第10話 追放エルフの国

「オババ様! 見てください!」

「だからオババは……これは!?」


 ご神木管理人の言葉に辟易へきえきとしながら返答しようとしたオババ様は、あることに気付いて言葉を止める。


「植物の侵攻が、止まった……?」


 ご神木に押し寄せんとしていた植物の津波。それが足を止めていた。

 それだけでは無い。

 植物ネットワークへのアクセスが復旧していた。

 そこで飛び交っているのは喜び。

 次世代へ命を繋ぐことが出来た植物たちの歓喜の歌。


「なるほど」


 ネットワークからのフィードバックを受けて、オババ様は悟る。

 ご神木がまき散らした花粉。

 それをキャッチして、植物たちは己の目的を果たしたのだ。

 植物たちは、ご神木からの花粉を受粉したことで発情期を脱したのだった。


「わぁ!」

「綺麗……」

「すごい……」


 ご神木の管理人たちが、思い思い歓声を上げる。

 不死の樹海全域に降り注ぐ花びらのシャワー。

 ご神木の花粉を受け止めた植物が、実を作って不要となった花々を一斉に散らしたのだ。

 どこからともなく吹いてきた風に乗って、花弁はなびらが舞い踊る。

 その舞は、植物の襲撃で傷ついたエルフたちの心を癒したのだった。


「まったく……」


 大した奴だ。

 顔面を汁まみれにしてくしゃみを連発する源と、その隣でげらげら笑うセラフィナを見て、オババ様は満足げに笑う。

 ご神木に直接アクセスして、オババ様は何が起こったのかを知った。

 植物たちの反乱の原因は調査の必要があるものの、反乱を収めたのは間違いなくあの二人、いや、異世界の勇者である源だ。

 そもそも、今は夏真っ盛り。スギ花粉の季節では無い。

 にもかかわらずご神木が花粉をまき散らしたのは、源の力によるものだ。

 オババ様はその詳細な方法までは分からなかった。

 しかし、源のスキルがご神木に花粉を生成し、上空から勢いよく蹴りつけることでご神木全体を揺らし、花粉をまき散らしたということは分かっていた。

 ちなみに、ご神木が花粉を生成したのは、源がこの場面で花粉症でぼろぼろになったら面白そうというスキルの悪乗りのためである。


「まったく。勇者ってやつは規格外な連中だよ」


 ご神木に藁人形わらにんぎょうを釘で打ち付ける源と、その肩をバンバン叩いて爆笑するセラフィナを見て、オババ様は感慨にふける。


 ご神木に……藁人形わらにんぎょう


「おんどれ! 何しとんじゃぼけえぇぇ!!」

「ぎゃー! 妖怪耳長オババ!」

「だあれが妖怪だ!」


 エルフの魂ともいえるご神木。

 それを傷つける行為はとても許されることではない。

 しかし、源は勇者で、エルフの還るべき場所を守ったのだ。憎しみを少しぶつけることくらい、情状酌量の余地があるだろう。


「許さん! いい年してんだから、やっちゃならんことの線引きくらいつけな!」


 慈悲は無かった。


「ん? ゲンはまだ32の子供だよ?」

「あんたはいい加減エルフと他の種族の区別をつけな!」


 オババ様から逃げながら、源は少し安心する。

 良かった。エルフの中にも長命種感覚に毒されていない人がいた。本当に良かった。


「うぅ……」


 その事実を知って、源はなんだか無性に嬉しくなり、涙が流れてくる。実のところ、嬉しさなど関係なく、ただ花粉症なだけなのだが。


「あははは!」

「ぎゃははははは!」

「ふひっ! ふひひひひっ」


 源とオババ様の追いかけっこを眺めていたご神木管理人たちは、セラフィナの笑い声につられて笑いだす。

 心温まる平和な時間。

 しかし、そんな時間も長くは続かなかった。

 その引き金となったのは、ご神木管理人の一人の言葉。


「ひぃっ! 人間!」

「人間なんて、そんな……」

「まさか、樹海にいるわけ……」


 半ば反射的に否定しようとするが、管理人たちは気づいてしまう。

 オババ様に追いかけられる源。

 その耳が短くて、丸まっていることに。

 セラフィナが源の耳を毎朝伸ばしていたが、一連の騒動の中で元に戻ってしまったのだ。

 不穏な空気を感じてセラフィナが声をあげようとするが、遅かった。


「人間……植物の反乱……」

「まさか、あいつが……」

「でも、人間にそんな力……」

「いや! お前らも見ただろ! あいつは変だ!」


 疑いは確信に変わり、広がっていく。


「よしな、あんたら!」


 恐怖と怒りに支配されたエルフたちに、オババ様の言葉は届かない。


「いや、あいつだ! 間違いない!」

「同胞がこんなことするはず無い!」

「全部あいつだ! あいつがやったんだ!」

「クソ! よくも騙しやがったな!」


 今にも襲い掛かろうとする勢いのエルフ達に、セラフィナが必死に呼びかける。


「みんな! 落ち着いて! 本当は分かってるんでしょ!? ゲンはそんなことしない! 私たちを助けてくれたんだよ!」


 しかし、その言葉は届かない。

 必死に呼びかけるセラフィナの肩を源は掴む。


「良いんだよ、セラ」

「良いって、何が!」

「セラが分かっててくれれば、それで良い」

「全然よくないよ! ゲンは私たちを助けてくれたんだよ!」

「セラ」

「!?」


 源の顔を見て、セラフィナは言葉を失う。

