第二十六話

 

 レース当日。地上に来てから、約一週間。そう考えれば短いけど、思い返せば気が遠くなるほどいろいろなことがあった。一週間でやっと、ジェシーと一緒に飛べるようになった。一つ一つ取り戻した先に、シズクとの日常があるような気がした。

 牢の扉を開いて外に出ると、ジェシーは昇り始めた陽の光に目を細めて欠伸した。

「久しぶりのレースだけど、調子はどうだ」

『絶好調とまではいかないけど、問題ないよ。薬がよく効いた』

 ジェシーはそう言って、ゆっくり羽ばたいて見せる。調子は悪くなさそうだ。

 レースよりも早く起きたのは、アカネに呼び出されたからだった。足の傷もだいぶ良くなったジェシーと一緒に指定された場所に向かうと、橋の先でアカネがいつものように腕を組んで立っていた。

「調子はどうだ、レイン」

「どうって言われても、こんな朝っぱらに呼び出されたから寝不足だよ」

「軽口を叩けるなら問題ないな。私は運営に参加しなければならないから、村人が集まる前にレースのルールを説明しておこうと思ってな」

 そう言ってアカネに伝えられたルールは簡潔な物で、誰よりも早く泉の周りを三周したものが次のレースに出場する権利を得る。何をしても自由。それだけだった。

「何をしても?」

「ああ。妨害や攻撃などがすべて黙認されている。ドラゴンに乗ったときの強さも竜騎士にとって必要不可欠だからな」

 故郷ではレースの際には守らないといけないルールがたくさんあった。ルールを守ることで、ルールが守ってくれる。それは、ドラゴンに乗って速さを競うという危険な競技を安全に行うためだ。だけど、竜騎士祭にそんなものはない。それどころか、時には武器で攻撃しないといけないってことか。

 地上では、自分の身は自分で守らないといけないんだ。

「それより、そろそろ出番だぞ。選手は泉の淵で待機だ」

 よく見ると、コースとなる湖の畔にはすでにドラゴンが一列に並んでいた。呼びに来てくれてもいいだろうに。まあ、前日に参加が決まったよそ者だから仕方がないか。

 スタート地点に立つと、選手たちだけじゃなく、広場の観客たちもざわつき始める。それも当然だ。レースに適した小型のドラゴンは大抵、前足が翼になった翼竜で、その体は黒くてつややかな鱗に覆われている。そんな中、白い羽毛に全身を覆われた純白のドラゴンは昔の人間が天から舞い降りた神の使いだと思うのも無理はない。

 村長のおっちゃんがスタートの合図をするのと同時。広場の方から声が上がる。

「速い!」

「なんだあのスピードは! あんなに速く飛ぶドラゴン、見たことがねえ!」

 ドラゴンレースのコースは、ドラゴンの速さを基準に設定されている。コースが短すぎると、単純に速いドラゴンが勝つ。でも、ある程度の長さなら体力や持久力、乗り手の精神力なんかも重要になってくる。大型のドラゴンなら、後続を妨害することなんかも可能だ。

 普通のドラゴンを基準に作られたコースは、規格外の速さを持つジェシーにとっては短すぎる。それに加えて、ドラゴンの上で戦うことを想定して武器を装備してる連中と違って俺は武器を装備しない分、重量を抑えることができる。先にゴールすれば勝ちっていう性質上、圧倒的な速さはコースの上では武器になる。

「第一レースの勝者は、レイン! 二回戦進出だ!」

 結局、毎週のようにレースで腕を磨いている故郷のライダーとは違ってお世辞にも動きが洗練されているとは言えない竜騎士たちが俺たちを妨害できるはずもなく、二位と一周以上の差をつけてゴールした。

 次の待機場所に一番乗りで乗り込むと、さっきのレースを見ていたアカネとユリが駆け寄って来た。

「流石だな、レイン! これほどまでとは思っていなかったぞ!」

「飛竜はこんなにも速く飛べるのですね。身体構造がどうなっているのか調べてみたいです」

「それは遠慮してくれ」

「冗談ですよ」

 なんて真顔で言われても冗談には見えなかった。まあ、それがユリのユーモアなんだろうな。ユリは自分がどう思われてるか分かってる節があるから。

「……それより、リンドウがいないな」

 深夜の遭遇に、村長への密告。他にも、ジェシーに接触しようとした人間の存在。リンドウが何か企んでることは明らかだけど、その割にレースには出ないのは不自然な気がする。アカネも同じことを思ったのか、神妙な表情で顎に手を当てる。

