ある文字。

 プログラム。コードを連ねて造り上げられた、完成し形になったコード。

 即ち彼が構えし武器こそが――電脳兵装プログラム・ツール。それは形を得たプログラムにして、電脳世界版のハッキングツール。電脳のこの世界で最も力を持つ、文字通りの違法装備チートアイテムである。


「言ってなかったっけ? 俺はチーターじゃなくて『ハッカー』、こういうのが本職だぜ」


 カギヤによる絨毯爆撃、電脳酔いの誘発によるマッドハッターの無力化。それらは全て、直接アバターに刺さなければならないこの電脳兵装つるぎを確実に当てるためのものだった。

 瞬間、剣に貫かれたマッドハッターのアバターから警告音が放たれる。


『警告、不正アクセス検知』『ファイアウォール作動』『警告、不正アクssせスkk検、ti』『zzザザ、ファイ、アウォーrrr、突破、さssレま...』『ERROR!!』『ERROR!!』『ERROR!!』


 警告音は次第にエラー音に。黄金の剣が返り血に染まるように赤を帯び、血を吸い取るようにカギヤの手元に赤い光が刀身を道として伸びていく。ただアバターに血液など通っているハズも無い。故に剣が奪うのは、ユーザーにとっての血肉、あるいは生命線とも言えるモノ。

 そうして目の前に表示されたウィンドウたちを見て、カギヤはわざとらしく目を細めた。


「ふぅん、本名は小鶴井こづるい八汰はった、職業は学生で東京第一高校3年生か。住所は東京第8区3番集合住宅5012号室、んでマイナンバーが3109-……」


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✕[MAD HATTER] → 小鶴井 八汰

@smallcrane_888

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 それは。それは紛れも無く、[マッドハッター]の正体、否現実リアルでの個人情報だった。


 チートがゲーム内部において様々な不正を働けるものなら、電脳兵装プログラム・ツールはいわばその上位互換――進化したネットである電脳世界内で様々な不正を行えるもの。相手のアバターと紐づけられている個人情報を奪取するのもそのひとつだ。


『な、え、は?』


 ボイスエフェクトが解除された素の声で狼狽する彼に、カギヤは手に入れた情報が表示されたウィンドウをスクロールしながら呟く。


「とりあえず親御さんと先生に連絡かな? で匿名掲示板の管理人に実名含めた情報流して、その後電脳警察ホワイトハッカーに通報が良いか。あーあー、これから進学とか就職とか苦労しそうだなぁ」

『ちょ、や、やめろよぉ!』


 情けない声で叫ぶエイリアンに、カギヤは冷たく燃える目を向けた。


「……やめろ?」

『あ、いや……その、やめてくださいお願いします!』


 青ざめた少年の顔が安易に予想できるその懇願に、はぁ、とカギヤは溜息を吐いた。

 そのままどかりとマッドハッターを蹴飛ばし、倒れた彼の腹を足蹴にしながら顔を寄せ睨みつける。


「どうやらゲームのだけじゃなく、大事な大事な人生のチュートリアルも読み飛ばしてたみたいだな。なら教えてやるから耳の穴かっぽじって良ーく聞け?」


 顔の無い男はその表情に声に怒りと呆れを滲ませながら言う。


「他人の肉体を、あるいは精神を傷つける。権利を、自由を、尊厳を一方的に奪う。そういうことをするってことは、自分がされても文句は言えなくなるってことだ。オマエさ、チート使って迷惑行為してるとき、誰かの『やめてくれ』って声に一度でも耳を貸したか?」

『……い、いや、それは……』

「なら自分の言い分が通らないことくらい分かれよな。俺ですら『散り際は潔く』の覚悟くらい持ってるってのに」


 言葉に詰まるマッドハッターに、カギヤはやれやれとわざとらしく溜息を吐く。


「オマエさ、配信者に粘着してたんだっけ? そんな輩が考えることは大体想像つくぜ」


 胸に刺さった「剣」の機能でその場に縫い付けられ、はりつけにされたように動けないマッドハッターに、カギヤは二枚目の刃、断罪の為の言葉の刃を振り下ろす。被害者たちの受けた痛みを万倍にして返すために。


「オマエはチートを使って無双して、自分が強くなったと思ってたんだろ。それをもっと沢山の人に自慢したかった、認められたかった……はぁ、馬鹿馬鹿しいにも程があんぜ。ルールを破ってまで勝つ卑怯者が、ルールをきちんと守った結果負けてしまったプレイヤーたちより『強い』ワケがあるかよクソチーター。そんなことも分からず我欲に溺れ、他人の痛みも想像できず、誰にも誇れない生き方を選んでいることにすら気付けない……オマエは間違いなく、俺が出会ってきた中で誰よりも『弱い』人間だよ。人としては『無敵』どころか『最弱』だ」


