第二十四話
命の木の下で野営した後、俺はユリと一緒にアカネの後を追って砂漠を歩いていた。人が生きていくのを拒絶するかのような砂漠の日差しには相変わらず慣れる気がしない。生き物が生きていくための水はすぐに蒸発し、日差しが照り付けていても植物は育たない。そんな灼熱の大地を、ユリは涼しい顔で歩いていた。
「……それで、薬はあとどれくらいでできるんだ?」
クジラへ行くための障壁がなくなった今、シズクの為にもできるだけ早く出発したい。
ユリはこっちを向いて不思議そうな顔を浮かべていた。相変わらず何を考えてるか分からないけど、失礼なことを考えてるなってことは分かるようになってきた。
「もうほとんどできていますよ。あとは泉の水……魔力を加えるだけです」
「じゃあ、今朝作ってた薬ってもしかして……」
確か、アカネと一緒に出発する前、ユリが何か作業していたことを覚えてる。ユリが作っていたのは、ジェシーの薬だったのか。
「さあ、何でしょう」
そう言って、ユリは村の方向に小走りで向かっていった。
遠ざかっていくユリを追いかけると、アカネは立ち止って俺が追い付くのを待っていた。ユリに聞かれたくない話でもあるみたいだった。
追いつくと、アカネは外套から顔を出し、俺の歩幅に合わせて歩き始める。
「わかっていないのは私の方だ。取り返しのつかないことをしてしまったのは、言ってしまったのは私だ」
「出発する前の話か」
アカネは遠ざかっていくユリの背中を見つめて頷いた。
「……私もどこか焦っていたのかもしれない。母様や村の皆を助けたいという気持ちから、非協力的なユリの態度に苛立ちを覚えていたんだ。それは愚かな勘違いだったようだがな。少なくとも、ユリは私の願いに応えてくれた。強大な魔物に遭遇したあの状況で、ユリが助けに来てくれるという都合のいい願望にな」
歩き続けるユリの小さな足跡が、陽炎の向こうまで伸びていく。小さくなっていくユリの背中を見つめたまま、アカネはため息を吐いた。
「私だって本当は分かっているんだ。両親と師匠を失ったユリが、大切な物を失う辛さを知らないはずがない。冷静になって考えれば、ユリは協力したくないと言っていたのではなく。一緒に行きたいと言っていたんだ。今思えば、二人では危険だと言っていたのはそういう訳だ」
アカネはユリを信じて狼煙を焚いた。ユリは、アカネを信じて狼煙に向かった。たとえすれ違っても、お互いの本音が伝わればやり直せるような気がした。
ふと、陽炎の向こうから聞き慣れた声が響く。目を凝らすと、不満げな顔を浮かべたユリがこっちを向いて手を振っていた。
「二人とも、早く帰りますよ!」
どこか必死に背伸びをしているユリの姿を見つけると、アカネは頬を緩ませる。
「……さて、帰るか。私たちの村に」
「そうだな」
今は、泉に囲まれた集落が俺たちの村なんだ。空を見上げると、肌を焼く日差しが、いつもより眩しく照らしていた。
§
村に帰ってから、俺たちはすぐにジェシーが寝泊まりしている牢屋に向かった。ジェシーは何日も空を飛んでいないからかだいぶ衰弱しているみたいで、ここ最近はずっと牢屋の隅に蹲っていた。
眠っているように目を閉じ、自慢の白い翼も自分の身体を覆うように小さくたたんでいる。冷たい石の牢に体温が奪われないためって分かっていても、苦しくて自分の身体を抑えているように見えた。
「あなたが、ジェシーさんですね」
鉄格子の外からかけられた声にジェシーは眼を開き、弱々しく顔を上げる。空の様に蒼く透き通った瞳には、普段からは想像できない優しい顔を浮かべたユリが映っていた。牢屋に客が来ていることに気づいたジェシーは、弱々しく体を震わせる。
『キミは……魔術師だね。魔力で干渉しているのを感じる』
「ええ。私はこの村の魔術師をしているユリと申します」
「ジェシーと話せるのか?」
まるでジェシーの言葉が分かっているかのような口ぶりに、
「魔力を操れる者同士なら、魔力を通してある程度の意思疎通ができます。特に、彼女は魔力の扱いに長けている上、人の言葉を完璧に理解している。私も発する魔力の状態からドラゴンの状態や感情を読むことはできますが、言語による意思疎通……会話ができるドラゴンは初めてです」
言ってることは難しいけど、俺の理解を超えることをしてることは分かる。ジェシーは俺なんかよりずっと強くて賢いから。
『キミは、レインの味方なの?』
「ええ。長旅の途中でけがをしたと聞いていましたが、体調はどうですか?」
ジェシーはこっちを見て何か考えるそぶりを見せたかと思えば、意味ありげにそっぽを向いた。
『翼が火傷してしばらく飛べないよ。落ちた時に後ろ足にひびが入って、歩くのも難しい』
「魔力の方は?」
『体力を回復するのが精一杯で、傷の修復には時間がかかりそうだ』
「なるほど。補給すべきは魔力の方ですね。魔力が回復すれば傷もすぐに治るでしょう」
少し話しただけで一緒にいた俺でも気づかなかったことを引き出していく。ユリになら、ジェシーを預けられる。
その後もユリは適切に情報を聞き出していった。ユリが診察している間、俺とアカネは感心してみていることしかできなかった。
「すごいな、ユリは」
思わずつぶやくと、いつものように扉の前で腕を組んでいたアカネは得意げに頷いた。
「彼女は魔術師であり、化学者であり、医者だ。ユリが居なければとっくに里は滅んでいた」
「この村にはユリの力が必要なんだな。もちろん、アカネの力も」
「一番必要なのは君とジェシーの力だ。君たちの絆が、私たちを繋ぎとめた」
「普通のドラゴンはクジラに近づこうとしませんからね。あなたたちがいなければ、クジラの上に行くなんてそれこそおとぎ話のままでした」
牢の外でアカネと話していると、いつの間にかユリも牢の外に出ていた。
「診察が終わったか、ユリ」
「魔力を補給する薬を処方しました。後日、改めて火傷の薬を調合して持ってくる予定です」
「何から何まですまないな」
アカネが申し訳なさそうに言うと、ユリはゆっくりと首を横に振る。
「これは全部私のためですよ。村に平穏が訪れれば、私の仕事も終わるのですから」
「……そうだな。その時が来たら、私も君を引き留めたりしないさ。クジラの上に行くのも師匠を追うのも全てユリの自由だ」
ユリはアカネの言葉にうなずくと、こっちを見上げて目を合わせる。
「だから、あなたはあなたの為にクジラの上まで行ってください。それが一番、信用できます」
「ああ、シズクの病気を治すためなら、地上だって救ってやるさ」
他に誰もいない空間で三人、頷いた。たくさんの困難を乗り越えて、異郷の地で初めて思いがつながった。今の俺たちなら、何だってできる。
感慨に浸っていると。ユリは咳払いした。
「さて、今日はこれで解散しましょう。ジェシーさんの治療には、魔力の豊富な泉の水が大量に必要です。明日からの重労働に備えて皆さんは休んでください」
地上に来てから毎日のように重労働している気がするけど、不思議とシズクが倒れた時のような辛い気持ちは消えていた。雨雲病を治す方法が分かり、頼れる仲間も手に入れた。心に重しをしていた雨雲の合間から光明が差した。一筋の光かもしれないけど、道標には十分すぎる。
「では、私たちは帰る。君たちも気を付けてな」
牢の扉を閉じると、アカネとユリは鍵をかけずに出ていった。
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