「そういえば、出場選手の名簿にもリンドウの名はなかったな。それどころか、ここ数日、奴がドラゴンに乗っているところを見たことがない」

 ライダーなら、レースの直前はドラゴンに乗って実際のコースと同じ場所を飛ぶものだ。それなのに、練習すらしていないなんて、まるで、もともと出るつもりなんかなかったような。

 ふと、黙り込んでいたユリが急に口を開いた。

「私は少し用事が出来たので、作業部屋に戻っていますね。次のレースも頑張ってください」

 そう言って踵を返し、作業部屋のある浮島に向かって歩いて行った。

「もとより、この村で最も腕の立つ竜騎士はリンドウだ。奴がいないのならむしろ好都合。仮に何かを企んでいたとしても、ユリに任せておけば問題ないだろう。この村の中で彼女を出し抜ける人間なんていないさ。君はレースに集中してくれ」

「ああ。ありがとう」

 アカネもユリも、同じ目的のために協力してくれている。俺も、二人の信頼に応えないとな。

 第二レースも順調に勝ち上がり、最後の第三レース。これに勝てば、もうクジラへの道筋を邪魔する障害はない。第三レースは泉の周りを五周。他のドラゴンが二分程度で一周するのに対して、ジェシーは一分もかからない。

「島のライダーと比べたら遅すぎるな」

 スタートから順調に展開して、五周目ですでに後続との差は一周半。優勝は決まったようなものだ。どこか拍子抜けだった。

「……どうした、ジェシー」

 ふと、急にジェシーが慌ただしく羽ばたき始める。まるで、矢を放たれた鳥みたいに。風や気圧が変わった感じはない。もちろん、余計な指示は出してない。そのまま高度を落とし、ついには地面に足を着いた。故郷のレースとは違って足を着いたら失格なんてルールは無いけど、明らかに異常事態だった。

『急に体が重くなった。多分、誰かが魔力で干渉してきてる』

「魔力でって……まさか、魔術師か?」

 この村の魔術師と言ったらユリだけど、こんなことをする理由はない。

 いや、考えても意味はないか。今必要なのは、ここからどうするか。それだけだ。幸か不幸か、今は五周目。二位とは一周以上の差がある。抜かれる前に何とかすればいい。

「もう一度飛べそうか?」

 ジェシーは首を横に振る。

『地面にいる状態から飛び上がるには、勢いをつける必要がある。このままの状態じゃ無理だと思う』

「どうすれば飛べる?」

『爆発を起こしてほしい。爆風に乗って一気に加速できれば飛び上がれると思う』

 ジェシーは俺よりずっと賢く、冷静だ。そんなジェシーが言うなら間違いないと思う。だけど、重要な問題がある。

「でも、まだ足が治ってないじゃないか!」

 後続のドラゴンたちが通り過ぎる。普通のドラゴンなら、泉の周りを周るのに二分弱。二番手がゴールするまで三分ってところだ。多少荒っぽくても早く立て直す必要がある。わかってるけど、もし失敗したら、クジラへの道がまた遠くなる。

『ためらわないで、レイン。翼があれば飛べる!』

「……わかった。俺がなんとかするから、ジェシーは全力で羽ばたいてくれ」

 なるべくジェシーの身体に障らないように、なおかつ、加速の助けになる角度。目測での弾道計算は狩りの基本だ。黒色火種の爆風は半径十メートル。風速を測ろうとしたところで、まるで嵐の中にいるような強風が辺りを包み込んだ。

「よっぽど薬が効いたみたいだな」

 ジェシーの白い翼が規則的に上下するのに合わせて黄色い砂埃が舞いあがり、外からも中からも見えることはない。砂によって可視化された空気の流れが渦を巻いて空へと昇る。まったく、ジェシーのせいで弾道計算が大変だ。

『掴まって、レイン!』

「ああ、わかった」

 ジェシーがより一層強く羽ばたくと同時、思い切りパチンコを引き絞る。

流線形の身体が螺旋を描く上昇気流に乗って空へと昇る。昔の人はかつて、竜が天に上る様をこう呼んだ。竜巻と。

「行け、ジェシー! 全員ぶっちぎれ!」

 竜巻に乗って上空に飛び上がり、ゴールに向かって一直線に加速した。

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