第50話 狼の王ロボ

 岩壁の凹凸が、流れ出る水が、ゆっくりと視界の上へとフェードアウトしていく。

 慣性のせいか体に感じるふわつきはなくなっていた。


 とはいえ、降りたときには少しばかり股間が痛みそうだ。

 長くないロープで体を支える以上、仕方のないことではあるんだが。


 遠くの空では翼竜と戦う柚子の姿が見えた。

 直線的に斬りかかっては、一度空中で動きを止め、再度突進するような動き。

 見ていてまだるっこしいが、人間が魔法で飛ぶ技術として、現在の限界があれなのだろう。


 こちらからの遠距離攻撃はしない。

 誤射の可能性が高いのと、派手な音を立てるスイの魔法じゃ下に気づかれる可能性があるからな。


 離れた場所での戦いを見守るだけという時間は、やけに長く感じた。

 だが、それももう終わりだ。

 地上がすぐ近くに迫っている。


 ロープの端を強く引くと、ざりりと抵抗のあと、すっとほどけた感覚。同時に体が重力を思い出したかのように、急に地面に引っ張られる。


 高さは5メートルほど。

 体全体を1本の斧のように。ツヴァイハンダーを両手に握り、加速した一撃を見張りのムシキに叩き込んだ。

 頑丈な頭蓋骨が陥没し、水色の体毛を鮮血で汚しながらひっくり返る。

 倒れたムシキの体をクッションに、次々と仲間が着地した。

 トウカの着地がトドメとなり、巨体はかき消えて、後には狼の死体だけが残る。


「突入!」


 言葉短く号令を発し、一つの塊となって洞窟に雪崩れ込んでいく。

 背後でパイルバンカーが火を噴いた音がした。


「ヒルネ!」

「はい!」

「ワイヤートラップの警戒は任せた!」

「わっかりました!」


 肉眼で見て確信した。

 この洞窟は、ロボが作ったものじゃない。昔から存在するものを、拠点の一つとして奴が間借りしているだけだ。

 ダンジョンの浅い階層に非常に似ている。

 ならば、仕掛けがあるとしても、後付けの単純なもの。


 俺は足跡や埃の溜まり方など、ロボたちの痕跡の方から進行方向を考える。


 出る、入るの回数はほぼ同じとする。

 大量のワーウルフが一方向に一気に動けば、空気の流れが生まれ、石材に引っ掛かる形で向きを示す砂埃が残る。

 つまり、最初にワーウルフの群れをロボが収容した地点がわかる。


 だが、そこにロボがいるかなんてわからねえ。


 考えるより体を動かせ。体を動かす前にちゃんと考えろ。

 道がわからないが進まなければいけない。この矛盾を解決する方法は明快だ。

 動きながら考えろ、だ。

 進み続ければヒントになる情報だって増える。


 ――こんな風に。


「おい、探索者か!?」


 横道から声がした。

 壁にぴったりと体をつけ、剣が相手の視界に入らないようにし、素早く顔だけを出す。

 そこにいたのは、しっかりとプロテクターなどを装備した、探索者の恰好をした男だった。


「何者だ、なんでここにいる」

「探索者の幌田だ。ロボってやつを倒しに潜入していたんだ!」

「そうか」


 壁に隠していたツヴァイハンダーを、弧を描くように振った。

 自称幌田の目には、急に刃が飛び出してきたように見えただろう。

 両膝をねた勢いそのままに、壁をがつんと叩いて火花を散らせる。


「な、なっ。えっ!?」


 床にべしゃりと崩れ落ちた男の頭部に、切っ先をぴたりと押し当てる。少しばかり肉に食い込む感触。


「お前、装備綺麗すぎんだよ。ジャングル抜けたやつが、そんなに身綺麗なわけねえだろうが。どっか上の階層でコピーしやがったな?」


 幌田が顎先を地面につけたまま、俺を見上げる。


「ぐぅぅぅうっぅぅぅ」


 上下の唇がめくれて全ての歯を剥き出しにして唸った。


「知能が足りてねえのか? 人間は下の歯を出さねえよ」


 ほとんどの大型動物は威嚇するとき、下の歯茎を剥き出しにする表情を作る。だが、人類は珍しく、下唇では表情を作らない。


「王が……王が、貴様をお待ちだ」

「ロボが待っている?」


 幌田は失血で蒼白になった顔で続ける。


「罠にかかれば御の字。気づかれれば素直に案内しろと」


 待て。

 ロボは俺たちが来ることを知っていた?