 寂しげで諦めるような顔。こっちを見ているのに、どこか別のところを見ているような顔。

 見ているだけで心が締め付けられる顔だった。


「ゲン。申し訳ない。私たちを助けてくれたこと、感謝する。でも……悪いね。出ていってくれ」


 タイミングが最悪だった。

 ここに居るのは、ご神木の管理人。

 不死の樹海の各集落から選抜された守護者たちだ。

 当然、全員ご神木、ひいては植物ネットワークへのアクセス権を持っている。

 今回の騒動の犯人はエルフをかたって樹海に侵入してきた人間。

 ゲンが全ての元凶だと、ネットワークを介して全集落の村長に伝達されていた。


「オババ様……」


 憤りと悲しみが複雑に混ざったオババ様の顔と言葉に、源はその名を呼ぶことしかできない。


「オババじゃないよ」


 フッと表情を緩めて、オババ様が源の耳元へ寄る。


「カグヤだ。フィーと私しかいない時はそう呼びな」

「っ!?」


 オババ様の名乗りを聞いて、セラフィナは驚きのあまり息を呑む。

 彼女の本名を知るものはほんの一握り。オババ様がその力量を認めたものだけだ。

 セラフィナが教えられたのも、十年前に樹海へ帰ってきた時だった。

 人の世では歴史書に残るばかりの伝説のエルフ。

 戦乱の時代を潜り抜けた生ける伝説に、源は認められたのだ。


「そっか。カグヤ……さん。またね」


 敬称はどうしたものかと一瞬思案して、源はオババ様に別れを告げる。


「ああ、ゲン。またおいで。その時は歓迎するよ。この馬鹿どもは任せときな」


 オババ様は源からセラフィナに向き直って、種を一粒放り投げる。


「これ……!」

「ふん。餞別せんべつだよ。フィー、私らエルフの恩人の案内、しっかりするんだよ」

「……っ。任せてよ! カグヤも、あいつらちゃんと説得してよね!」


 種に刻まれていたのは、オババ様が極めた植物魔法の秘伝。竹だった。

 その人生の集大成ともいえるものを預かって、セラフィナは決意する。

 オババ様から任されたからじゃない。

 エルフの恩人だからでもない。

 私が決めたから。

 この人となら、笑っていられるから。

 この人の近くにいたいから、一緒にいる。


「バーカ。私を誰だと思ってんだい」


 セラフィナの決意を感じ取って、オババ様は安心する。

 ゲンのことは、フィーに任せれば大丈夫だ。

 だとすれば、こちらはエルフの最長老としての仕事をするのみ。


「静まりな!」


 エルフの最長老の威厳。

 確かな人生の重みに裏打ちされた重々しい言葉に、源を罵っていたエルフ達は一斉に口を閉じる。


「全く、こんな年端もいかないガキを寄ってたかっていじめるなんて、エルフの風上にも置けない奴らだ!」

「でも……」

「黙りな!」


 言い下がろうとしたエルフをオババ様が鋭く一喝する。

 それを見て、源は胸をなでおろした。

 良かった。

 何も言わなくて良かった!

 ついさっきセラフィナが源を子供扱いした時、オババ様はたしなめていた。

 自分のことを棚上げしてとか言わなくて、本当に良かった!


「だが、あんたたちの言う通り、ゲンが怪しいってのももっともだ。というわけで、こいつを樹海から追放する!」


 エルフたちのヤジを受けて、オババ様が源たちに振り返る。


「ごめんな。しっかりやりなよ」


 二人だけに聞こえるように、柔らかな笑顔を浮かべると、オババ様は地面に手を着く。


竹竿爆滑水ながしそうめん!!」


 セラフィナと源の足元から一本の竹がものすごい勢いで生えてくる。

 ご神木の頂上と同じくらいまで二人を押し上げると、竹の成長は止まる。

 その代わりに、竹の頂上から樹海の出口へ向けて、半分に割って節をくりぬいた竹の滑り台がかかった。


「よし! 行くぞ、セラ!」

「うわ! 押さないでよ、ゲン! やばいって、これ、高い! やばい!」


 怖がるセラフィナの腰を抱いて、ゲンは無理やりセラフィナと一緒に滑りだす。

 最初はギャーギャー悲鳴を上げていたセラフィナも、そのうちジェットコースターに乗っているかのように楽しみだす。

 花びらのシャワーの中を滑りぬける樹海は、桃源郷とでも言うべき風景だった。


「あっ! ゲン!」

「あいつら……」


 セラフィナが指さした先にあったのは、クソでかい桜の群れ。

 その根元で手を振っているのは、セラフィナと源が厄介になっていた集落のエルフ達。

 彼らは管理人たちに騙されず、オババ様の語る言葉を信じたのだ。


「ねえ、ゲン!」

「ん?」


 門出を祝うかのような桜並木を見て、セラフィナが満面の笑みで振り返る。


「いいところでしょ? 私たちの森!」

「ああ。この世界での故郷だと勝手に思ってるよ」

「バーカ! 私らもゲンのこと、もう家族同然に思ってるんだからね! エルフは一度身内認定したら、一生付きまとうから! 覚悟しなよ!」

「ははっ。それは、怖いな」

「あははは! 何言ったって、もう遅いからね」


 樹海の想像妊娠事件。

 後の歴史書にそう記される事件は、こうして幕を下ろした。

 『ギャグ補正の勇者』南方源と『永遠の恋人』セラフィナは、かくして共に歩き出したのだった。

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