第132話 壊れた者 佐藤翠の世界③

 巨大な竜を出したところで、結局のところマーリンの目的はナガを世界樹にすること。攻撃の規模は絞られる。

 もちろん、ナガなら再生できるけど、私たちだけ重傷を負うような攻撃をされる可能性もあるんだけど。


「強そうだけど、遠いよ?」


 私の魔法が完成した。サウナくらいの温度の熱風。ただ、上から下に向けてのダウンバーストだ。とにかくマーリンを確実に捉えられるように吹き下ろさせる。

 広い面積で受ければ障壁が割れる。空中を歩くに合わせて、自分の足の裏にピンポイントで障壁を生成。


「くっ、邪魔くさっ」


 圧力で身を守る障壁を割られたマーリンが、腕で目を覆う。何が混ざっているでもないが、乾燥という目に見えない脅威に襲われていた。

 傷では無いから治せはしない。表面が硬いだけでは防げない。体全体を覆う障壁は圧力で割れる。

 処理能力の割に、効果が大きい魔法かもしれない。


「横に大きく展開してるからね。逃がさないよ」

「たかが環境変化程度で……!」


 地面から引き上げられる泥水。火球を連射して散らしていく。

 マーリンが私に指先を向けた。熱風を浴びながらも殺傷することを優先したみたい。ここは敢えて距離を詰めに行く。

 撃たれた熱線を、頭を振って躱す。こめかみに灼熱感。掠ったかもしれない。けれど間合いが縮まる。


「動きも良い、と」

「当たってもいいからね」


 被弾上等。この高空で私一人で倒しきる必要もない。

 向けた手のひら。マーリンが警戒の眼差しで凝視した。狙い通り。

 喧嘩上等。上質な発想はパクってしまえばいい。

 手のひらが瞬間的に閃光を放った。メガネの人が言っていたやつだ。


 目を潰されたマーリンが当てずっぽうに熱線を放つ。細く、そして数だけは多く放たれたのが、いくつか体に掠った気がした。それでも。


 体全部で飛び込んで、握りしめた拳をむかつく顔面に叩き込む。

 鼻から血を流しながら、マーリンの体勢が崩れた。熱風に押し流されるように、地上へと墜落していく。


「ぐっ、でもこれで距離が……」


 短く歯ぎしりをし、マーリンは姿勢を立て直した。風に乗るように真下に滑空する。


「降りていいの?」


 私の問いに、一瞬だけマーリンが振り返る。刹那の隙。それを逃さない者がいた。

 正面に向き直ったマーリンの目の前に、開かれた大きな顎が迫る。

 全身から泥をまき散らし、無機質な目を光らせ、口の端から血と唾液を迸らせながらカルカが飛び上がっていた。


「っ!?」


 必死に逃れようと空中で体を捻る。

 ばぐん。

 トラバサミのように閉じられた牙がマーリンの脚に突き刺さる。くぐもった悲鳴が聞こえた。

 カルカは空中で巨体を捻らせ、マーリンを咥えたまま頭から地上に突っ込んでいく。イルカショーに野生と暴力を詰め込んだ感じだ。

 ぬかるんだ地面に頭を突き刺し、長く大きな尻尾を回す。ネジのように回転しながら泥の中に潜っていった。先端でこじられているマーリンの体はどうなっているんだろう。


 大きく息をつき、空を見上げた。

 巨竜がぐんぐんと迫ってきている。

 カルカがマーリンを仕留めて消えてくれたりしないだろうか。それはあまりにも希望的観測が過ぎるかな。


 我らが勇者はボロボロ。シャベルマンさんも瀕死。

 ユエに全盛期の力があればどうにかなったのかもしれないけれど、言っても仕方のない話。

 せめて隼人や柚子がいてくれたら撤退戦も出来たのかもしれない。


 竜は翼の先に手のようなものがついている。巨大な剣を握り、それを振り回すように羽ばたいていた。

 英国を象徴する赤い竜。個人が抗うには巨大すぎる存在。流石にヴリトラほどではないだろうけど、私たちにとっては手も足も出ないという意味では変わらない。


 小さく詠唱をし、精霊達に語りかけてみる。何が出来るかはわからないけど、気を引くくらいは。


「みんな、撤退!」


 地上に向かって叫んだ。返事なのか悲鳴なのか怒声なのか分からないものが返ってくる。

 思わず唇の端が釣り上がった。

 地下21層、神殿墓地エリアを思い出す。そうだ。あのときも撤退戦の殿を引き受けたんだった。


 冷たい地面を転げ回って、迫り来る死を少しでも遠ざけようと絶望の戦いを続けていた。

 増えていく痛み。喉の渇き。狭まっていく視界。恐怖。流れているのが汗なのか血なのかも分からず、自分の体がちゃんとあるのかすら分からなかった。

 望みが絶たれるから絶望と書くのだと知ったんだ。

 自分はか弱いただ1個の命でしか無いと思い知らされた。踏まれれば潰れる虫と変わらなかった。


 空を覆うような竜が地上を睥睨する。

 口の端からバチバチと金属を燃やしたような白い炎が飛び散っている。

 私が選んだ魔法は、限界まで加速した黒曜石の弾丸。全力で放った魔法は、竜の体表で小さな火花となってあっさり消えた。

 竜の目がぎろりと動く。大きすぎて自分が見られているのかも分からない。


 まだ、終わりじゃない。そう心の中で言ってみても、打開の策は見当たらなかった。

 竜が口を開く。

 考えるより先に体が動いた。生きるための回避機動、そして魔法を構築。ああ、けれど。

 これで冒険は終わ――。


「っあ゛あ゛ああああああぁぁぁぁ!」


 ――咆哮が世界を切り裂いた。


 竜すらも動きを止める。

 声の方を見れば、彼がいた。体のあちこちから小枝を生やし、足から根のようなものを生やした意味の分からない姿で、空に向かって牙を剥き出しにしている。

 その目には間違いなく怒りの輝きが宿っていた。


「……ナガ」


 万感の思いを込めて、その名前を呼ぶ。

 そうだ。絶望の先にはいつだって彼がいて、変な格好をしているんだ。

 ナガはユエからエクスカリバーを受け取り、切っ先を竜に向けた。


「迷惑掛けたな。よくやってくれた」

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