天啓を暴く
ゴットー・ノベタン
ささくれは雄弁に語る
ガチャリ、と鍵を開ける音が響く。
とあるアパートの一室。そのドアの前に、二人の男が立っていた。
スーツの男と、コートの男。彼らはそれぞれ、刑事と探偵である。
「30分、誰も来ないようにしてある」
スーツの刑事はそう言いながらドアを開けると、入り口に張られた『立入禁止』のテープをかき分け、廊下の奥へと踏み込んでゆく。
コートの探偵も、キョロキョロと周囲を見まわしながら後に続く。
「ここが現場だ」
リビングに着いた刑事が、部屋の中央を指さした。
誰もいないコタツには、そこに足を入れて寝そべっていた人物を縁取る様に、白線の枠が描かれている。
天板には大量のビールの空き缶と、睡眠薬のシートが数枚。
「酒で睡眠薬を流し込んでのオーバードーズ。署内の意見は事故が9割、自殺が1割って所だ。だが……」
言い淀む刑事に、探偵が訊ねる。
「他殺を疑っている、と」
「ああ」
「根拠は?」
「勘だ」
自分の発言が嫌になっている様子で、刑事はため息を吐いた。
「根拠は何もないが、どうしても納得がいかない。論理的じゃないのは分かってるが……」
「なに、勘だって馬鹿にしたものじゃないさ。例えば……そら、」
探偵はコートのポケットから何かを取り出し、刑事に放ってよこす。
「おっ、と。なんだ、缶コーヒー……洒落か?」
「……いや、そういう意図は無かった。投げ返してくれ」
ちょいちょい、と右手で手招きしつつ、キャッチボールでもする様に左手を構える探偵。
刑事は訝しみつつも、言われた通りに投げ返す。
「ナイスパス! さて、今のをきみはどうやった?」
「は?」
探偵は、コーヒーを受け取った左手を指差した。
「ピタリとここへ投げて来ただろう? 缶の重量、投げる姿勢、角度、速度、様々な計算を行ったはずだ。しかし、きみ本人にそんな意識は無い。それが『カン』だ。人が思考を言語化出来る範囲なんてのは、実際に行っている膨大な計算からしたら、微々たるものなのさ」
コーヒーを仕舞いつつ軽快に述べる探偵に、刑事は苦笑する。
「相変わらず、理屈を捏ねるのが上手いな」
「事実に反する結論でなければ、筋道を立てるのは簡単さ」
「なるほど、その調子で頼む。さて、ホトケは……」
刑事が資料を読み上げようとするのを、探偵がやんわりと手を上げて制した。
彼は人差し指を口に当てて見せると、リビング、キッチン、風呂場、トイレ……コタツや洗濯機の内側まで、1Kの部屋中を隅から隅へと観察する。
最後に「写真を見せてくれ」と言い、刑事から受け取った遺体の写真をしげしげと眺めると、ようやく探偵は口を開いた。
「大学4年生、男性。サークルには不参加、交際関係も無し。水虫予防に熱心で、今の所罹らずに済んでいる。卒業後の就職先がなかなか決まらず、ここ暫くは酒と睡眠薬に溺れている。父親から『実家に戻って農業を手伝え』と言われ、渋々ながら田舎に戻る準備を進めていた。単位は揃っているため、大学には今学期に入ってから顔を出していない。死亡したのは昨夜で、発覚したのは昼過ぎ。母親から何度も問い合わせがあり、鍵を開けた大家が第一発見者となった」
刑事は目を丸くしつつ、探偵と資料を交互に見る。
「……いつの間に読んだ?」
「ただの推理さ。一人分しかない食器に、しばらく履かれていない革靴。洗濯機に入れられた5本指靴下。空き缶と空き箱だらけのゴミ箱。昨日付で届いている、野菜の詰まった段ボール。材料はそこら中にあるが、一から十まで説明するのはよそう。とりあえず気になるのは……」
探偵は、コタツの白線を指さす。
「遺体はどこだ?」
「遺体? 遺体なら安置所だが……」
「司法解剖でオーバードーズを確認して安置所、それは分かる。だが場所を知らないんだ、案内してくれ今すぐに」