 こいつが現れたタイミングといい、もしや居場所を把握されているのか?

 いや、そうだ。なんで気づかなかった。単純なことじゃねえか。


「……配信を、見ているのか」

「はははっははははははは、あははははは!! 無駄な努力を王は楽しんでおられた!」


 手にべったりと汗がにじむ。

 俺たちのこれまでは何だったんだよ。くそが。


 便利な現代文明に易々やすやすと飛びついた、俺の愚かさに腹が立つ!

 俺自身の武器は、それでは無いというのに!


「で、お前はロボのところに案内してくれると?」

「ああ、その通り」

「いらねえよ」


 俺は笑みを浮かべた幌田の頭を刺し貫いた。

 殺されたことを理解していない狼は、口角を釣り上げたままで事切れる。


 頭に来た。そりゃもう、血管が千切れそうなくらいに。

 安易に便利なものに頼った結果が今だってのに、また目の前にぶら下げられた人参に食いつくわけねえだろうが!


「すまねえ、皆。俺のミスだ。そして、案内人を殺したのも俺の我儘だ」


 噛み締めた奥歯がぎりりと鳴った。

 申し訳ねえ。

 一緒に潜った仲間たちに。そして、コメントで支援してくれた全ての人たちに。


「ナガ。全員の責任で~とかは言わない。勝てればいい。頑張ろう」

「……ああ」


 みんなで同じ方向に進んだからみんなの責任、ではねえんだよな。

 即断即決が求められる暴力の世界では、ワンマンなリーダーが求められる。誰もが従うワンマンだからこそ、全責任を背負わなければいけない。


 手探りで洞窟を進み、しばらく歩く。

 無駄な時間かもしれないが、俺の平常心を取り戻すための時間だったと思えば、有意義だったかもしれない。

 案内の狼ぶっ殺して正解だったな。


 たどり着いたのは先にあったのは、天井の高い空間に、高さ5メートルほどもある荘厳な石の扉だった。いかにもって感じだな。

 ただ、扉の右側が砕け散っており、瓦礫の山を作り出している。


 わざわざ左側を開ける必要もない。

 瓦礫を踏み越え、そっと顔を出して中を覗き見る。


 ――どくん。


 心臓が鳴った。

 頭の中で警鐘ががんがんと鳴り響く。

 いる。やつがいる。


 かつては礼拝堂だったのだろうか。

 体育館ほどの広さの空間で、左右には太い石柱がずらりと立ち並んでいる。

 正面の最奥には、高い天井に届かんばかりの大きさの石像が立っていた。狼の頭に、人間の体で、手には槍を携えている。


 その石像の台座に、気怠そうな姿勢で腰かける姿。

 黒毛の犬の頭に、鍛え上げられた人間の肉体。首元には豊かなたてがみが巻き付き、ファーの襟巻をつけているように見えた。

 胸元、両腕、両足首に大きな黄金の装飾が光る。


 今まで見てきたどの姿とも違うが、存在感から一目でわかる。


 俺は瓦礫を踏み越え、体を晒した。


「よお、ロボ。お前が誘ってくれたから、遊びに来てやったぞ」

「寄り道が多かったではないか」


 ロボがあざける表情をする。


「楽しめたか? お前にはパンとショーが必要だろうと思ってな」

「奴隷の目には王も大衆も違いがわからぬと見える」


 ロボはくつくつと喉を鳴らした。

 俺の後ろから、仲間たちが次々と瓦礫を踏み越える。


「仲間を増やして強者ごっこは楽しかったか?」

「群れる犬には言われたくねえよ。新しい姿を手に入れてうきうきしてんのか?」


「そうだな――神に会った」

「は?」


 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

 いや、このデカい石像と同じ姿をとっていることに関係しているなら、話を聞いておくべきか?


「ここは、かつて失われた我らの王墓だと。だからなんだという話ではあるが、有益なものも手に入った」


 とんぼでも止まりそうなゆっくりとした動きで、ロボが槍を俺に向けた。

 嫌な予感。高速で飛来する何かを、ツヴァイハンダーの柄で弾く。目の前でキラキラと光を反射する、艶のある黒い破片。


「ナガさん。あの姿、あくまで伝承ですが……エジプトの神、アヌビスと類似点が多いです」


 トウカがささやく。

 おいおい、神様の姿までコピーしたっていうのかよ。

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