手作りの箱
京京
前編
神は細部に宿る。
私の好きな言葉だ。
誰が言ったのかは知らない。
しかし、その意味はわかる。
私は芸術家の端くれだ。
だからこそ、綿密に、精緻に、作品作りに精進している。
私は妥協が怖い。
少しでも手を抜けば作品は忽ち駄作と化すからだ。
それはもう作品ではない。ましてや芸術でもない。
子供が夏休みに作った工作よりも下位の存在だ。
そうただのゴミ。
それはもうゴミなのだ。
だからこそ、私は己を律する。
只管に、我武者羅に、精根尽き果てようとも、作品に向き合うのだ。
それ故に、あの言葉が私を鼓舞する。
神は細部に宿る。
素晴らしい言葉だ。
私の作品は『箱』だ。
ただの箱じゃない。それでは芸術とは言えないのだから。
私はまず箱の持ち主を決めることから始めている。
持ち主を決めたら、次はその持ち主に似合う箱をイメージする。
最後にその持ち主が、その箱に何を入れるべきなのか、何が入るのが相応しいのか、それを考えるのだ。
箱である以上、何かを入れなければならない。加えて、その箱に持ち主の大切なものが入って始めて芸術となる。
そこが最も重要なのだ。
私は基本的に掌で持てるサイズに拘っていた。
大切な何かをしまう箱はやはり小さいほうがいい。
小さく、か弱かったあの頃……
掌に収まる箱に大切なものを入れていたのではないか?
時折、中を見てその思い出に浸ったのではないか?
そう考えると、やはり掌に収まるくらいが丁度いい。
今回の箱の設計図はもう終えている。既に持ち主も決まっていた。材料も確保している。
あとは箱を作るだけだ。
さぁ、始めよう。
今回の箱は所謂宝箱をイメージしている。
ゲームや漫画に登場するアレだ。
まずは骨組みから。
私は材料を取りだす。
白亜のような白い棒状の欠片。白亜よりも軽く、それでいて美しい。
ある程度下処理もしているが、力加減を間違えれば簡単に砕けてしまうので扱う際は細心の注意が必要だ。
いつも下処理に時間を掛けるのが私の悪い癖だが、やはりこうした目に見えぬ部分に拘らなければ良い作品は生まれない。
手前味噌だが今回もいい出来だった。
これらを時間を掛けて重ねていき、箱の外壁部分が作る。
続いて床の部分も作り、それに先ほどの外壁部分を乗せた。
パッと見ただけではこれで完成しているようだがまだ不十分。力を入れるだけで簡単に崩れてしまう。
そのため次は糊付けだ。
私は特性の糊を取り出す。
この糊も私の手製で、自慢の品だ。
色は艶やかな赤。
日本は古来より赤と白の組み合わせを大切にしてきた。
紅白という言葉があるくらいだ。
それに国旗も赤と白のみで構成されている。
紅白
全て、赤と白だ。
私自身もこの組み合わせは優美だと思っている。
DNAに刻み込まれているのだろう。
本当に洗練された色合いだ。
ただ、この糊、実は一番作るのが難しい。
用意した赤い原料と糊が馴染みにくいのがネックなのだ。
長年の経験によって培った完璧な配合によって完成したが、この配合に出会うまで数多の失敗を繰り返してきた。
悪戦苦闘し、失敗作に埋もれた日々が懐かしい。あの頃は苦しかったが今となってはいい思い出だ。
オッといけない。
油断してはダメだ。
私はすぐさま反省し、軽く深呼吸をした。
本体が渇く間に蓋の部分に着手する。
蓋は宝箱のイメージ宜しくあの形だ。
つまり湾曲した部分がある。
非常に難しい。
私は全神経を集中した。
先ほど同様、白い材料を取り出す。
そして湾曲を意識しながら組み上げていった。
材料を曲げながら組み上げるのは至難の業だ。曲げる力加減を間違えればすぐ壊れてしまう。
元々、材料も少ないので失敗は許されない。
慎重に慎重を重ねて作業を行う。
汗が目に入っても私は気にしない。この痛みすら今は忘れられたのだ。
どれほどの時間が掛かっただろうか。
私の前には出来上がった蓋が置かれている。
上手くいった。
美しい曲線を描いた蓋だ。
我ながら文句のつけどころがない。
私は天を仰ぎ、少しだけ休息する。
汗を拭い、息を整え、改めて完成品を眺めた。
ここまで納得できる品は久しぶりだ。
