第2章

第55話

 暖かな陽気に照らされて、緑の芝生がキラキラと輝く。

 父親に抱っこされた男の子が、満面の笑みで遠くを指さした。

 数万人が声を上げ応援する、歴史あるスポーツの祭典。立ち込める熱気は、いつか上昇気流さえ生みだしそうなほど。


 きっと今日この場所が、世界で一番盛り上がっている。


 小さな紙を握りしめ、俺も叫んだ。


「差せーーーーー!!! バサシハイヤダ、差せーーー!!」


 東京競馬場、やっぱ最高だな!!

 ギャンブル関係、全部残ってるじゃねえか!

 俺は外れた馬券をぶん投げて、紙コップに入ったビールをぐいっと飲み干した。


「そろそろメインレースのパドックか……」


 出走前の馬の様子も見たいが、パドックは混んでてダルいんだよな。

 競馬なんて、ちゃんと見ようがちゃんと考えようが、外すときは外す。昨日考えた通りに馬券買っちまった方がいいかもしれねえ。


 パドックを早々に諦め、ビールとモツ煮を買いに行くことを決定した。


 人ごみの中を歩くと、アホみたいな量の視線を感じる。

 もともと高身長のせいで人目を集めやすかったが、今までの比じゃない。


 目立つ容姿なのは自覚しているが、ここは競馬場。小汚いジジイだってたくさんいるのに、妙に見られるのは、確実にロボのせいだ。


 ロボ討伐は、ワーウルフが地上で暴れて犠牲者が出たこともあり、世界中からの注目度が高かった。

 その親玉を討伐したとなれば、全国ネットで連日報道。一躍いちやく時の人だ。


 ダンジョンから戻ってきて即入院していた俺は、3日後に退院した瞬間、歩けなくなる勢いで記者たちに囲まれ、マイクだのカメラだの突きつけられた。

 マジで餌もらう池の鯉みたいだったな。


 あまりにウザくて全員ぶん殴ってぶち転がしたら、田辺巡査部長のお迎えで3日間の勾留。留置所の飯は、病院食より味が濃くて最高だったわ。

 望外の衝撃的な絵面が撮れたこともあり、メディアが被害届を出さないでくれたのはラッキーだった。


 モツ煮とビールを買い、立ち食い用のテーブルへ。隣で一生懸命マークシートを塗っているオッサンに「3枚寄越せ」と言う。オッサンはビビりながら分けてくれた。

 馬カスはどう考えても使い切れない枚数のマークシート持ち歩いて、買いもしない予想で塗りまくるからな。有効活用だ。


「うっ……」


 ずきりとした痛みに小さく呻く。マークシートの表面で鉛筆が滑った。変な場所に線引いちまった。


 ロボを倒してから、ずっと心臓が痛い。それどころか、太ももの内側だったり、指先だったりあちこちに痛みが出るようになった。

 病院で薬は処方されたが、そもそもが未知の毒による症状だ。薬も一応って感じで、現状効果は感じられない。とにかく血圧上がることすんな、安静にしろの一点張りだ。


 ダンジョンの泉に行かねえといけないんだが、激しい運動に体がついていかない。自力じゃ行けねえんだ。

 深層まで足手まといを連れていける探索者に依頼して、連れて行ってもらう必要がある。


 という訳で、山里たちのスケジュール調整に合わせて一旦お休みしているって感じだな。

 スイから遊びの誘いもあったが、とある高貴な方が見に来るこのレースは外せない。普通に断って単独行動だ。


 スマートウォッチの電子ウォレットで馬券を購入。

 残高のけたは微動だにしない。田辺と遊んでいる間に、ロボ討伐の報酬金が振り込まれたのだ。今から来年の住民税と保険料が心配でしょうがねえ。


 レースが見える位置に移動。ついにメインレースだ。


 パー! パパパー! パパパー!

 パパパパーーー!(ダダダン) パパパパーーー!(ダダダダーン)


 自衛隊の音楽隊がファンファーレを奏でる。万雷の拍手が降り注いだ。

 競走馬たちがゲートに入っていき、ついに出走。


「オラぁ! 行け!」


 11頭のサラブレッドが2000メートルを疾走する。

 最終コーナーを曲がったとき、俺が軸に買っている馬の順位は真ん中あたり。位置しているのは集団から外れた外側だ。

 位置取りは良い!


「行けー! 抜け! カルロエール! 勝てーーーーー!」


 3頭が同時にゴールに飛び込んだ。

 どれだ、どっちだ。来い、来い!


 電光掲示板で、先に4位と5位が表示される。写真判定になった3頭はまだだ。

 じっとりと手に汗を握る。緊張の十数秒。

 ぱっと電光掲示板が光った。歓声と悲鳴と怒声が一気に吹き上がる。1着は――カルロエール! 俺が軸にした馬だ!


