鉄のささくれ

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鉄のささくれ


「ああクソ……取れねェな」


 広々とした応接間で、男は独り言ちた。男は高級リクライニングチェアーに身体を預けながら、右手人差し指を弄っていた。


「兄貴、またですかい」


 そこに、一人の細身の男がやってきた。兄貴――そう呼ばれた男が、くるりと椅子を向ける。兄貴は、今やってきたばかりの男とは一回りも二回りも体格が大きく、それに輪をかけるように厳しい険相をしていた。


「……あのよぉ、ダズ。いい加減、その兄貴ってのォやめてくれや。俺は今、”所長”だ。気に入ってんだぞ?」


「へい、所長。肝に銘じやす」


 細身男――ダズはへいへいと頭を下げた。まともに話を聞いていない事実を隠そうともしていない、ある種不遜ともいえる振る舞いであったが、所長は軽く流した。


「そンで、お前が来たってことは」


「奴さん、ご到着された様子で」


「予定通りだ。そんじゃ、留守は頼むわ」


 所長は一着のスーツを椅子から拾い、纏った。それは至ってフォーマルな灰色のスーツであったが、それを纏っただけで、所長の雰囲気が変わった。まるで何人をも寄せ付けない斥力が生じたようで、ダズもまた、入口とは真反対の観葉植物側の壁に逃れるように移動した。


「ご武運を……兄貴」


 部屋を出た直後にダズが言った。所長が文句を言おうと振り返った時には、既にドアは閉められていた。所長は頭を掻き、ドアの上に飾られた1つの看板を見た。『何でも殺ります』。それが屋号さえ持たないこの場所が、唯一掲げた文句だった。


「……やっぱ気になるな」


 所長はもう一度人差し指を弄ろうとしたが、やがて観念したのか、待機していたリムジンへと一人乗り込んだ。







 所長が到着したのは、S県の県庁所在地にあるホテルであった。S県には多くの名所があり、特に昨今はインバウンドで多くの旅行客が溢れている。中でも、駅から程よい距離にあるこのホテルは名が知れており、なかなか予約が取れないことでも有名だった。だが、そんなホテルのエントランスが、今は血と臓物で塗れていた。


「10……15……20。そんなところか。派手にやりやがったな」


 常人ならば顔をしかめるであろう死臭漂う血の池を、所長は何の気兼ねもなく進んでいく。クロコ革の高級靴が黒から赤に染まっていくが、やはり気にする様子はない。


(堅気からヤクザもんまで一緒くたにこれか。嫌になるね)


 所長は一つの死体の前で足を止めた。それは逆くの字に折り曲げられ、顔面は判別できないほどに潰されていた。朱色になったスーツについた、バッチだけが彼の所属を示しているようだった。


「ダグチ……さっさと足を洗えって言った筈だろ。かみさん放っといて、こんな汚れた床で寝てんじゃねェよ」


 所長は死体のスーツの懐をまさぐると、内ポケットから一丁の銃が出てきた。種別はトカレフ、ヤクザが一般的に携帯する小拳銃だ。かつては武器として用いられていたようだが、その時代を所長は知らない。現代においては、己が堅気でないことを示すパスポートのようなものである。あるいは、旧世紀の聖職者が身に着けていた十字架がそれにあたるか。


「チッ……本当に、朝から気になってたんだ」


 拳銃を内ポケットに収めると、所長は再び人差し指に触れた。その指の爪の端に、小さなささくれがあった。


「昔っから、嫌な事が起こる日はいつもこれだ」


 所長は力任せにささくれを引き抜こうとした。だが、それは粘り強く、この後彼が諦めるまで、抜けることはなかった。まるで、運命の不変を強調しているかのようであった。諦めて、男は死体を避け、先に進んだ。


 屋上へと続くエレベーターがあったが、その自動ドアは力づくでこじ開けられていて、その先のかごはない。無機質なレールが、火花を散らしながら露出していた。彼は空いたドアの隙間に顔を入れ、上を見た。一見するとどこまでも続いているようである。事実、このホテルは地上60階とかなりの高さがあるはずであった。


「なるほど。これならまだ、な」


 にも関わらず。所長は足場のないはずの、エレベーター扉の先へと躊躇なく飛び込んだ。そうするのが最適解だと言わんばかりの、慣れた動きであった。







 某ホテル屋上庭園。整えられた新緑が、やはり赤に染まった地獄の中に、一人佇む男がいた。上半身に一切の衣類を纏っておらず、その頭部は髪の代わりに、数本の金属の管がまるで蛇のように蠢いている。仮に、神話に造詣の深いものがいればギリシャ神話のゴルゴーンと、ティーンカルチャーに精通した者が見れば派手なドレッドヘアと誤認したかもしれない。しかし、当然それには正しい名があった。


