第二十九話 最後の晩餐
「……すごいな。これだけの食材、どうしたんだよ」
優勝者の挨拶だのなんだのを終えて村長の家に戻ると、テーブルの上で様々な食事が湯気を立てていた。野菜や果物だけじゃなく、魚料理や肉料理、お菓子みたいなものまで並んでいる。すでにユリとジェシーは食べ始めていて、食卓にはあたたかな空気が広がっていた。
「命の木の力が強い場所では普通に農業がおこなわれている。ちょうどこの時期は野菜や果物の収穫時期でな。宴のために新鮮な野菜を収穫するんだ」
確かに、命の木が生えている島にはいろんな植物が自生していたのを覚えている。砂漠のど真ん中だから食事に困ってるものだと思ってたけど、そんな環境でも人が生きていけるのも命の木のおかげってわけか。感心していると、アカネは腕を組んでうなずいた。
「それに、先のレースを見て皆が感動しているんだ。この村に天空の竜騎士が舞い降りたとな。信仰は人の不安を取り除く。君のおかげだ」
確か、天空の竜騎士は大人の飛竜に乗っていたんだったか。結果的には、祭りの余興に使われたことになるな。アカネやユリには世話になったし、村人のために何かできたのならよかった。
「とはいえ、不要なトラブルを避けるためにも私たちは室内で食事をとることになる。私の家にも料理を運ぶように父上にも言ってもらった。最初に振舞った魔物の肉よりよほど旨いぞ」
「あの串焼きもうまかったけどな」
そんなにうまいなら、全部食べられる前に一通り味わっておくか。煩わしそうに白い長髪を除けながら食べ物を口に運ぶジェシーの隣に座ると、小さいころ、家族で食事を取った日の記憶がよみがえるようだった。
それにしても、地上に降りてから約一週間。こんな風に仲間と食卓を囲むことができる日が来るとは思わなかったな。
「……おっと、悪い」
焼いた肉の皿に手を伸ばすと、ローブをまとった細い腕に遮られた。ユリはひときわ大きなスプーンで肉を根こそぎ自分の皿に確保すると、器用にフォークを使って満足げに口に運んでいく。
「……ユリ、肉や焼き菓子ばかり取らないで野菜も食べろ」
「良いじゃないですか、何年かに一度の宴なんですよ?」
食事の偏りをたしなめるアカネに対してユリはいつもみたいに不満げに抗議してるけど、俺もユリの意見に同意だ。好きなものを好きなだけ食べるのも宴の醍醐味だ。それに、不健康なくらい華奢で色白なユリがおいしそうに食べ物を食べているのを見ているとどこか安心する。
とはいえ、普段から一緒にいるアカネからしたらそうはいかないみたいだった。
「たまに出てきて肉ばかり取って行ったら顰蹙ものだ。それに、ユリの食生活と生活習慣は問題だ。見てるこっちが心配になる」
なんだか、母親みたいだな。そういえば、ユリに人との付き合い方を教えたって言ってたっけ。アカネは空いた席に座ってため息をついた。
「ジェシーを見習え。本来は肉食なのに野菜や果物も満遍なく食べているぞ」
ジェシーの方を見ると、まだ慣れない人間の体でスプーンとフォークを不器用に握りしめながらもいろんな料理を一口ずつ口に運んでいた。てっきりジェシーは大皿に入った甘いものを直食いするもんだと思ってたけど、それはジェシー的に恥ずかしい行為なんだろうな。それよりも。
「確かに、肉食べるなんて珍しいな」
ジェシーは好き嫌いこそ激しいけど、それは味に関するものだ。肉や魚でも、甘く味付けしたら食べる。ただ、それでも自分から食べるのは珍しかった。
顔を上げると、アカネとユリは手を止めてこっちを見たまま固まっていた。何か変なこと言っただろうか。
「はっ、私がドラゴンを知らないと思って冗談を言うな。ドラゴンは肉食だろう」
アカネが得意げに指摘すると、ジェシーは白い頬を赤く染め、蒼い瞳を伏せるようにうつむいた。これは隠し事がばれた時の表情だな。
「ジェシーは甘い物しか食べないんだ。むしろ、肉を食べる方が珍しい」
「人間の姿になったことで味覚にも影響を受けているのかもしれませんね。人間は他の生物に比べて様々な栄養を取る必要がありますから」
「だったら人間らしい食事をしてくれ。ほら、肉を巻いて食べれば野菜も美味いぞ」
甲斐甲斐しく肉を葉物で巻いてユリの皿に乗せて渡しても、ユリがわざわざ巻いてある野菜だけのけて食べるのを見てアカネは呆れたようにため息を吐いた。
そんな賑やかな光景を、ジェシーは不思議そうに眺めてつぶやいた。
