第180話 敗色濃厚

 嫌なタイミングで出てきやがったな。前門の鬼後門の豚ってか?

 首だけ回して振り返る。


「おいおい。どうせ役者集めるなら、アラクネ代表さんも連れてきちゃくれねえか。角界じゃねえんだからよ」

『彼女には彼女の仕事がありますので』


 グレンデルは肩を竦めてから、鎖を大きく振るう。バキリと硬い音がした。火を噴きながらドローンが墜落していく。まずは手数を削ろうってか。

 本当に嫌になるぜ。

 知的生物を相手にするっていうのは、こういうことだ。散々に思い知らされている。


「オドア。この豚野郎に良いように使われていいのか? 今なら二人がかりで殺すチャンスだぞ?」

『無駄ですよ。ゴブリンは他妖精種と語族が違いますから。鼻濁音と吸着音のリズムでコミュニケーションを取ります』

「物知りだな。博士って呼んでやるよ」


 ただグギャグギャ言ってるんじゃなくて、特定の音でモールス信号やってんのか。いつか使える豆知識をどーも!


「こういうときって性格出るよな」


 素早く体を反転させ、グレンデルに斬りかかる。巨躯を誇るオークは鎖を巻いた手首をクロスさせ、刃をがっちりと受け止めた。擬似的な鍔迫り合いで押し込み合う。

 至近距離。互いに目が血走っている。


『おやおや……。弱い方を先に狩るタイプかとお見受けしましたが』

「大正解だよ、馬鹿たれ」

『作問者が愚かだと問題自体が成立しませんね』


 背後から足音。あえてグレンデルに押されることで、反動をつけてバックステップ。大鉈を拾おうとしているオドアの顔面を掴み、勢いと体重を乗せて石壁に叩き付けた。

 苦悶の声が漏れる。石に大きなヒビが入った。

 乱戦で武装に固執するとこうなる。あくまでそれは、殺す手段でしかねえんだよ。


 オドアに大ダメージを与えた代償は、等しく大きかった。

 グレンデルを確認する俺の視界いっぱいに映る、薄汚れた足の裏。綺麗に両脚を揃えたドロップキックだ。

 まず、意識がトぶ。ふわりと宙を泳ぐような夢心地のあと、全身を突き抜ける衝撃に目が覚めた。


「がっっっはっ……!」


 大量の血が混ざる空気を吐き出した。今度は俺の体がひび割れた壁に埋まっている。足がぶらりと浮き上がり、擬似的な磔にされていた。

 弱ったところには、当然追撃が来る。自然の摂理だ。

 グレンデルのデッカい全体重を乗せた肘打ちが腹に突き刺さった。まるで内臓全てを消し飛ばされたような痛みが神経を焼き焦がす。


『さて。強い再生力を有しているようですが、どうすれば殺せますかね』


 顔面を鷲掴みにされた。浮遊感。ついで、後頭部に強い痛み。また意識が飛びかける。

 こいつ、アイアンクローから振り回して地面に叩き付けやがった。俺じゃなけりゃスイカ割りになっているところだぞ。


 顔面を掴む太い腕に両手を絡みつかせ、肘を捻りにいく。上下逆に回される関節に、グレンデルは呻いた。


『ぐぅ、また体系化された組み討ちの技ですか』


 関節を壊される痛みに負けたか、グレンデルの体が横に倒れる。それに合わせて起き上がり、今度は俺がマウントポジションをとった。しっかり両脚をグレンデルの膝に絡ませ、ポジションを固定する。


「歴史を感じるだろ? これが文化ってやつだよ。オラッ、文化! 文明! これが科学だ!」


 豚の顔面にパウンドを打ち下ろす。

 マウントとって相手の顔に拳の連打。これが地球人類700万年の集大成だ! イェール大学の研究でも、これが一番強いって言われてんだよ!!


『あまりにも野蛮な生き物ですね!』


 グレンデルは両腕で必死にガードを固めるが、その上から殴り続ける。肉は叩けば柔らかくなる。これも文化だ!


「ガァァァッ」


 いつの間にか戦線復帰したのか。頭から血を流すオドアに、大鉈で側頭部をぶん殴られた。目にまで食い込む刃の感触。右側の視界が真っ赤に塗り潰される。思わず地面を転げた。


 喘息のように荒い息をしながら、ゆっくりと立ち上がる。

 世界樹で癒えない、打撃でのダメージを喰らいすぎている。深酒をしたときのように、脳がじんじんと痺れていた。

 まずい。本当にまずい。

 解像度が下がりすぎてガビガビになった思考で、ぼんやりと危機を感じていた。


 ああ、眼球の中に血が溜まってるな。右目が見えねえ。

 視界の半分を汚れた肌の色が埋めている。左目だけで見ればこんなもんか。はっ。意外と俺って鼻が高かったんだな。しょうもねえことに意識がチラつきやがる。


 武器は――足下にある。

 足のつま先で引っかけるように持ち上げ、いつの間にか手放していたツヴァイハンダーを拾い直した。


「やっぱ邪魔くせえな。先に落とすか」


 体を斜めに回した。遅れて腕が振るわれ、さらに遅れて切っ先が隙だらけのオドアに襲いかかる。オドアは素早く身を引いた。

 隙を晒した横腹を狩ろうとグレンデルが迫る。その大きな一歩を待っていたんだよ!


 ツヴァイハンダーをそのまま投げつける。


 体勢が傾いている俺は、地面すれすれを這うように駆け出した。左右の壁を交互に蹴るようにして、細い路地を走り抜ける。

 逆転の目はねえ。もうフリテンだ、畜生が。


『逃がしませんよ!』


 グレンデルの声が上昇した。どうやら跳んだらしいが、背後を確認する余裕はない。

 とりあえず、手近な建物に転がり込んだ。素早く、だが静かに扉を閉める。細く息を吐き出した。


 これで一旦撒ければ良いんだが。次にあいつらに見つかる前に、隼人に合流出来れば勝機が生まれる。


 ――どす。


 楽観的な思考が、腹に広がる熱さによって途切れた。見下ろすと、錆びた剣の切っ先がみぞおちから飛び出している。ごぼりと口の端から血が溢れ出した。

 切っ先を握りしめながら、振り返る。そこには、歯を剥き出しにして戦意を漲らせるゴブリンがいた。

 クソが……。ただの雑兵が、こんなところで。


 剣を手放したゴブリンが、胸を膨らませる。


 ダメだ、叫ばせるわけにはいかない。右手でゴブリンの喉を掴み、全力で締める。

 ゴブリンも食いしばった歯を剥き出しにし、顔中の血管を浮き上がらせながら、俺の首に手を掛けた。


 無言、無音で互いの首を締め付け合う。

 顔中の皮膚が張り詰め、ビシビシと電流のような感覚を発していた。行き場のない空気が胸の奥で暴れ、心臓がバクバクと肋骨を叩く。


 死ねねえよ。まだ。

 こんなところで追い込まれて、誰にも知られずただのゴブリンに討たれるわけにはいかねえんだよ。

 お前が! 死ね!


 ゴブリンの首に指が沈んでいく。

 じわり。手の形に血が盛り上がった。鮮やかな赤色のそれは、表面張力で一瞬だけぷっくりした形で震えてから、ゴブリンの体を伝って流れ落ちていく。

 屈強な猿のような体から力が抜けた。崩れ落ちないように抱きかかえながら、ゆっくりと床に寝かせる。


 音がしないように浅い呼吸を繰り返した。

 倒れたゴブリンの死骸を見下ろしながら、ひたすら小さく吸って吐いてを繰り返す。


 あまりにも空しく、情けない、小さな勝利だった。

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