言うなり、探偵はズンズンと玄関へ向かって歩いてゆく。
「お、おい? 現場はもう良いのか?」
慌てて後を追いつつ、刑事が問いかける。
「一通り見て覚えた」
「じゃあどうなんだ、やっぱり他殺か?」
「ああ」
「根拠は?」
探偵は立ち止まり、くるりと振り返って告げる。
「ささくれだ」
「……ささくれ?」
刑事は思わず聞き返し、遺体の写真を眺める。
「そんなもん写ってるか?」
「写真では分からない。分からないが、とにかくささくれが鍵だ」
探偵は前を向き、再び歩き出す。
「僕の勘がそう言っている」
遺体安置所。
無言で待つ二人の前に、袋に包まれた遺体が運ばれて来る。
彼らが手を合わせると、担当の医師は頷き、ジッパーを開いてゆく。
3分の2ほど開かれたところで、探偵が遺体の右手を取り、丹念に観察し始めた。
「……無いな、ささくれ」
「こっちも無いぞ」
左手を見ていた刑事から声が掛かる。
「大体、ささくれがこのヤマとどう関係するんだ?」
「分からない。だが僕は、こういう時の直感が必ず当たってしまうんだ。もはや天啓と言ってもいい」
探偵はそう言うと、遺体の周りをぐるぐると歩き出す。
「数式の途中をすっ飛ばして、答えや途中経過だけポンと見せられてる気分さ。だから必死に考え抜いて、何故そこに至るのかを解き明かし、全ての答えを暴いてやらなければ気が済まない。その為に僕は探偵をやってるんだ」
その言葉に、刑事は腕を組んで考え込む。
「数式か……なら答えが出てこないのは、必要な数字がまだ足りてないんじゃないのか?」
「そうだねえ、情報が多いに越したことはないんだが……」
そう言うと、探偵は手に息を吐きかけて擦り合わせる。遺体の腐敗防止のため、安置所の室温は低く保たれていた。
「裸の遺体があるせいか、余計に寒く感じるな……ん?」
「どうした?」
はた、と何かに気付いた様子の探偵。彼は刑事に問いかける。
「遺体の……服はどうした?」
「署の保管庫にあるはずだが」
「見に行きたい。いや待った、その前に見るべき所がある」
そう言うと探偵は遺体の足元に立ち、残り3分の1のジッパーを一気に下ろし切った。
そうして前進が
「……あった」
左右の親指の皮が、痛々しくささくれ立っていた。
「分かったぞ、この遺体は……死んでからあの部屋に運ばれている!」
それから数日後。
警察署の取調室に、一人の男が座らされていた。
「……はい、私がやりました……」
被疑者の男は、被害者の大学の同期であり、友人だった。
探偵の推理により第三者の関与が疑われると、後は早かった。周辺の防犯カメラの映像、スマートフォンの位置情報などを調べ、あっという間に被疑者が割り出された。
決め手となったのは、服に付いた繊維。被害者の服と家からは男の服の、男の家からは被害者の服の繊維が見つかったのだ。
男は、被害者を恋愛の対象として見ていた。しかしその思いを打ち明けられずにいた所、被害者が田舎へ帰るつもりである事を知ってしまう。
それならせめて、最後に思い出が欲しい。そんな歪んだ欲望を満たそうとした男は、送別会と称して被害者を泊まりに来させ、酒と一緒に睡眠薬を飲ませたのだ。
男にとって誤算だったのは、被害者が普段から大量の睡眠薬を飲んでいた事だった。気付いた時には既に遅く、被害者の脈は止まってしまう。
慌てた男は、被害者が自宅で死んだと見せかける為の隠蔽を図る事にした。
まず被害者を車で自宅まで運んだ男は、指紋だけは残さない様に気を付けつつ、被害者の服を洗濯機に放り込んだ。『洗濯が終わるのを待つ間に、うっかり酒と睡眠薬を飲み過ぎた』という筋書きだ。
