第4話 ︎︎現世と常世

 土壁の家々が立ち並ぶ市場は、活気に満ちていた。荒れた土地でも、人が集まる場所には資源も集まる。その多くは食料だ。しかし、長い道のりを経た商品は鮮度に欠ける。その殆どは乾物に加工されていた。ドライフルーツや乾燥野菜、魚の干物に燻製肉。その中でも、豆やモロコシ、芋類は、荒地でも栽培できるため重宝されている。荒野での主食は豆や芋のスープに、モロコシの粉で作られたパンだ。


 荒野を渡り、日が落ちきる前にこの町、マーギュットに辿り着いたテオとイルは宿屋に入ると、早速食事にありついた。宿の一階が食堂になっていて、そこで出されたのも粗末なビーンズスープと、パサついたモロコシのパンがひとつ。


 イルは、目の前にある数種類の豆を煮込んだシチューを覗き込む。茶色く濁った物体を歪んだスプーンですくえば、原型を留めない豆がべちゃりと落ちた。イルは頬をひくつかせながら、その泥のようなスープを口にするテオを見やる。


 テオは慣れたもので、シチューをパンに付け、美味うまそうに食べていた。茶色の海に燻製肉の塊を見つけると、子供のように喜び、惜しむように小さく切り分け、じっくりと味わう。


 イルは自分の皿に再び目を落とすと、ぐちゃりとシチューを混ぜた。正直、食欲が湧く見た目では無い。特にエデイシアでは瑞々みずみずしい果物や、洗練された食事がいくらでも手に入ったのだ。それは正に天と地ほどの差がある。


 そもそも、エルデルヴェオはノムンドとは身体の作りが違う。食事をせねばならないのは同じだが、生命維持というよりも嗜好品に近かった。日に一度、命の泉イム・オーナを飲んでいれば、それで事足りるのだ。食事はその補助に過ぎない。


 病に犯される事も、空腹さえ感じた事の無いイルは初めての感覚に戸惑っていた。喉はヒリつき、胃が捻れたように痛む。天から堕とされて、もう五日が経っていた。テオが通りがかるまで、誰ともすれ違う事は無く、己の身をむしばむ乾きにどう対処すればいいかさえも分からなかった数日間。それを思えば、テオの無礼な仕打ちにも耐えられた。


 しかし、ビーンズシチューは見た目もる事ながら、匂いもキツい。豆の青臭い匂いと、スパイスの刺激臭、そして燻製肉のいぶした匂いが混ざり、空腹を殴る。その脇には質の悪い蒸留酒。注がれているジョッキも不衛生に見えた。


 また、テオに視線を戻す。


 やはりテオは、美味そうにジョッキをあおっている。そして空になったジョッキを高く掲げて声を張り上げた。


「おじさん! ︎︎こっち、酒もう一杯!」


 その声の先には、小太りの中年男性が無愛想に接客をしている。テオの注文になんの反応もしていなかったが、果たして聞こえているのか。周りは似たような酔っぱらいばかりで、怒声や笑い声で騒々しい。


 一向に食が進まないイルに、テオが溜息を吐いた。


「どうした? ︎︎腹、減ってるだろ。それとも食えないか?」


 図星を指されたイルは、キッと睨みつける。その手は震えていた。


「当たり前だ。何故、私がこんな豚の餌とも知れない物を食さねばならんのだ。果物を寄こせ。そうだな、リンゴがいい。それから、上等なワインと鴨のステーキだ。今すぐ用意しろ」


 歪んだスプーンを放り投げて、ふてぶてしい態度でイルは要求した。スプーンが食器に当たり、思いがけない音が響くと、一斉に視線が集まる。それさえもイルは無視して、足を組むとテオを睥睨へいげいする。


 テオが周囲に愛想笑いを振りまくと、みな自分の食事に戻っていった。それを確認して、イルを睨みつける。


「おい、いつまでお偉いつもりでいるんだ? ︎︎ここじゃそんなの通用しない。これだって十分贅沢な食事なんだ。パンがあってスープがある。それに酒だって。俺はな、お前が腹減ってるだろうと思って、奮発したんだぞ? ︎︎これで持ち金はスッカラカンだ。何か職探さないと」


 ブツブツと思考を巡らせるテオにも、イルは続けた。


「それに服もだ。絹がいい。いつまで私にボロ布を着せておくつもりだ?」


 イルはボロ布と言っているが、布自体は上質な物だ。土に汚れていても、ほつれは見当たらない。イルの身体も埃まみれだが傷は無かった。ただ空腹と喉の乾きで弱っていたのだろう。それを助けてやったというのに、命令口調でアレヤコレヤと文句を言うその態度にイラつきが募り、テオもつい声を荒らげた。


「だからさ! ︎︎かねが無いっつってんの! ︎︎しばらくそれで我慢しろ」


 頭をガシガシと掻きむしるテオを不思議そうに見ると、イルは首を傾げながら問いかける。


「かね? ︎︎『かね』とはなんだ? ︎︎食べ物や衣装は神殿に行けば貰えるだろう? ︎︎何故行かない? ︎︎馬鹿なのか?」


 きゅるんと可愛い顔でしれっと毒を吐く。テオは一瞬呆けてイルを見つめた。


「神殿? ︎︎エデイシアでは無償で食い物が手に入るのか? ︎︎でも、お前役職持ちだって言ってたよな。対価とか貰ってたんじゃないの?」


 お互いに呆けた顔でしばし見つめ合う。周りの喧騒がやけに大きく聞こえた。


「たいか……とはなんだ。それが『かね』なのか?」


 あまりに違いすぎる認識。


 テオは思わず天を仰いだ。

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