「確かにそれもあるけど……みんなと一緒だから、何でも美味しい」
「そうだな」
今まで甘いものしか食べなかったジェシーが肉や魚を食べていたのは、そういうわけか。ジェシーの食事の偏りや量には困ってたし、食事の時は人間の姿になってもらおうかな。なんて考えてると、アカネとユリは神妙な顔を浮かべていた。
「……ほら、みんなで食べれば何でも美味いらしいぞ?」
「仕方がないですね」
アカネが言外に促すと、ユリはのけた野菜を口に運んだ。さすがに、ドラゴンのジェシーがバランスいい食事をしてる前で肉ばかり食べるわけにはいかないか。
「俺もジェシーとこうやって食事ができてうれしいよ」
ジェシーは子供だったと言ってもドラゴンだし、ログハウスに入るには大きすぎたからな。今思えば、こうやって同じ食卓を囲むのは初めてだな。
「しかし、ユリが宴の席に来るなんて珍しいな」
「そうなのか?」
「積極的に話す相手もいないですからね。作業部屋に籠っていたほうがマシです」
ふと、アカネはグラスの中に入った葡萄酒を飲み干してため息を吐いた。
「その態度が問題なんだ。私が陰でどれだけ気を遣ってきたか……「さては酔ってますね? ちょっとめんどくさいです」
アカネの苦言を遮るように容赦ない言葉が返る。どちらかというとかわいそうなのはアカネの方だな。ユリの毒舌に対し、アカネは不本意だとばかりに口を尖らせた。
「ユリが強すぎるだけだ。飲んでる量はユリの方が多いのに、まるで私が飲んだくれみたいじゃないか」
まるで、というか、普通に飲んだくれにしか見えないけど。口に出したらもっとめんどくさそうだから放っておいた方がよさそうだ。
アカネの言葉に、ユリはこの場の視線を集めるように咳払いした。
「私がここに来たのは、今後の方針をお伝えするためです」
「方針?」
「先ほどの会議は、皆さんの意思を確認するためのものです。参加するかわからない人間に私の研究結果を共有するわけにもいきませんし、難しい話は食事中の方がいいでしょう。アカネさんも今だけは酔いから覚めてください」
ユリが無理難題を突き付けると、アカネは「無茶を言うな」と言ってひらと手を振った。
「それで、方針っていうのは? 命の花を探して取りに行くだけじゃダメなのか?」
「楽に行けばそれでいいですが、私たちは誰も到達したことのない場所に行くのです。心構えは必要でしょう。この世界では想像力が武器になります」
そういって懐から丸めた紙を取り出し、料理の皿を押しのけてテーブルの上に広げて見せた。几帳面そうに見えて、ユリには雑なところがある。作業してもしばらく片付けないしな。マイペースと言えばそれまでだけど、一番酔っ払ってるアカネが甲斐甲斐しく食器を片付けてるのを見るとこの間まで微妙な空気が流れていたのが嘘みたいだった。
「これは、地図? 一体何の……」
テーブルの上に広げられた紙に目を落とすと、そこには通路と空間だけが記載された地図が書かれていた。地図というより、見取り図っていう方が近いか。何かの内部構造が書かれているみたいだった。
「クジラの体内、その見取り図です」
「どうしてこんなものが?」
アカネの疑問ももっともだった。誰も到達したことのない場所の見取り図があるのは不自然だ。そう言いたげなアカネの視線に、ユリは肩をすくめて切り分けられた肉を口に運んだ。
「御伽噺の内容を精査して再現しました。詳しい見取り図はどこにもありませんでしたが、かつての英雄が実際に命の花にたどり着いた道のりを記してあります」
「御伽噺とは、天空の竜騎士の冒険譚のことだろう? 私も小さい頃は母様によく聞かせられていたが、あれはただの作り話だったはずだ」
「それが、そうとも限らないかもしれませんよ」
当然の疑問に、ユリはそう言って続ける。まるで、強い確信を持っているように。
「レインさんの存在……つまり、空の上に人間がいるという証拠によって私の仮説が確信になりました。私は、最初から御伽噺なんて信じてはいません。しかし、御伽噺の正体はクジラの体内に行った人間が残した文献だと言うなら話は別です」
「つまり、どういうことだ?」
「遠い昔にもいたのかもしれないという話です。あなたのような空から来た人間が。実際、私たちは遊牧民ですが、数百年ほど同じ場所に定住していた記録があります。そのころは頻繁に雨が降り、花が枯れても種子から次の花が芽吹いたそうです」