洗濯を待つ間に睡眠薬を飲むだろうか? という疑問の残る策であり、実際刑事の受けた違和感もここから来ていたのだが、男も酒を飲んでいたため、そこまでは気が回らなかった。
次に男は、被害者のスマートフォンのロックを被害者の指紋を使って解除し、自身との交流の記録を全て削除した。
更に、男の家で被害者が飲んだビールの缶や睡眠薬のシートをコタツの上にばらまき、ここで飲んだ様に偽装する。
最後に、生前の被害者から聞いていたガスメーターの上の合鍵を使い、扉に施錠して立ち去る。
あとはしばらくの間バレなければ、自身との関係に辿り着かれる事も無いだろうと男は考えた。しかし、
「でも、なんで事故や自殺じゃないってバレたんでしょうか……?」
そう、男の偽装工作は看破される。
その理由について、刑事はしばし考え込み、やがて頷いてこう告げた。
「ささくれ、だな」
数日前、遺体安置所の前にて。
「死んでから運ばれた……第三者がいたわけか。しかし、何故分かる?」
探偵の出した結論に対し、刑事が疑問を投げかける。
「気付いたきっかけは、遺体の履いていた靴下が綺麗だった事だ。もっと言えば、あの家にある靴下の中で、洗濯機に残っていた5本指靴下だけが、かなり汚かった」
「……つまり?」
「被害者は普段、靴下を1足しか使っていなかったのさ。朝出かける前に履いて、帰って来たら洗濯機に放り込んで風呂に入り、上がったらバスタオルなどと一緒に洗って干し、翌朝それをまた履く。つまり彼は、家の中では裸足でいる習慣だったんだ」
刑事は頷いた。そういった習慣は、彼にも覚えがあったのだろう。
「ああ……それで冬場は足が乾燥して、ささくれが出来たわけか」
「そういう事。だから、『洗濯機に洗濯物が残った状態で彼が靴下を履いている』というのは、自宅にいる状態だと考え辛い。どこか別の場所……それも私服で泊まりに行く様な、友人や親戚の家にいたと考えるべきだ」
「なるほど……! よし、上にその説を報告して、すぐさま捜査に移る!」
言うが早いか、刑事は駆け出して行ってしまった。
探偵はひらひらと手を振ってそれを見送り、
「……うん、あいつ報酬の事忘れてるな……思い出すまで日数加算しとくか」
そう呟くと、刑事とは逆の方へ歩き出した。
ポケットに手を突っ込むと、飲み忘れていた缶コーヒーの存在を思い出す。
すっかりぬるくなったそれの、プルタブを持ち上げようとして、
「いてっ!?」
鋭く走る痛み。見れば彼の指はあちこちがささくれ立ち、いま力を込めた人差し指は薄く血が滲んでいる。
「冬場に自炊してりゃあ、ささくれくらいは出来るよなあ……」
被害者の手にささくれは無かった。あの家には、ハンドクリームの類も見当たらなかった。
彼の実家からは、段ボール一杯もの野菜が届いていたのに、だ。
「最後のオーバードーズがどういう状況だったにせよ……あの家の様子じゃあ、普段から酒と睡眠薬はがぶ飲みしてただろうなあ」
野菜を届けた翌日の今日。彼の母親は連絡が無い事を心配して、わざわざ大家に鍵を開けさせたのだろう。おかげで彼の遺体は、ささくれが判別できる状態の内に安置所へと送られた。
恐らく、彼の現状を察しての行動ではあったのだろう。そのおかげで、彼の死の真相にも近付けたのだが……
彼の不眠の原因、そのストレスやプレッシャーは、いったいどこから来ていたのだろうか?
「……やめたやめた、分かり切った事を考えても意味がない」
比較的マシな薬指でプルタブを開け、コーヒーを喉へと流し込む。
帰りにハンドクリームでも買ってみるか、などと考えつつ。探偵はポケットの中で、ささくれた指をそっと擦り合わせた。
天啓を暴く ゴットー・ノベタン @Seven_square
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