【KAC20244】あなたのささくれになりたい

赤夜燈

忘れないでほしい。そう思ったからです。

 先輩は、美しいひとでした。


 おれの通う男子校は地方の自称進学校というやつで、むさっ苦しいことこの上なかったのですが、先輩はその中に咲く大輪の百合でした。


 男子校には、たまに「姫」が現れるといいます。その「姫」が先輩でした。


 華奢で、かんばせは彫刻のように美しく、女の子より美しい。それが先輩というひとでした。


 先輩は美術部の部長でした。


 部活紹介のときに「やる気のない人は来なくていいです。以上」とだけ言って壇上から降りました。先輩の言っていることなど、誰の耳にも入らなかったと思います。


 美術部にはおれを含め、先輩目当ての入部希望者が殺到しました。

 おれ以外の全員が、「じゃあまずはやってみて」と言われたデッサンで挫折して辞めていきました。


 おれは先輩にすっかり恋をしていたので、デッサンの技法書を夜な夜な読み、家でも一日一枚、部活でも一枚描いて、みるみるうちに絵が上達していきました。


 夏休みの部活中に、先輩が言いました。


 

「おまえ、面白いね。僕目当てなのにここまで絵に真剣になれる奴、初めて見たよ」


「だって、先輩は絵が好きでしょう」


 先輩は目をまん丸に開いて、だははは、と年頃の男子らしく笑いました。


 そうして、おれの耳に唇を寄せて、言いました。


「なあ。――男同士でも、セックスってできるんだぜ。知ってる?」


 そのあとのことは、よく覚えていません。


 ただ背中に立てられた爪の痛みが、嬉しくてしかたなかったことだけ覚えています。






 先輩の相手はおれ一人ではありませんでした。当然といえば当然です。


 更に言うなら先輩にはご両親がおらず、進学資金のために男女も生徒も教師も問わず身体を売っている、とあっけらかんと言いました。


「僕を汚いと思うかい?」


「思いません。先輩は、綺麗です」


「……そっか」


 ワイシャツをおれがつけたモノではない痕だらけの身体に羽織りながら、先輩は少し悲しげに笑いました。


 先輩との時間はあっという間に過ぎて、おれは美術予備校に通いはじめました。


 もっと技術を身につけたかったのです。先輩をもっと美しく描きたかったのです。


「おまえ近頃付き合い悪いぞー。カラオケ行こうぜカラオケ」


「……すいません、予備校で」


「おまえ、俺より絵が好きになったのか?」


「そんなことはないです! 断じて! ……断じて」


 立ち上がって大きな声を出したあとに、俺は気恥ずかしくなって座りました。


「先輩は今年受験ですよね」


「そー。でも推薦決まってるから、やることなくて暇なんだ。も、目標額貯まったし。僕のこと誰も知らない場所で、新しくやり直すつもり」


「……おれも、いない場所でですか」


「……目、つぶって」


 おれは言われたとおりにしました。キャンバスに向いていた顔が上を向かされて、額にやわらかいものが触れました。


「先輩、好きです」


 正直な気持ちでした。先輩は答えません。ただ黒い長髪と口付けが、俺の顔に降るばかりでした。


「先輩。俺、●●大学を目指してるんです」


 おれは、難関と言われる美術大学の名前を挙げました。


「推薦課題、あなたを描きます。――どうか、見てください」


 先輩は答えません。おれの額にはなまぬるい雨が降っています。雫がおれの目尻に伝って、どちらが泣いているのかもはやわかりません。


 しばらくして。美術室の扉が開いて閉まる音だけが、聞こえました。


 それから先輩は美術部に来なくなり、おれは作品をひたすらに作りました。


 先輩の心の、ささくれになりたい。結ばれないなら、じくじくと痛む棘であってもいい。忘れないでほしい。そう思ったからです。



  ★


 

 二年後、●●大学の合格作品の展示会に、かつて彼に「先輩」と呼ばれた彼はいる。


 全く違うジャンルの大学に通っているが、約束したからには来なければならなかった。


 彼はその絵を見つけた。


 キャプションに「あなたのささくれになりたい」とだけ描かれたその絵は、彼の姿を模した天使画だった。


 彼はひとすじ涙を流して、近くの学生に尋ねる。その顔なら、よく知っていた。


「すみません、この絵は誰が描かれたものですか?」


 こうしてやっと、二人の物語が始まる。



 幕

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