難しくてよくわからなかったけど、この村の歴史を知るアカネには心当たりがあるみたいだった。
「空から舞い降りた竜騎士は、人々に恵みの雨をもたらす……だったか」
「それが御伽噺の最初の一節です。そして、そこからは竜騎士が地上に着くまでの話や、クジラの体内に行くまでの道筋、クジラの体内での冒険と話が続いている。ところどころ脚色が混じっていますが、御伽噺というにはやけに詳細で、直接見ないと書けないような内容ばかりでした」
「それで、ユリは御伽噺にクジラの謎が隠されていると踏んだわけか」
「ええ。御伽噺の英雄は実在する。そして、御伽噺と同様に、クジラの体内には命の花が咲いている。御伽噺……もとい、文献によれば命の花が咲いているのはクジラの噴気孔の真下です。クジラの背中にそれらしい地形はありましたか? 大穴だったり、湖だったり」
生き物とはいっても、端から端まで人の足で一か月かかるくらい大きい島だ。俺が知ってるのなんてほんの一部に過ぎない。だけど、島において明らかに目立つ場所を俺は知っていた。
「そういえば、よくレースで使ってる岩山があったな。少し前までは頻繁に水を噴き出していたとか。その名前は確か……」
「潮吹き山」
故郷のことを思い出しながら説明していると、続く言葉はユリの口から発せられた。 あたりまえだけど、ユリはクジラの上に行ったことなんてないはずだ。
「なんで知ってるんだよ」
「やはり、御伽噺は正しかったようです。命の花を守る守り神が泉の底に落つる時、潮吹き山が目を覚ます。文献にもそう記載されていました」
確か、一年に一度のレースは天空の竜騎士に捧げるためのものだったはずだ。だとしたら、潮吹き山の麓でレースをするのにも納得できる。同時に、御伽噺にも信憑性が出てきたわけだ。
アカネは感心したように頷いた。
「生き物の背中に山があるのか……事実は小説より奇なり。私が思っていたよりもずっと大きな世界だということか。今からそれを確かめに行くなんて、胸が躍るな」
「いつもの探索とはわけが違いますよ。まあ、気持ちはわかりますが」
ユリは、見取り図のど真ん中……潮吹き山の真下に×印を刻む。見覚えのある、命の木がある場所の印だ。俺の証言で、最後の一ピースが完成したってことか。この×印が、俺たちの目指す目的地だ。
「おとぎ話によると、噴気孔の下には魔力の満ちた湖が広がっています。そして、その底に命の花が守られるように咲いている。しかし、そこはクジラにとっても重要な部位。泉は守り神と呼ばれる何かによって守られているようです」
「つまり、守り神とやらを倒せば命の花にたどり着けるというわけだな」
「守り神は重要な器官にそれぞれ一体ずつ存在するようです。どこから侵入しても、命の花を手に入れるまでに少なくとも三体の守り神を倒さなければたどり着くことはできない」
「なら、戦う準備は必要ってわけか」
「案ずるな。村一番の戦士がついているんだ。それに、先程のジェシーの戦いを見ただろう。あれだけの力があれば、そこらの魔物に遅れは取るまい」
「……ん。レインはボクが守る」
「はは、それは頼もしいな」
今までのジェシーやアカネの戦いぶりは、そう簡単に魔物に負けることはないと思うほど頼もしかった。とはいえ、クジラの体内では何が起こるかわからない。せめて、足手まといにはならないようにしないとな。
「皆さんの無事を祈っていますよ」
そう言ってグラスに口をつけるユリの表情はどこか寂しそうに見えた。
その後は各々が好きなように並んだ料理を食べたり取り留めもないことを話すような、数日前じゃ考えられないくらい穏やかな時間が過ぎていった。
ジェシーは意外と着物が気に入ったのか、あるいは他人の物だから慎重に扱っているのか、傍から見ても汚さないように気を付けて食べてるのがわかる。いつもは大人なジェシーが人間の体でたどたどしく食事してるのを見るとどこかほほえましかった。
「……そう言えば、ユリも普通に飲めるんだな」
眼が据わって残念なことになってるアカネと違ってユリは顔色一つ変わってない。見た目の割に相当な酒豪だな。感心していると、何故かアカネが腕を組んで自慢げに頷いた。
「なに、ユリは私の一つ下だ。問題なかろう」
「アカネは?」
「私は十七だ。いや、そろそろ十八だったか」
