第90話

 俺の言葉にメガネはへらりと相好を崩した。今まで俺が見たことのない顔だった。


「俺の言葉だァ、馬鹿野郎。しっかしィ、役目が残ってりゃァ……か」


 何を言いたかったのか。濁された語尾からはわからない。だが、なぜだか妙に嬉しそうに見えた。

 金も出ないで、負傷を抱えお荷物を連れてダンジョンに逆戻りだというのにな。


「よし、そんじゃあすぐにダンジョン行くぞ。大丈夫だ。俺だって何一つ持たずにダンジョンで彷徨っていたからな。意外と食い物も手に入る」

「永野さんが食べていたものは、食べ物と呼べないのでは……」

「支部長ちゃん、食べ物を食べるんじゃない。口に運んだ結果、それが食べ物になんだよ」


 ダンジョンにはノーライフキングやエルフ含め、色んな世界からやってきた奴らがいて、そいつらにはそいつらの世界と食生活があったんだ。

 チャレンジ精神さえあればなんでも食える。


「せ、せめて何か……」


 理事の一人が文句を口にしようとした。その眼前に足を踏み下ろす。鼻先に靴底が掠り、小さく皮がむけた。


「どっか失った状態で行かせてもいいんだぞ」

「ひぃ、行きます、行きます!」

「そんじゃ、ぱっぱ手続きしてダンジョンに行くぞ。入り口までは見守ってやるよ」

「そうだなァ……中に入ってから余計なことォしたら――俺が殺すゥ」


 いやに協力的なメガネが言った。

 俺たちは足元の覚束ない理事たちを立たせ、まるで囚人を護送するかのように連れ出した。



 ダンジョンの入り口の前には、数人の牡羊の会メンバーが待っていた。

 連絡したわけじゃない。恐らく、ダンジョン内で俺の悪だくみを聞いていた者たちだ。キーティアに話していたときに近くにいたのだろう。

 彼らは着替えだけは済ませているが、顔は汚れているし、連れているドローンの表面も傷だらけ。


「オヤジ、ダンジョンに戻るんすか?」

「俺らも行きますよ」


 そんなことを言っているが、疲れやダメージを引きずっているのか、杖にもたれるように立っているやつばっかだ。

 メガネが呆れたように言う。


「牡羊の会はァ事実上解散だ。てめえらが付いてくる理由はねェ」


 まだ若い魔法使いがへらへら笑いながら言う。


「えー、実働部部長のポジションがあいたのに」

「お前は関の後釜にゃァなれねえよ。魔法使いばっか集まって何すんだァ」

「こいつら逃げようとしたら魔法ぶっ放せますよ」


 若い魔法使いの言葉に、理事たちは顔を引きつらせた。

 スーツ姿のまま連れてこられ、何も積んでいないドローンだけ渡されている。逃げ出したところで、水も食料もなく行き倒れるか、モンスターに殺されるのがオチだとは思うがな。


「仲間死んだばっかでさみしいんすよ。オヤジと行かせてください」

「俺は恩返ししたいだけっす」

「オヤジが戦ってなかったら、俺らも諦めてたと思うんで」


 むさい男どもが頭を下げる。

 メガネは苦しそうな表情で、何かを言おうと喉を上下させる。だが、感情に言葉が追い付かないのか、ただ表情が歪むばかりだ。


「いいじゃねえか。連れてってやれ。男なんだ、そういうときもあるだろ」


 俺がそう言うと、メガネは頷いた。

 そいつにとって正しい選択か、将来のためになるか。そんなこと考えたって仕方ねえさ。男はバカな生き物なんだから。賢く振る舞えたって、バカなことしてる方が楽しいんだ。


 牡羊の会の連中が理事を取り囲み、ダンジョンの入り口に押し込んでいく。

 ダンジョン最初の階段は、段々と光が薄まり狭くなる。空気の臭いが変わっていく。別の世界に行くことを強く感じさせるものだ。

 初めてダンジョンに入った理事たちにも、それが分かったのか。にわかに「いやだ」「やめてくれ」だの騒ぎ出す。「焼かれてえのか!?」という怒鳴り声が一発響いて静かになった。


「――さて、俺も行くかァ」


 メガネがぽつりと呟く。


「おう、さっさと行け。いい仲間に恵まれてるんじゃねえか」

「知らなかったなァ……。もう少し早くゥ気づいていれば何か違ったか」

「俺に訊くんじゃねえよ」


 仲間の大切さに気付いたところで、一緒に悪事してちゃ何も変わんねえだろ。


「ナガァ。お前に会えて良かった」


 メガネが俺を見た。穏やかな顔をしている。


 昔、俺はこいつがすげえ怖かった。人生の坂を転げ落ちている最中。半端な荒み方をしていた俺にとって、肩まで暴力に浸かって、興味なさそうな顔でモンスターを殺すこいつは怖かった。

 人を殴れる人間がいる。人の頭を工具でぶん殴れる人間がいる。そして、死ぬまで殴れる人間がいる。

 その境界線を容易く踏み越えていく気配が、若かった俺は恐ろしくて。そして、誰よりも頼りになると思ってた。


 そんなメガネが小さく見えた。


「俺は嬉しくねえよ」

「そうかァ。俺もお前みてェになれたのか。考えても仕方ねェか。あばよ」


 メガネはくるりと背中を向け、ダンジョンに入っていった。

 階段を下っていく後ろ姿に、声をかける。


「おい。俺みたいになれたか、じゃねえよ。羨ましいなら、なれるさ。25年くらい潜っとけ」


 メガネは残っている方の左手をひらりと振って、そのまま薄暗がりの底に消えていった。



 なんとなく、自分のてのひらを見た。

 そして、後ろで支部長ちゃんに抱きかかえられて大人しくしているノーライフキングを見る。俺の感傷なんてわからないモンスターは、きょとんとしている。


 ぐっと手を握り込む。

 なぁ、メガネ。暴力に頼っちまうのは、今の俺だって変わんねえよ。強くなればなるほど便利になるんだ。

 お前が現れたとき、社会に馴染んだ人間のフリをしているところに、過去が追いかけてきた気がした。お前はこれなんだ、と突きつけられた気がしたんだ。


 俺はぱっと拳をほどいて、支部長ちゃんからノーライフキングを受け取った。抱きかかえる。

 小さいくせに重たいな。こいつだって色々抱えてここに来てるもんな。


『どうした?』


 ノーライフキングが腕の中から俺を見上げる。

 俺にもこいつらみたいに、全てを失う日が来るのだろうか。それとも、抗い続けられるのか。


『いや――――暴力って最高だなって』


 力のあり方に悩むより、まずは力を求めるのが先かもな。

 俺の答えをノーライフキングは鼻で笑った。


『お前らしいよ、それが』

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