 それはともすれば、実物の剣よりも鋭く罪人の胸を抉る糾弾の言葉。

 流石に声を詰まらせたマッドハッターは……しかしふと思い至り震えた声で叫ぶ。


『で、でもっ、おまえだってチート使ってるじゃないか!』


 それを聞き、しかしカギヤは勝気に笑ったようだった。


「なんだ、知らねえのか悪党。ヒーローってのは悪役てきと同じ手段ちからでソイツらを倒すもんだって100年前から決まってんだぜ。目には目を、暴力には暴力を、そして掟破りチートにはもっと強い掟破りチートを。なにせそれが一番確実で手っ取り早くて、何よりカッコいいからな!」


 悪い笑顔で、輝く少年の声で彼は言う。

 己が正義だと信じること。己の美学を全うすること。それこそが正義オレ悪党オマエの違いだと突き付けるように。

 マッドハッターだった少年も気付いただろう。我欲のままルールを破り続けた己の内に、正々堂々と自慢できるほどの信念など存在し無いことに。ともすれば、その空白に対する底無しの羞恥こそが、彼に与えられた罰であったのかもしれない――。


 さて、と相変わらずの自分勝手さでカギヤは言葉を切り、剣を握る手に改めて力を入れる。


「これでチュートリアルは終わり。つー訳でお別れだクソチーター。全情報破壊データデリートウイルス、起動ロード


 その言葉が意味することが何かくらいは、彼にも想像がついたようで。


『えっあっ、イヤだ、やめ、ちょ待っ――』


 そんな必死の命乞いを、カギヤは立てた中指で棄却した。


実行開始システム・スタート


 がちり、とマッドハッターに突き刺さった剣が、傷口を広げるように抉られる……否、それは解錠の為に鍵を捻るときの動作だ、と何故か確信させられ。

 瞬間、剣に仕込まれたウイルス・プログラムが起動。それは相手をBANさせるウイルスではない。BANが「追い出す」行為に相当するなら、そのウイルスが行うのは「破壊」。セーブデータやアカウントデータからストレージの中まで自己崩壊させるウイルスがマッドハッターのアバターを内側から喰い破り、そのアカウントごと仮想世界から消滅させた。

 残骸とも言えるポリゴンの欠片が舞う様を眺めながら、カギヤは少し残念そうに、しかし容赦なく散る残滓たちを切り捨てる。


「ゲームと違って人生はリセットがきかねえんだよ。今まで迷惑かけた人達に一言でも謝罪が出ればもうちょい考えたがな……最後まで反省できなかった自分と自分の罪を恨みな[小鶴井八汰マッドハッター]」


 その後、言った通りに諸々の連絡・通報を済ませ、カギヤは顔に手を翳して「仮面」を外す。顔を覆っていた闇が消え、光っていた目と口が元に戻る。

 虹色の瞳が、月面の星空の中で輝いた。


 そんなこんなで、カギヤのスイッチはすっぱり切れた。彼はいつも通りの子供っぽい顔でにやりと笑う。


「ふぅ、これにて一件落着。我ながらなかなかド派手でイイ感じのバトルだったのでは? これは伝説になっちまうかもなぁ~。早速SNSに依頼のことアップしよ。『依頼解決なう』と……」


 守秘義務や炎上対策どころかネットリテラシーのネの字すら知らなそうな勢いでそんなことを呟くカギヤは、己の言葉を引き金に「報酬」のことを思い出した。


「――そうだ、ラビー! 『配信で俺を紹介してくれる』って約束だったよな!」


 そう、それが今回の契約内容である。カギヤは見事、迷惑スナイプチーター[マッドハッター]を討伐した。つまりそれは、報酬を受け取る権利を得たということだ。

 カギヤは月面を不慣れかつ不自然なスキップを踏みながら、ラビーが逃げた月面基地の中に帰還。ウサギ耳の生えた白髪赤目のアバターを見つけて声をかける。


「おーいラビー、見てたか?」


 その言葉にラビーが振り向く。表情に映るのは安堵と戸惑いがないまぜになったような感情に思えたが、少なくとも己に対しての負の感情を感じずカギヤは安堵する。

 そんな彼を、配信を一時停止しているラビーは、戸惑いながらも「素」の声で迎えた。


「は、はい。容赦ないっすねカギヤさん。まあその、スカッとしましたけど」


 口ぶりからして、一部始終……レーザー砲の雨が月面に降り注ぐところを見ていたのだろう。その平坦な声には、しかし確かに驚愕と興奮の余熱が残る。

 己の仕事ぶりを気に言って貰えたと判断し、カギヤは上機嫌だ。


「そりゃよかった。ま、ともかくこれでコラボの不安材料は消えたかな?」

「そう、っすね。あとはウチが頑張って楽しくするだけっす」


 その言葉に、カギヤは親指を立てながら笑顔を見せた。その裏表なく嬉しそうな表情に、ラビーもつられて苦笑ぎみに笑い、そしてぺこりと頭を下げた。

 この人で本当に大丈夫か……そんな彼女の不安は、ついぞ現実にならなかった。目の前の若いハッカーは、意外にも頼もしかったのだ。今では彼の自分勝手さですら、天才肌らしい態度に思えてしまうのだから、人間というのは現金である。

 と、そんな自分勝手なカギヤが、珍しくちょっと遠慮がちな態度で口を開く。


「それで、ラビー。依頼完了したから約束の報酬を――」

「ああハイ、宣伝っすね」


 合点がいったとばかりに言葉尻を奪い取ったラビーは、当然その話を憶えていたので、止めていた配信を再開するためアプリやカメラボットを弄り出した。慣れた手つきで操作しながら、ふと考える。


