第53話 不審者
なぜだろうな。
俺と同じくらいの体格の狼。別に特別デカいわけでも、銀に輝くわけでもないのに、神たるアヌビスの姿よりも威厳を感じる。
王として生まれ、王として生きてきた者の風格か。
フックで顔面を殴り付けるが、首が太いせいか効いてる感じがしねえな。
噛みつきにきた顎の先に、肘で綺麗にカウンターを合わせて、ようやくロボは仰け反った。
全身のバネを使って、体を回転させる。今度はロボが下で、俺がマウントポジションだ。
数発のパウンドを打ち込んだ。牙にでも当たったか、拳の皮がめくれる。
ロボの後ろ足の爪が服越しに背中に刺さった。肉ごと引っ張られ、床に転がされる。
お互いに削り合いながら、ごろごろと目まぐるしく上下の入れ替わる地上戦。
これじゃあ正確に魔法を当てることは不可能だ。
なんて思えば、いつの間にかスイは離れたところにいる。それでいい。
足首からの出血が止まらない。
血圧が爆上がりしているせいか、流れ出すのが早い気がする。
「顔が青いぞ」
うるせえよ。
「死ぬ前にてめえを殺す。間に合わせる」
「無理だ。武器もなく、仲間も減り、衰弱していくばかりの貴様に何が出来る」
「なんでもやるんだよ」
ロボの噛みつきを左腕で防ぎ、その首筋に俺も食らいついた。
互いの肉を剥がし合う。毛が邪魔くせえ。
「ナガ!」
悲鳴のような声とともに、ロボの体が揺れた。
俺とロボの間に、タックルの姿勢でスイが割り込んでいる。
「これ」
言葉短く渡されたのは、小さな植物の
――止血薬を取りに行ってたのか。
粗く噛み砕いて飲み込む。
スイの顔を、右上から左下へと、ロボの爪が切り裂いた。
「あああああっ」
顔を押さえ、床に転がるスイ。すまん、ありがとう。
女の子の顔を傷つけやがって、だなんて今さら言いはしねえがよ。
ちくちくと痛み始めた胸の鼓動がより一層激しくなる。
ロボの前足を捕まえ、ひっくり返す。
晒された腹に前蹴りをぶち込む。
再度マウントポジションを取り、真っすぐに伸ばして揃えた指をロボの口に向けた。
「噛めよ。自慢の牙で。その瞬間に喉の奥をぶち抜いてやる」
ロボの目に焦りが浮かんだ。
横を向き、俺の膝に食らいつくような仕草を見せる。足を引いた途端に、転がって抜けられた。
「逃げやがったな」
息を荒げながら、ロボと正対する。
痛みが体の輪郭を作っている。体の外も、体の中も、傷ついていない場所がない。
「なぜだ。なぜ、そこまで
「こういう戦いが好きなんだろ?」
俺のことを弱くなったと言ったのはてめえだろうが。
「一度保身を覚えた者は、二度とそうはならないだろう!?」
「なるんだよ。失いたくないもんを得たから、なるんだ」
「貴様の記憶は持っている! 仲間との付き合いもそう長くないはずだ!」
ロボが叫ぶ。
わかんねえのか。いや、わかんねえよな。
「手前勝手な男がいたんだよ。ちょっとの失敗でやさぐれて、勝手に社会からドロップアウトした。流されやすくって、あっという間に暴力万歳の生き様だ」
心臓が痛い。
視界の奥で、最後のワーウルフを倒した隼人が膝をついた。
背後でしゃらりと音がする。錫杖の音だ。
「その男がダンジョンに閉じ込められて25年。救出されたときには立派な不審者になっていた。常識を知らない、服も着ていない、力だけの不審者だ」
両脚に、ある限りの力を込める。
「それを受け入れてくれたんだ。この社会は!」
最大最速のタックル。互いの骨肉を潰し合う衝突。
明滅する世界で、吼える。
「恩は返すのが、筋ってモンだろうが!!!」
ロボの毛皮を握りしめ、巴投げの形で、力任せに体を入れ替えた。
左右のスイッチに警戒していても、上下はまだ未経験だろ!
「スイ!!!!」
本当に立ち上がったのかも知らない相棒に叫ぶ。
ドンッ。
熱風と衝撃波が体を撫でた。
信じていた。期待した通りだ!
