第三十二話 新たな謎

 気が遠くなるほど歩いても、周りには岩の世界が広がるばかり。地上の砂漠ですら昼夜の概念があるのに、この洞窟にはそれすらも存在しなかった。しばらくの間変わらない光景が続いていたけど、ふと、アカネは立ち止まる。

「どうかしたか?」

「いや、少し気になるものがあってな。これを見てくれ、ユリ」

 そう言ってユリに差し出した手には黒く光る拳大の石が握られていた。ユリは片眼鏡越しに検めて感嘆したようにため息を吐いた。

「これは鉄鉱石ですね。それも、かなり質がいい。これほどの物は初めて見ました」

「やはりか」

「どうやら、この辺りの岩盤には多量の鉱物が含まれているようですね。それも、砂の大地ではほとんど見ないような希少鉱物ばかりです」

「希少鉱物って……これ全部か!」

 確かに、よく見ると青白く光る魔水晶の光に照らされて壁や天井が煌めいている。父さんの話だと気象鉱物の枯渇で鉱山での稼ぎもいつまで続くかわからないって言ってたけど、少し奥を探せばこんなにたくさんの鉱山資源があるのか。

「背中には豊かな楽園が広がり、体内は資源で満ちている。ここまでくるともはや驚きもしませんね。ところで……何をしているんですか、アカネさん」

 その腕には一杯の鉱石が抱えられていた。

「いや、持ち帰って武器にしようかと」

「鉱石は見た目以上に重いです。捨ててきください」

 名残惜しそうに肩を落とすアカネに構わずユリは先に進む。

「事が済んだらいくらでも持ち帰りましょう。私も装備の開発を手伝いますから」

「本当か! 約束だからな!」

 進もうとするアカネを、ユリが右手で制止する。片眼鏡越しの黒い瞳には緊張感のある眼光が宿っていた。空気の変化を感じ取ったか、アカネはユリの隣で腰の刀に手をかけた。ここまでの経験から、いやでも分かる。何かが、始まるんだ。

「ええ、約束します。だから、今は鉄鉱石より目の前の石くれをお願いします」

 次の瞬間、洞窟内が震えだし、ユリの視線の先の地面が急に盛り上がる。この嫌な感じには覚えがあった。泉で石の蛇に出くわした時と同じ感覚だ。

「地面から気配がする。何か来る!」

 ジェシーがそう叫んだ直後。盛り上がった地面が崩壊し、床全体に亀裂が入る。その中心から、岩の塊が顔を出した。岩でできた何かが、這い出ようとしている。問題は、その何かが岩盤の地面を突き破るくらいの力と硬さを持っていることだ。

 地面に腕をかけて這い上がる岩石塊を前にどうすればいいか迷ってる俺と違って、戦闘力に自信ありの三人はその光景を冷静に見つめていた。

 満を持して空に浮かんだ地底の住人がその姿を現した。

「岩の巨人といったところか。魔物……というより、生物ですらないか」

 現れたのは、二つの人を模した形をした岩の塊だった。特徴的なのはその体格だ。高さは成長したジェシーくらい……ざっくり五メートル以上はある。人の手を模した右手に対し、左手は鉄槌のようになっている。あれに潰されたらひとたまりもなさそうだ。

「どうやら、守護者とやらを起こしてしまったようだな」

 これが、ユリの言っていたクジラの中の防御機構。こんなのがいたら、確かに大抵の魔物や人間なんかの侵入者は生きては帰れないか。

「大声を出すからですよ」

「わかっている。斬ってしまっても構わないか」

「ええ。仲間を呼ばれる前に無力化しましょう」

 こんな状況でも、戦闘力に自信ありの三人は冷静に作戦を立て始める。重い体を持ち上げるようにしながらゆっくりと近づいてくる岩の巨体は怖くて仕方がないけど、この三人がいれば不思議と何とかなる気がしてくる。

 ユリの指示に、アカネは腰の剣を抜き放って岩の巨人に掲げる。青銅の刀身には不敵な笑みを浮かべたアカネの顔が映り込んでいた。

「先手必勝! はぁぁぁっ!」

 言い終わる前にアカネは地面を蹴って跳躍し、次の瞬間には敵の足元に迫っていた。周囲の景色を虚ろに映すガラス玉の瞳は残像が残るほどの速さで接近したアカネの事を捉えられていない。明らかに、致命的一撃だ。柱のような左足に向かって剣を振り上げた。

 次の瞬間、アカネの剣は黒光りする鉱石の体表に阻まれ、硬質な音を立てた。あの硬さじゃ矢も通らなそうだ。守護者は柱みたいに太い右腕を振り上げる。

「アカネ!」

 アカネが後方に跳躍して距離を取ると、さっきまでアカネがいた場所に柱のような剛腕がめり込み、爆発音にも似た轟音と共に土煙が上がる。

 土煙が晴れ、鉄槌のような右手を振り上げるとその下には大きな衝撃の残滓クレーターができていた。

「やはりか……青銅の剣では刃が通らない」

「物理攻撃が効かない相手は大抵魔術が通ります。ジェシーさん、合わせますよ」

「わかった」

 ユリの指示に対し、ジェシーは間髪入れずに頷いた。

 ジェシーとユリが両手をかざすと、足元に白と黒の勾玉模様が浮かび上がる。高速で回転するとともに巻き上がる風が白と黒ふたりの髪をたなびかせ、緩慢な動作で近づいてくる守護者の頭上に黒雲が発生する。