金属人種アウルム……やっぱ待ち構えてやがったか」


 エントランス同様、やはり開けられていたエレベータ扉の両端を、巨大な手のようなものが掴んだ。グレーで、流体金属のような手であった。程なく、その隙間から一人の男が屋上庭園に躍り出た。所長であった。奇妙なことに、エレベーターを掴んでいた手は消えており、代わりに所長が纏う灰のスーツに波打つような波紋が広がっていた。


「やはり……来てくれましたか、同種。お待ちしておりました」


 アウルムと呼ばれた男が、恭しく頭を垂れた。それは自然な所作であり、元々彼が気品高い人物であることを示しているようであった。


「随分殺したな。バカ高ぇ賞金がテメェの首にかかってるぜ。一応聞いてやる。なんでこんなことした? 死にてえなら、他にも手段あンだろ」


「尊厳のためです。あの日、あの金属雨に打たれ、我々は望まずして別の人間種になってしまった。あなたもそうでしょう? せめて、死に方だけは自分で決めたいんですよ」


「俺に殺されるのが誇り高い死に方だって言いてぇのか? ロクなもんじゃねェぞ」


 所長は肩をすくめ、言った。アウルムの頭のケーブルがざわついた。


「精一杯生き足掻いて、その上で死にたいんです。普通に生きたんじゃ、金属人種の身体はそれさえ許してくれない。貴方のような同種に頼るしかないんです。ですから――どうか、生の実感をください」


 突如、アウルムの頭部ケーブルが伸長した。それは槍のように鋭く、弾丸のような速度で所長の頭部へと迫る。彼は身をかがめ、最小限の動きで躱す。


「生の実感? ンなもん、卒アルでも見て思い出せ」


 所長は内ポケットから拳銃を取り出した。この銃に安全装置はない。即座に火を噴いた。射線の先、アウルムはそれを避けようともしない。


「鉄砲では私は死にませんよ。ご存じでしょう?」


 弾がアウルムの腹部にあたり、そして弾かれた。更に、数発の弾丸が着弾し、あらぬ方向に跳弾していく。筋肉が乗っていない、細身の身体にも関わらず、それはまるで鋼の厚板であるかのようだった。


「本当に、効かないと思うか?」


 所長がニヤリと笑った。


「え……」


 アウルムが己の腹部を見る。すると、無傷だった筈のそこに、小さな穴が開いていた。人のそれとは異なる、青くて白い血がそこから流れている。


「凄い、どうやって……いや、この感覚。そうか。あなたは自分の指を射出したんだ」


 男が力むと、穴の中から小さなものが膿のように飛び出した。それは、人差し指の第二関節から先の部位だった。実際に、所長のトカレフを持つ手の、人差し指だけが途中からなくなっている。中からはやはり、青白い血がこぼれていた。


「……素晴らしい! その調子です。さあ、どんどん私を追い詰めてください!」


 高揚に呼応するかのようにアウルムの全身が痙攣し、ハリネズミのように針が全身を覆った。それだけではない。頭部ケーブルのように針が伸長し、360度全方位に急速膨張を始めたのだ。


「仕掛けてきたな」


 迫りくる鋭角はしかし、所長を傷つけなかった。彼がいつの間にか手にしていたドスが、到達する前に針を切断したのだ。


「先ほどから貴方が使う道具は、まるでヤクザみたいだ。そんな短刀でどうやって私の身体を切断できたのですか?」


「試してみな」


 発言しながらも、アウルムの全身針は再生し、更に密度を上げようとしていた。対して所長は――駆けた! アウルムに向かって、ドスを振り回しながら前進する。道を塞ぐ針、刺さんと迫ってくる針、その悉くがやはり切断されていく。


「……なるほど、振動ですね」


 アウルムは針の感触から答えを得た。所長のドスには秘密がない。秘密があるのは男自身の身体であった。腕を振る瞬間、微細かつ高頻度の振動が腕自体に生じ、振るわれるドスがまるで高周波ブレードのように機能していたのだ。


「あなたは人間だった頃の武器を、今でも有効活用している。なんという創意工夫でしょう。素晴らしい」


 針の山を切り刻みながら、所長は徐々にアウルムに迫る。あと10メートル、5メートル、3……!