ロボの体が一瞬強張り、そして、
薄らぼやけた視界。俺も血を流し過ぎている。膝に手を当てながら立ち上がる。
背中側から胸を大きく抉られたロボが、ぐったりと地面に横たわっていた。
「よお。まだ変身残しているとか、言わねえよな?」
「……食え。貴様の勝ちだ」
「そんな体力もねえよ。後でな」
「後で、か。羨ましい話だ」
ロボの口角が、にっと吊り上がった。
そして、静かになる。
やっと死んだか。
床に膝がつきそうになるのを、必死で耐えた。
戦闘が終わったと判断したドローンが、持ち主たちの元へと飛ぶ。俺のところにも1台が飛んでくる。
右手を握り締め、天に。いや、地上へと掲げる。
「俺たちの、勝ちだ」
:うおおおおおおおおおおおおおおお
:よくやってくれた!
:北京原人最強! 北京原人最強!
:みんな大丈夫か!?
:ありがとう、本当にありがとう
:勝ったあああああ!!!!!!!!!!
:ボロボロじゃねーか!
:北京原人最強! マジでありがとう!
怒涛の勢いでコメントが流れる。投げ銭の優先表示コメントも、数えるのが馬鹿らしい勢いで増えていく。
あまりにも流れが速すぎて、ひとつひとつを見ていられない。
これで、地上の奴らも安心しただろ。なんなら、人間に化けて配信を見たワーウルフ共がダンジョンに戻ってくれればなお良い。
腕を下ろし、ドローンから視線を外す。
「スイ」
杖にもたれるように立っている相棒がいた。
「すげえ勲章もらったな」
綺麗な顔に、真っ赤な線が走っている。幸い、目は傷ついていないようだが、鼻と唇が酷いことになっていた。
「ひゃひゃいひゃぼ」
何か言ってるが、唇が裂けているせいか発音が怪しい。
「なんとかトウカに起きてもらって、治すか」
スイは頷いた。
締まらねえ気もするが、激戦の終わりってのはこんなもんだ。
いや、こんなもんで済んだ奇跡に感謝しよう。
また腕が変な方向に曲がっている我らがヒーラーを起こしに、俺たちは傷だらけの体を引きずった。
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かなり深い階層だ。帰り道にまともな支援が来るはずもなく、柚子が来たときのマッピングを頼りに地上を目指す。
岩の台地を目指すのは無理があるからな。
全員が大なり小なり傷を負っていて、表面的には癒していても、動きが悪いことに違いはない。そんな中。
「うわあああああああ!」
やけくその叫びをあげながら、ラプトル相手に善戦する男が1人。
疲労で倒れただけの山里に、全ての戦いが委ねられていた。
「おー、頑張れ!」
「かっこいーですよ!」
俺とヒルネの雑な応援が飛ぶ。
「無理だろおおお」
ついでに全員お昼ご飯だ。
俺はロボの生肉を齧る。
全員が心の底から引いた目をしていたが、仕方ないだろうが。敵とはいえ、何度も話した相手の遺言だ。
心底嫌いだが、本音から憎む相手ではなかったような気がする。あと、腹にでもおさめねえと、なんか復活しそうで嫌だ。生き汚いやつだったし。
「柚子、山里の手伝いしてやれよ。お前って俺より強いんだろ?」
「本当に性格悪い」
からかうと柚子がむくれた。俺たち全員で笑う。山里だけ泣いていた。
山里を酷使しまくり、途中で俺と隼人が前線に復帰したりして、地下25層までたどり着く。
監視に参加してくれていた探索者たちが迎えに集まっていた。彼らに護衛される形で、超特急で上層階を突破する。
――そしてついに。
地上への階段を上った。
久しぶりの人工的な光だ。ダンジョンに慣れ切った体から、殺気のようなものが消えていくのを感じる。
前回同様に集まった群衆。だが、歓声もなければフラッシュもない。全員が顔に緊張を浮かべ、直立不動で立っている。
先頭で俺たちを待っていたのは
涙で綺麗な顔がぐちゃぐちゃになっている。
「あなた達の戦いと勝利に、感謝と尊敬を」
震えた声でそう言い、頭を下げた。
そんなかしこまられてもな。いや、他の仲間たちも頑張った。あまり
「頭を上げてくれ。俺たちだけじゃない。協力してくれた奴らがたくさんいる。もちろん、支部長ちゃんもだ。だから――」
俺は集まる群衆に目をやった。お、蓮君と康太君もいるな。
全員が固唾を飲んで続きを待つ。
「フラッシュだけは、禁止だ」
その言葉の意味が数秒掛けて浸透したあと。
大歓声が爆発した。
横に立つスイと目が合う。スイは「成長したじゃん」とでも言いたげな表情で笑っている。思わず俺も笑った。
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これにて1章完結となります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この1か月間書き続けられたのは、皆様の応援あってのことです。心より感謝申し上げます。
今後ともご応援頂けますと嬉しいです。
フォロー、感想、レビュー等、もしよろしければして頂けますと、今後の励みになります。
ここまでナガの物語にお付き合いくださり、ありがとうございました。
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