箱の本体が渇いたので私はそこに板を貼る。
無論、これも自分で作ったものだ。
板は特別製で、触れると僅かな温かみがある。
黄土色の風合いでこちらも長年の経験を元に作ったものだ。
昔はよく失敗して腐らせていたが、今となってはそんな失敗をすることはない。
既にサイズも計っているのでピッタリだ。
寸分の狂いもない。
糊を馴染ませて一枚、一枚、丁寧に貼っていく。
本体が終われば、蓋も同様に貼っていった。
うむ、見事だ。
今日は調子がいい。本体も蓋も自分でも驚くほどの出来栄えだ。
私は満足しながら、その二つを繋ぐ作業に入る。
完成までもう一息。
ただこの作業が一番嫌いな作業だ。何故ならここだけは私の拘りが乗らない部分なのだから。
電動ドライバーで穴を開け、特注の金具とネジで開閉できるようにする……
するのだが……
この金具とネジだけは外注なのだ。
これらは唯一、自分で作れない部品だった。
本当は自分で一から作りたかったのだが……
何度も何度も試作を作ったが、全て上手くいかなかった。
強度も、見た目も、機能性も、元来のモノには到底適わない。
本当に悔しい。
いずれ必ず自分の手で作りたい。
是が非でも……
これこそが現状、私の最大の課題だろう。
私は一旦、手を止め、深呼吸をした。
自分への悔しさで手元が狂っては元も子もない。ここまで積み上げたものが一瞬で水泡に帰してしまう。
私は落ち着きを取り戻してから改めて、金具を固定した。
うむ、完璧だ。
さぁ仕上げの工程に入ろう。
最後は装飾。
この箱の顔を作るのだ。
私は特別な袋に入れていたとっておきを取り出す。
中から取り出した材料……顔を箱の正面に貼る。
丁寧に、丁寧に。
皺一つ、気泡一かけらも入らないように。
良し!
上手く貼れた!
渾身の出来だ。
私はさらに筆を使ってその顔に化粧を施す。
素晴らしい!
近年稀に見る逸品だ!
私は心の中でガッツポーズをしながら席を立つ。
最後にこの箱に入れるべきものを取りに行くのだ。
それは貴重な品のため、地下に保存していた。
大切に。大切に。
それを取りに行くとき、私は天にも昇る気持ちだった。
アレを箱の中に入れる。
この瞬間が溜まらなく好きだ。
大切なものを入れる。
それこそ箱の醍醐味。
私は地下に保存していた大切なものを取り出し、自室に戻った。
これは最も大切なものだ。壊してはならない。
姫君を丁重に持て成すように優しく、厳かに。
私はそれをゆっくりと箱に収めた。
瞬間、脳裏に電流が迸る。
自分で設計した。そうなるように作った。
だが、実際にモノを入れるとき、少しでもサイズが間違っていてはこうはならない。
シンデレラ・フィット。
巷ではそういうらしいが、まさにそれだ。
大切なものがすっぽりと収まった。
あぁ、気持ちいい。
脳から溢れ出る電流が全身を包む。
「あぁ……」
不意に嗚咽に近い喘ぎ声がでてしまった。
耽溺とは違うが、それに似ているような背徳感。
邪淫に溺れるような、抗うような高揚感。
神に認められたかのような特別感。
それらは正に甘美な祝福。
これを体験したらもう、何十万もする高級な食事や、何十年もかけて熟成させた酒を飲んだところで満足などはできない。できるはずもない。
私は暫しの間、この祝福の余韻に震えていた。
あとはこの箱を持ち主に渡すだけだ。
あぁ、きっとこの素晴らしい作品に持ち主になるであろう人物は歓喜の声を挙げるだろう。あるいは泣いてしまうかもしれない。
あぁ楽しみだ。
その瞬間が訪れる日が。
私は壁に掛けていた肖像画を見る。
その肖像画は私が最も尊敬する人物を描いたものだ。
この人になりたい。この人に近づきたい。そう思ったのはもう何年も前のこと。
私は姿勢を正して肖像画の前に立つ。
私は貴方に近づけただろうか。
まだ貴方の背中すら見えない。
だが……いつか必ず貴方の隣に立ちたい。
願わくば、そうなる日が来ることを。
「今回もいい作品ができました。親愛なるゲイン先生……」
私はそう独り言ちた。
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