「そして――それが貴方の敗因です」


 グサリ。所長を何かが刺した。腹部からは、一本の針の先端が突き出ている。つまりこれは、背中から刺されたことを意味していた。


「くっ……!」


 所長は不意に地面の感触を失った。己に刺さった大きな針が、突き刺したまま持ち上がろうとしているのだ。彼はもがくが、針を切断することができない。そして、真下を見た。360度展開された、彼に当たるはずのない無数の針。それらがまるで網目を築くように中腹から針を向け合う様を見た。そして、無様に浮いている所長に照準を定めるように、新たな針が産まれようとしている。


「これが金属人種の対応能力です。元の体積以上の金属を自在に生み出し、動かし、武器にすることができる。原人種サピエンスの力に頼る必要など、どこにもないのですよ」


 一部の針が退き、そこにアウルムの顔が現れた。


「ああ……私もかつては、普通の原人種でした。名前があり、夢があり、生きる目標があった。この鋼の身体が、すべてを奪っていきましたが」


 アウルムは、空虚そのものの顔で所長を見た。


「さようなら、ヤクザさん。あなたのおかげで、その時の気持ちを少しだけ思い出すことができました。次の同種に出会うまで、あなたからいただいた生の潤いを忘れることはないでしょう」


「フ――次を語るにはちっと早ぇだろ」


 所長が笑った。アウルムは訝しみ、次の瞬間、身体が破裂した。




「バカな!? 今の一瞬で、私の核を砕いたのか。どうやって?」


 無数の針は、はじめからそうだったように液状化し、元々あった彼の身体もまた溶けはじめた。端正な顔だけが、未練がましく形状を保ち続けている。


「お前は俺があんまり変形しないもんだと錯覚してたみてぇだがな……できるんだよ。悟らせねェだけだ」


 大地に降り立った所長が、胸の穴から溶け行く針を抜き、そのまま捨てた。ぽっかり空いていた穴が塞がっていく。


「最初から……私の針が貫く直前に、通り抜けるように自分で穴を開けたのか」


「そういう事ができんのが金属人種だろうが。そんで、お前が油断してる間に細く通した一部で核をドン、だ」


 所長がアウルスを見下ろしていった。その表情は、怒りとも哀れみとも知れない色を帯びていた。


「ハ、ハハ……もっと充実して死ねるかと思ったのに、こんなに呆気ないのか」


 男が笑った。所長は表情を変えず答えた。


「――俺たちはささくれだ。人間に生えちまう不純物。誰が悪いわけでもねぇ。人間も、あの日の雨も、俺たちも……ただ、できちまったからには、そう生きるしかねぇ。抜かれたいからって、消えたいからって周りに暴れ散らしたら……そういうのは、駄目なんだ」


 所長の言葉は、自分に言い聞かせるようでもあった。アウルスは苦笑を浮かべた。


「ささくれが、ささくれを抜くんですか。ハ、ハハハ。それじゃあ、最後に残ったささくれは、あなたは、誰が抜いてくれるんでしょうね……?」


 それっきり、男は言葉を発しなかった。発声の機能を、あるいは思考能力をも失ったようだった。そして程なく、身体の後を追って溶けて消えた。







 階下から、かすかなパトカーの音が所長の耳に届いた。警察隊の中に扮した彼の仲間が、密かに彼を送る手はずだ。初めは極道相手に始めた商売だったが、近ごろは公安経由の依頼がほとんどになっていた。所長はうんざりしていた。


 所長の胸に、男の声が、しこりのように残り続けていた。ただの鉄砲玉だった自分が、今では化物専門の殺し屋をしている、化物になっていた。化物たちのほとんどは、その運命からの解放を、死を望んでいた。自分もそうなるのだろうか。いつか生きて居たくなくなったとき、討ってくれる誰かがいてくれるだろうか。


「……まあ、コイツがある限り、当分は先の話だな」


 所長は、右手に持ったメビウスの煙草を見て笑った。まだ味覚があるし、こうしたものを楽しむ余裕もある。そして、彼は気づいた。戦いの最中に銃弾代わりに飛ばし、たった今再生した人差し指には、今度はささくれはなかった。パトカーの音が近づいてくる。間もなくヘリが来るだろう。所長は、庭園の縁から街を覗いた。





【鉄のささくれ】終

 


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鉄のささくれ IS @is926

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