 そういえばこの人は、何故有名になりたいのだろう……いや、名誉欲などどの時代でも珍しいものでは無い。現に自分が配信活動をしている理由もそれだ。だから疑問なのは、何故その欲望を抱えて「ハッカー」をやっているのだろう、か。

 そんなことも後で訊いてみようか。短い付き合いで学んだ人柄から、きっと尋ねれば素直に答えてくれるだろう。だがとりあえず今は「報酬」だ。彼が約束を果たしたのだから、こちらもそうしなければ。


「今配信再開するんで……アレ?」


 カメラボットの位置を上手く設定し、ワンボタンで配信が再開できる準備を整えたラビーが振り向くと……カギヤの姿が忽然と消えていた。慌てて首を回すが、上下左右前後、どこを見ても彼のアバターは影も形も無い。


「(? カギヤさんが消えた?)」


 一応しておいたゲームのフレンド登録でログイン中かログアウトしたのか確認しようとすれば、[KAGIYA]という名のアカウントすら見つからず。SNSで彼のアカウントをチェックすれば、『このアカウントは凍結されました』の文字が。

 ……それらの情報と先ほど目の当たりにした彼の無法ぶりから、ラビーは彼の身に何が起こったのかを察する。


「(もしかしてカギヤさん、このタイミングでBANされた……!?)」


 誰も答えぬ沈黙は、それを静かに肯定していて。

 配信を再開してしまっていたラビーは、流れるコメントの波にそれを放置することも出来ず、とりあえずとカメラボットに向かって元気に話し始めるのだった。




   ◎Now Loading..._




 日本国内、カギヤの現実世界での自宅にて。

 ヘルメット型の電子機器を付けた少年が、それごと頭を抱えて椅子の上で叫ぶ。


「――ぐぎゃー! めっちゃ良い所でBANされたー!? 運営はやる気ねえんじゃなかったんかよ!? 超アンラッキーじゃねーか!!」


 その悲痛な絶叫は、どこか銃で撃たれた時の断末魔を思わせた。

 彼は重苦しそうな頭の機械も外さずに、そのままパソコンを付けて色んなことをチェックする。


「うわ、Xterエックスター(※SNS)のアカウントも巻き込みで凍結されてるし……流石に派手にやり過ぎたか?」


 《ムンイベ2》の運営会社はXterと連携してアカウントを管理していたので、ゲームの垢BANと連動してこちらもやられたのだろう。今まで頑張って集めた89人のフォロワーもパア、また0からのやり直しである。

 と、Xterと連携しているアカウントの中に、ひとつ生き残っているものがあった。


「……twitubeツウィッチューブ(※動画投稿・配信サイト)のアカウントはまだ動いてんな」


 twitubeはラビーが配信をしているサイトである。チャンネルに飛べば、彼女は元気に配信を再開しているところだった。ウサギ耳の女性アバターによる華麗な跳躍殺法で、エイリアンが一体また一体と散る。視聴者はチート関連の騒動を目にしていないらしく、彼女のプレイに一喜一憂して平和にコメントを流している。

 その様子に、カギヤは少し考えて……そしてキーボードを叩き、こうコメントを書き込んだ。


[KAGIYA-ezhack:来週のコラボ頑張れよ! 応援してるぜラビー!]


 と、書き込まれた画面外にコメントが流れる前に画面が別ページに飛ぶ。つまり。


「あ、twitubeもBANされた。クッソー俺が何したってんだ……チートだな。当然だったわ。まあこればっかりはしょうがねえが、正義のハッカー補正かなんかでちょっとは情状酌量が欲しいもんだぜ。有名になれば無くなんのかね?」


 彼は椅子の上でぼやき、そしてわめいているうちに少しズレてしまったヘルメット型の機械を――電脳世界にフルダイブするための機械である「NEO」を被り直しながらぼやく。


「またアカウント作り直さねぇとなー。次の依頼が来る前に」


 結局「報酬」は受け取れず仕舞いだったが……まあ、彼女の配信を邪魔してまで得るものでもないだろう、と彼は配信サイトを閉じるのだった。

 伝え忘れた人生のチュートリアル。

 笑顔を奪うよりも笑顔を守る、それこそが真に胸を満たすものだと、その少年は確信していた。


 暗い部屋。所狭しと並んだPCモニターには、匿名掲示板から大企業の株価、一般的ではない通販サイトに、果ては絶対に覗けてはいけない国家機密のファイルまでが同じように表示されている。

 そんな玉石混交の情報が溢れる部屋の中で、その男は再び電脳の世界にダイブした。


 ――時は西暦2074年。インターネットを可視化・体験化した「電脳世界」が発明された時代。

 これはそんな時代で「正義のハッカー」を名乗る、とある電脳犯罪者の物語。

 その男、電脳世界での呼び名をカギヤ。またの名を――


―――――――――――――――――――――

[CHEAT HERO]

@unknown

アカウント不明。自称「正義のチーター」。

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