「っしゃおらぁぁぁあ!!」


 快哉を叫んだ、その瞬間。強烈な痛みにしゃがみ込む。

 まずい、血圧上がりすぎた。脂汗を流しながら、地面の芝にうずくまる。


 心臓にナイフ10本セットでもぶち込まれたかって痛み。息が上がる。くそ、通販業者絶対許さねえ。なんでナイフはセット販売なんだ。普通に1本で安く売れよ。

 ダメだ、痛すぎてなんか混乱してんな。


「兄ちゃん大丈夫か? タコ負けしたかァ?」


 おっさんが話しかけてくる。ガラの悪い奴特有の、低い掠れた声だ。

 返事をしたいがそれどころじゃない。目を合わせないよう、体の向きに気をつける。


「全部スっちまったか。貸してやろうかァ?」


 なんとか胸を押さえて無言で立ち上がり、よろよろと引き換えに向かった。


 ちり……と首筋に視線を感じたが、振り返る余力はない。

 なんだか粘つくような、薄気味の悪い気配だ。弱っているときは、そういう相手には絡まないに限る。


 視線を振り払うように歩みを進め、払戻金を受け取ったらさっさとライドシェアを呼んで帰宅した。



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 ようやく迎えた山里たちとダンジョンに潜る日。井の頭入り口に行く。

 スイ、ヒルネ、トウカたちはロボ討伐のときと同じ武装で待っていた。山里らも集合している。

 俺はツヴァイハンダーをドローンに預け、手元の武器はククリナイフ1本だけ。完全に護衛してもらう構えだな。


「永野さん、お待ちしておりました」


 なぜか一緒にいる支部長えまちゃんに声をかけられる。


「仕事はしなくていいのか?」

「仕事でこの場におります。今回の探索は深層に向かわれるということで、協会から幾つかの依頼があります」


 支部長ちゃんのスマートウォッチからホログラムが投影される。それの一つを指先で捕まえて、俺に投げて寄越した。俺のスマートウォッチでも似たようなホログラムが展開される。

 中身は依頼とその詳細だ。


「事前に佐藤さんと山里さんにはお伝えしたのですが、今回の探索は永野さんがリーダーということで、回答を保留されています」

「俺はついてくだけだから、山里がリーダーで良いんだがな」


 依頼に目を走らせる。


・解毒草と泉の水の採取  大手製薬会社から

・深層土壌サンプルの採取  財閥系の石油会社から

・魔法言語が刻まれた物品  ベンチャー企業から

・バギーの性能試験  兵庫県のバイクメーカーから

・PR商品の使用依頼  調理器具メーカーから


 PR商品の使用依頼は、焚火で肉を焼くための、串と串を置く台だった。あと肉切り包丁。必ず俺が使うシーンを配信で映せと書いてある。

 普通、こういうのって見た目が良いスイとかにやらせるモンじゃねえのか? 意味がわからん。


「大体は良いんだが、バギーってなんだ?」

「ダンジョン1層に運び込んであります。準備がよろしければ見に行きましょう」


「皆は大丈夫か?」

「うん」


 仲間たちに確認をすれば、スイを筆頭に全員が頷いた。


「じゃあ、潜るか」


 今回の先頭はヒルネとシャベルマンだ。

 護衛のように、トウカと山里が最後尾についており、俺は隊列のど真ん中。ちょっと新鮮な気分でダンジョンアタックを開始した。


 久々のダンジョンは相変わらずの埃臭さというか、カビ臭さに満ちている。

 そんな中、職員2名が5台の車両を守るように待機していた。


 黒と緑を基調にしたカラーリング。2人乗りのコンパクトな座席と、対照的にバカデカい4つのタイヤ。正面にだけ盾のような窓がついており、他部分は吹き抜けだ。


 荒地を走る。

 その理念だけを突き詰めたような、剥き出しの超大型サスペンションが、身構える肉食動物を思い起こさせる。


 くっそイカつい、オフロード用の4輪バギーが待っていた。


「おいおい、なんだこれ。かっけえな!」


 山里が嬉しそうに言う。

 いや、わかるぜ。これは男なら皆嬉しいやつだ。心臓が痛むくらいテンションが上がるな。


「これに乗って良いのか?」

「はい、もちろんです。深層の環境では使えるか怪しいですが、そこまでの移動短縮に活用できそうなら、幅広い需要が見込めるとメーカーは考えているようです」


 なるほどな。試験とプロモーションを兼ねているのかもしれねえ。


「そんじゃ、ありがたく」

「永野さんたちは、今日本で最も有名かつ有力な探索者として見られております。今後も依頼は増えるかと」


 遠慮する理由なんてない。

 依頼はすべて引き受けた。売れるときに名を売れば、割の良い仕事にありつける。

 俺たちは5台のバギーに分乗した。

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