明々たる轟破の迅雷シャイニングレイン!』

 黒い雨雲から白い稲妻が、文字通り雷の雨が降り注ぐ。

 守護者に直撃した雷は真ん中のレンズに集まっていく。

「まさか、跳ね返す気か!」

「皆さん、私の周りに! 堅牢なる不可視の障壁!」

 次の瞬間、白い光が膨大なエネルギーの奔流となってユリの周囲を覆った。ユリの魔術のおかげで間一髪助かったけど、

「どうやら体で受けた魔術をレンズが吸収して反射するようですね。その上、鉱石の体は物理攻撃の通りも悪い。難敵です」

 守護者って言うだけあって、アカネの剣もユリの魔法も聞かない防御力を持っているわけか。一体どうやって倒せばいい。仮に放置しても、今度は防御機構が活発になる。よくできた仕組みだ。ここまでして、命の花を守りたいのか。

「私とジェシーが時間を稼ぐ。君たちは突破口を切り開いてくれ」

 現状、巨人の足止めができるのはアカネとジェシーだけだ。

「ああ、任せろ!」

 アカネは頷いた。

「私は右を食い止める。左を任せられるか、ジェシー」

「わかった」

 ジェシーの両手と両足の先が黒く変色し、竜の鉤爪が現れる。体の一部だけ竜の姿になれるのか。アカネとジェシーはそれぞれ自分よりずっと大きな岩の巨人にとびかかる。あの二人の覚悟を無駄にしないためにも、何としても突破口を切り開く!

 魔術以外に攻撃手段がないユリに頼るわけにはいかない。戦闘において俺にできることは一つ。石のバケモノめがけて黒色火種をぶっ放してやる。

「レインさん」

 パチンコに黒い弾丸をつがえ、引き絞り、放とうとしたところで響いたユリの声で我に返る。

 そうだ、今までも先走って失敗してきた。今はアカネとジェシーが守護者と殴り合ってる。もし守護者の身体に当てれば周りを巻き込む可能性もある。

 パチンコを懐にしまおうとする手を、ユリがつかんだ。

「おそらく、魔術を反射した部分……レンズが弱点です。私の魔術では周囲の鉱石に吸収され、跳ね返されてしまう。眼だけを撃ち抜けますか」

 ユリはまっすぐ眼を見てそう言った。腕を掴むその感覚に、目が覚めた。

 そうだ。ユリの判断はいつだって正しかった。俺一人じゃ大して役に立てないかもしれないけど、ユリの言う通りにすればきっとうまくいく。

「ああ、任せろ」

 確実に狙うなら空気の影響を受けやすいパチンコ玉より、短弓の方が都合がいい。矢筒から二本の矢をつがえ、引き絞る瞬間。周囲の光景がゆっくりと流れだす。

 距離は約二十メートル。守護者のレンズは地上から約五メートル。この条件なら、アカネとジェシーを巻き込まずに狙うことができる。的は目測で直径十センチ。針の糸を通すようなものだけど、いつも通りに矢を放てば無風の体内で外す道理はない。

 二本の矢が事前に描いた通りの放物線を描き、アカネたちの頭上を通って二つの眼に吸い込まれていく。コンマ数秒後。二つの爆発音が石の世界に轟いた。

 次の瞬間、守護者はだらりと両腕を落としたかと思えば、重い音を立てて膝から崩れ落ちた。得意になってユリの方に視線を送ると、片眼鏡の下で深刻そうな表情を浮かべたユリの黒い瞳と目が合った。

「皆さん離れてください! 残存魔力が暴走し、爆発します!」

「倒したら爆発するとは、はた迷惑な防御機構だ!」

 アカネとジェシーが地面を蹴って距離をとった直後、二つの亡骸が火柱を上げて吹き飛んだ。

「それにしても、今のはレインがやったのか? 二つの矢で同時に眼を打ち抜いたように見えたが……」

「さりげなく魔術より人間離れしたことをしてますね」

「当然。レインはボクの上に乗ってても矢を外さない」

 なぜか俺じゃなくジェシーが胸をそらしてそう言った。俺が弓を使うところなんていつも見てるだろうに。とはいえ、初めて戦闘で役に立ててうれしかった。

 アカネも腕を組んで満足気に頷いた。

「ああ、レインの射撃能力があれば、道中も安心だな」

 みんな感心している。洞窟の中で足手まといになるんじゃないかと思ってたけど、役に立てるなら何よりだ。それよりも。

「どうかしたか、ユリ」

 ユリは守護者の残骸のある場所に屈みこんで何か調べていた。

「守護者の身体から何かわからないかと。見たところ全身が鉱物でできているようですが、不可解な点があります」

「不可解な点?」

「てっきり、守護者とは魔術的な力で操られた鉱石傀だと思っていましたが、鉱石の体表の下には金属でできたレンズコアがある。これは明らかに機械……つまりは人工物です」

「なぜこんな場所に人工物が?」

 アカネの疑問にユリは顎に手を当てて考えていたかと思えば、不可解そうな表情で口を開いた。

「クジラの免疫でも何でもなく、何者かが人為的にクジラの体内に埋め込んだ?」

「まさか、かつて地上で起きた戦争とやらで使われていた機械か?」

「流石にそれは想像が飛躍しすぎですが、それに近しい技術を持った存在だということは間違いありません」

 かつて地上を死の世界に変えたという種族間の戦争。そして、洞窟内で遭遇した謎の機械。二つの断片が、ある記憶と結びつく。

「もしかして、命の木の実が消えてたことと関係があるんじゃないか?」

 確か、泉の水を汲みに行ったときにも命の木に機械が設置されていた。

「命の木に発信機を仕掛けていた何者かと同一人物かどうかは分かりませんが、クジラの中に侵入できるほどの技術力を持った存在です。警戒するに越したことはないでしょう」

 そう言ってユリはローブの埃を払って立ち上がり、洞窟の奥へと歩き始めた。



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