6月最後の土曜日に会う

@kuramori002

6月最後の土曜日に会う

「こんにちはー」


 良く通る声が玄関から聞こえる。


「涼にいちゃん!」


 あたしは裸足でぺたぺたと廊下を走り、声の元へと急いだ。


「よぉ、みー坊、久しぶりだな。笹もらいに来たぞ」


「坊じゃないよ! 女の子だよ!」


 あたしは訂正した。


「じゃあ、みーちゃん?」


「うん、それでいいよ!」


 あたしたちがそんな風に話している間に、おじいちゃんが笹を持って歩いてくる。


「やあ、涼くん。ご苦労様。ほら、持ってお行き」


「毎年、ありがとうございます」


 涼にいちゃんが頭を下げる。


「あれ、これ……」


 そして、受け取った笹を見てなにか言いかけて止めた。





「こんにちはー」


 良く通る声が玄関から聞こえる。


「あ、涼にい。笹でしょ?」


「うん」


「ちょっと待っててね」


 あたしは食べかけだった棒アイスを口に詰め込んで、おじいちゃんが切っておいてくれた笹を縁側に取りに行く。


「これ、商店街の広場の七夕飾りだったんだねぇ」


「え、みーちゃん、知らなかったの?」


「えへへ」


「俺、毎年、貰いに来てるじゃん」


「涼にいが、めちゃくちゃ七夕好きなのかと思ってた」


「そんなわけないだろー!」





「こんにちはー」


 良く通る声が玄関から聞こえる。


「お、毎年恒例ささくれマンだ」


「なんだ、その指先が痛そうな名前は」


「うちの裏山の整備にご協力ありがとうございます」


「ほったらかしだって聞いてるぜ」


「そーなのよ、もー、じいちゃん死んじゃってからは誰もやらないからねー。つーわけで、鉈と軍手貸してあげるから、自分で好きなだけ採っていってよ。セルフサービスってやつ?」


「マジか……。ま、自分で採るのはいいけど、流石にひとんちの山で好き勝手するもの気が引けるから、ついてきてくれよ」


「おっけ、じゃあ着替えるから待ってて」


 Tシャツ一枚とハーフパンツで山に入るわけにはいかない。


「美乃梨さ、家の中とは言え、もうちょっとマトモな格好したらどうだ?」


「やだ、ちょっと止めてよぉ、涼兄ちゃんがエロい目で見てくるぅー」


「見てねーよ!」





「こんにちはー」


 良く通る声が玄関から聞こえる。


「え、涼くん? 流石に今年は来ないかと思ってた」


 玄関に現れた真っ黒に日焼けした涼くんを見て、私は驚く。


「俺もちょっと迷ったけど、なんかこれぐらいの時期に美乃梨んちに顔出しておかないと落ち着かなくって」


「なによそれ。てか、地方予選の真っ最中でしょ。良いの?」

 涼くんは高校三年生。最後の夏だ。今年のチームは強くて、甲子園に行けるんじゃないかという評判も聞いていた。


「今日は試合ないし。それに、それこそ、来年は来れないかも知れないから」


「え?」


「俺、県外の大学に行くつもりなんだ」


「―――そっか」


「美乃梨は高校受験の勉強は順調?」


「まぁまぁかな」


「さて、じゃあ、笹を採りに行くか」


「あ……今年は涼くん忙しいだろうと思って、もう準備してあるんだ。あとで届けに行こうと思ってた」


「悪いな。そっちだって忙しいだろうに」


「いいのいいの、息抜きだから。持ってくるね」


 私は一度自室に戻り、書いておいた短冊を手に取る。


 縁側に置いてあった笹にそれを結んで、玄関へ。


 ずっと前にも、同じように短冊をつけた笹を渡したことがあるような気がする……。

 あの時はどんな願い事を書いたのだったろうか?


「はい、これ」


「……もう短冊がつけてあるな」


「書いといた。頑張ってね」


「ありがとう」


 そう言って、「涼くんが甲子園に行けますように」と書かれた短冊ごと笹を抱えた。





「こんにちはー」


 良く通る声が玄関から聞こえる。


「わ、久々だ。涼くんが笹を取りに来るのって何年振り?」


「甲子園行った年に来たのが最後だから6年振りかな」


「結局、大学途中でやめて製菓学校行ったんでしょ?」


「親父が倒れちまったからしゃーない」


「元々、お店継ぐ気あったんだ?」


「まぁ、選択肢には入ってたよ。迷ってたから普通の大学行ったんだけど」


「てっきり、もうここには帰って来ないかと思ってたよ」


「―――そういう可能性もあったかもな」


 しばし沈黙する……。


 そこに母が現れ、

「あんたたち、玄関先で立ち話してるくらいなら、昼ご飯でも食べてきたら? 笹は切っといてあげるからさ」

 と言いながら、私の背を意味深に叩いた。


「えっと、あー、行くか?」

 頭を掻きながら涼くんが聞いてきて、私はうなずいた。




「こんにちはー」


 良く通る声が、私の隣から発せられる。


「お、ようやく来たな。まったく、近くに住んでるんだからもう少し顔を出したらどうだ?」

 どかどかと歩いてきた父が、開口一番で文句を言う。手にはビール缶。


「こぉら、新婚さんに野暮なこと言うんじゃないよ。見飽きた父親の顔なんかわざわざ見に来るわけないでしょ」

 母が父の頭を軽くはたいた。


「お昼ご飯の準備、もう少しかかるから、少し待っててくれる?」


「それなら、先に笹を採ってこようか。お酒飲んでから鉈使うの危ないし」


「そうするか」


 傍らの涼がうなずいて、私たちは外へ出た。





「こんにちはー」

 あどけない声が家中に響く。


「おお! よく来たね〜」

「さ、おいでおいで!」


 すっかり『じいじ』と『ばあば』になった両親が出迎えに現れる。


「私たち、笹採ってくるからよろしくねー」

 声をかけて、外へ。


「じゃあ、行くか」

 軍手と鉈を準備して、涼が待っていた。


 笹が生えている場所を目指して、庭から裏山へけもの道へ入っていく。


 涼とふたりでこの道を歩いていると、今がいつだかわからなくなる。

 毎年毎年、私たちは笹を採りにこの道を歩いた。


「私もすっかり『毎年恒例ささくれマン』になったなぁ」

 昔言ったよくわからない冗談を急に思い出した。


「一時期言ってたな、それ。懐かしいよ」


「あの頃から涼のこと好きだったからね、なんとか絡みに行きたかったってわけよ。健気でしょ? ま、知らなかっただろうけど」


「知ってたよ」


「うっそだぁ」


「覚えてないのか?」


「何を?」


「―――ここの笹が、」

 涼がいたずらっぽく笑う。

「美乃梨の願い事を2回も叶えてくれたこと」


「どういう―――」

 どういうこと? と尋ねかけて、思い出す。


 たぶんきっと、私の顔は真っ赤になっている。


 2回目は、「涼くんが甲子園に行けますように」だ。


 それで、もっと昔の1回目は―――


「思い出した? 俺が小学生で、美乃梨が幼稚園児の頃かな。笹を貰ったら短冊がついてて……」


 ―――涼にいちゃんと結婚できますように。


 確かに私は、そう書いたのだった。

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