ということは同い年か。大人びてるし、女子にしては背が高いから年上だと思ってた。そして、アカネの一個下ってことはユリは十六か十七ってとこか。その割にいろんなことを知っていたりすごい魔術が使えたりするのは、アカネ同様、それなりに経験を積んできたからなんだろうな。ユリの方に視線を送ると、三角帽の下からいやそうな顔を浮かべたユリと目が合った。
「私の外見にどのような印象を抱こうと自由ですが、口に出すのはお勧めしません」
「別に何も言ってないだろ」
感心してたのに。不審そうなユリの視線を遮るように目の前に酒瓶が現れた。
「ほら、レインも飲め。そのジョッキに入ってるのは
「ちょっとやめろよ」
「……ダメか?」
ほんのりと顔を赤く染めて首をかしげても、酒の匂いを漂わせるだけで色っぽいってより残念な感じになるから不思議だ。
「ダメだ。酔っぱらって空から振り落とされたらつまらないからな」
「なら仕方がない。残りは私がもらおう」
アカネは行き場のなくなった酒瓶をそのまま口に運んだ。酒が入ると変わるタイプだな。
「実は、俺は自分から飲んだことはないんだ」
「おや」
「おやおや」
ユリが意外そうに言うと、アカネはにやにやしながら繰り返す。確かにちょっとめんどくさいな。
「別に深い理由はないさ。子供の頃、島のおっちゃんに無理やり飲まされたんだ。俺は相当弱かったみたいで、帰る途中にジェシーの上から思い切り吐いたんだけど、それから数日は背中に乗せてくれなかった」
「あれはトラウマ。レインはもう二度と飲まないで」
ジェシーは自分の肩を抱いて身をすくめた。俺からしたら笑い話だけど、吐瀉物の雨を被りそうになったジェシーにとっては確かにトラウマだろうな。
実際、ライダーの間じゃドラゴンに乗る前に飲むことはご法度だ。好きでもない酒のために大好きなドラゴンに乗れなくなったら本末転倒だしな。
ユリは同意するように強く頷いた。
「まあ、それがいいと思います。酒や賭博を子供に勧める大人にろくな人間はいませんからね。師匠もそうでした」
「しかし、心を許せる人間と飲む酒はきっとうまいだろう。私は、そういう友人が欲しかった」
昔のことを思い出すようなユリの言葉にアカネは目を伏せた。それはアカネの本音のような気がした。この砂漠ではだれもが生きていくだけで限界なんだ。昼間は熱く夜は極寒のこの世界であたたかさを探すのは難しい。
「とはいえ、明日は誰かを乗せて飛ぶからな。いざって時に酔っ払ってられないさ」
「だそうですよ、アカネさん。明日の朝まで酔いが覚めていなかったらクジラに行く途中で振り落とされるかもしれません」
さっきまでとは反対にユリが咎めると、アカネは知らん顔で肩をすくめた。
出発は明日の早朝だ。英気を養うとは言っても、羽目を外しすぎるわけには行かなかった。それに、病気のシズクを思うと心からは楽しめないっていうのもある。羽目を外すのは、戦いが終わってからにしたい。
「まあ、アカネが楽しそうで良かったよ」
「そうですね。ここ最近、側から見てわかるほど憔悴していましたから」
思い出すようにユリが呟くと、アカネは椅子に深く腰掛けてため息を吐いた。
「まあ、肩の荷が下りたところはある。目の上の瘤が消え、かさぶたが取れた気分だ。それに、奴の間抜け面を見れば疲れも吹き飛んだ。あれは痛快だった」
「アカネさんは特に苦労していましたからね」
「そういえば、リンドウは?」
「奴なら牢屋に放り込まれている。当分は出てくることはあるまい。もっとも、奴はああ見えて臆病な男だ。あれだけのことがあって出てくる気にはならんだろう」
レースの一件で、リンドウはユリやジェシーにひどくやられたからな。自業自得とはいえ、少しやりすぎな気がしていた。アカネとユリの前では下手なことをするよりも牢屋の中でじっとしていた方が安全だろうな。
「それよりも、牢屋はリンドウが使ってるなら、俺はどこで寝ればいいんだ?」
「心配しなくとも、レインには客室が用意してある。今日はベッドで寝るといい」
「わざわざ悪いな」
「気にするな。天空の竜騎士をもてなすのは
「ああ。明日も早いからな。アカネも引きずらないようにしろよ」
言外に羽目を外しすぎないように言うと、アカネは酒瓶をつかんだままの右手を上げた。どこか不安になる反応だけど、ユリがついてれば大丈夫か。
名残惜しい気持ちを感じながら、俺は穏やかな空間に背を向けた。
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