双星の漂流者
文月 澪
第1話 ︎︎堕ちた星
どこまでも続く荒野。乾いた大地はひび割れ、恵みに見放されている。吹く風は砂を含み、容赦なく身体を打つ。どんなに防護しても、服や靴の中に入り込み、ジャリジャリと音を立てる。踏みしめられた土壌は、硬く雨を蓄える事も無い。
ここは世界地図の左側に横たわる、カンベア大陸の西、ウォーマイク平原。かつては貴重な金属であるスウェア鋼の発掘が盛んで、大勢の人で溢れていた。スウェア鋼は硬度が高いが、加工しやすい鉱石だ。虹色を帯びた漆黒の輝きが富裕層に受けたのもあり、最初は装飾品や美術品の素材として扱われる事が多かった。
そのため徐々に高騰していき、値が跳ね上がっていく。小指の先程の大きさの粒でも、人ひとりが一年暮らせる程に。
更には高熱で鍛え、研磨すれば切れ味鋭く、包丁から武器にまで転用された。技術者達はこぞってスウェア鋼を求め、数々の逸品が生まれるのは当然の事だろう。
そして、そのおこぼれに預かろうと、多くの労働者が集まったのだ。そこかしこに鉱山が掘られ、活気に満ちた時代。
しかし、それも遠い昔の話だ。欲深い人間達は鉱脈を掘り尽くし、埋蔵量は枯渇した。価値の無くなったこの地は捨てられ、今では点在する村々はゴーストタウンと化している。
開拓団の引き上げに取り残された人々は、食料の乏しい暮らしを余儀なくされた。
それでも、一攫千金を夢見て訪れる者はいる。平原は広い。まだ見つかっていない鉱脈が存在すると、まことしやかに噂されていた。
今も馬に跨り、荒野を渡る青年、テオ・イエットもその一人だ。
焼けた肌に、くすんだ金髪。ゴーグルに隠された瞳は澄んだ青。今年二十二を迎えるテオは、体格にも恵まれ、長身で細身だがしっかり筋肉がついている。その見事な肢体も、照りつける太陽や、乾燥した外気から防護するために着込んだ服の下だ。
愛馬は父から譲り受けた赤毛。名をオプタという。荒れた大地でもその足取りに迷いは無く、力強く歩を進めていた。
テオは空を仰ぐと溜息を吐く。
実家を出たのはもう数ヶ月前だ。世界地図の下方にある島国ユアンデの片田舎、ホーキンスにテオは産まれた。父と母、二人の兄と共に家業である農業に従事していたが、ウォーマイク帰りの老人から度々聞いた武勇伝に憧れを抱き、家を出てここまで来たのだ。
勿論、父母や兄達からは反対された。そんなものは夢幻だと。それでもテオは引かなかった。
実家は貧しい。農家とは言っても、農地を村長から借り受けた小作人だ。収穫の大半を、税という建前で村長に持っていかれる。テオはそれが不満だった。それに甘んじる家族にも。
だから、家を出る決意をしたのだ。
村を出るその日、父は頑ななテオに、唯一の財産であるオプタを託した。それを見た兄達、特に長男は、オプタを継ぐべきは自分だと主張する。当然だろう。イエット家にとって、貴重な財産だ。オプタは農耕馬ではない。馬車を引き、少ない収穫物を町へと運ぶために必要なのに、それをテオにやると言うのだから。
それでも父はテオを見つめ、手綱を渡し、生きて帰れと送り出した。
テオは引き留めようとする兄達の手をすり抜け、オプタと共に駆け出す。もう、振り返る事はせずに。
しかし、現実はそう上手くいく訳もなく。
ウォーマイクに入って、既に数ヶ月。
未だに目当ての鉱脈は見つからず、噂を頼りに彷徨っていた。路銀も底を尽きかけ、さもしい生活だ。せめてもと、自分の食費を削ってオプタに食わせている。オプタが命綱だからだ。この荒野で馬を失えば、待つのは死。
オプタに積んだ荷も、もってあと三日。次の村までギリギリの食料だ。
溜息をもうひとつ落として、テオは顔を戻した。見えるのは、どこまでも続く茶色い大地。
その中に、ぽつんと白い物が見えた。
初めは動物の骨かと思ったそれは、近付くにつれ、人の形を浮かび上がらせる。
それは、もう見慣れた景色。
ここに辿り着くまで幾度となく見てきた、遺骸。
テオは傍らに降り立つと、衣服を整えてやる。せめてもの弔いだ。あとは鳥が空に運んでくれるだろう。
だが、立ち上がり、去ろうとしたその時。
くぐもった呻きが聞こえた。勢いよく振り返ると、遺骸が微かに動いているではないか。
――生きてる!?
テオは慌てて座り込むと、枯れた身体を抱き抱えた。
「おい! ︎︎あんた、大丈夫か!?」
それはまだ少年と呼べる程の小さな身体。風に弄ばれるのは、パサついた闇色の髪。身体は細く痩せ細り、白かったであろう服は、砂埃で染まっていた。
閉じられた瞼が震えると、薄く開かれる。
「なっ……」
そこにあったのは、人のものとは思えぬ、黄金の瞳だった。驚愕を隠せないテオは、少年を腕に抱えたまま動けない。島国の田舎育ちだ。そう多くの人種を見てきた訳では無いが、この瞳は人外と言わざるを得なかった。
その瞳が、ちろりとテオに向けられ、ひび割れた唇から掠れた声が漏れる。
「……おまえ、は……」
少年はそう呟き、意識を手放した。
腕に預けられた少年の身体を見下ろし、テオは逡巡する。このまま放置するのが利口だと頭では分かっているが、まだ浅く息をしている少年を見殺しにするのは、後味が悪い。
それに、これは自分の姿でもある。いつ、どこでこうなるか分からないのだ。
ここで少年を助けるのは、自己満足に他ならない。
しかし、多少なりとも善行を行えば、神のご慈悲があるかもしれない。
言ってしまえば打算だ。
テオは敬虔な信者という訳ではないが、実家は代々農耕神、グヤンザを祀っている。グヤンザは豊穣の神だ。豊穣とは、すなわち命とも言えた。
テオは意を決すると、少年をオプタの背に乗せ、次の村へと急いだ。
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