ハイランド・アイランド

白間黒

第一話 純白の竜

 何年も前の、まだ小さな子供だった頃のことを思い出していた。

 その日は一日中続く雷雨で、外にも出られず退屈していたことを覚えてる。父さんはいつものように鉱山に働きに行っていて、丸太を組み合わせたログハウスの寝室には妹のシズクと二人きり。それはいつものことだけど、その日ばかりは雷の音が怖くて、蝋燭の火が照らす寝室のベッドで寝ているシズクの隣で絵本を読み聞かせていた。

 天空の竜騎士の冒険譚。どこか遠い場所の英雄が、純白のドラゴンに乗っていろんな国を旅する話。小さい頃から御伽噺が好きだった俺は、生意気にもそんな英雄に憧れていた。

「……そうして、七つの宝玉を集めた少年は空から降り注ぐ光に連れられて空高く昇って行きました。めでたしめでたし」

 本を閉じるのと同時、小さくなっていた蝋燭の火が消え、辺りは窓を叩く雨音とお互いの顔しか見えない暗闇に包まれる。

 めでたい話かどうかは、十歳にも満たない俺には分からなかった。絵本は大抵『めでたしめでたし』で結ばれるから、きっとめでたい話なんだと思う。

 そんな大雑把な俺に対してシズクは布団の下から不思議そうな視線を向けていた。

「兄さん、少年はそのあとどうなったのですか?」

 その問いに応えるように、稲光がシズクの顔を照らす。肩まで伸びる金髪を左右で結び、まだあどけなさの残る顔はどことなく死んだ母さんの面影があった。

「さあな。俺が書いたわけじゃないし」

 人が光に連れられて行くというのがどういうことか、わからないほど幼くはなかった。小さい頃、死んだ母さんはどうなったのかシスターに聞いたことがある。人は、死んだら光に運ばれて空へと連れていかれる。そのあとどうなるのかは、教えてくれなかった。

「……もしかしたら、ドラゴンにでもなったのかもしれないな」

「ふふ、突拍子もなさすぎです」

「その方が、夢があって面白そうだろ」

 冗談のつもりじゃなかったけど、笑ってくれたならよかった。ヒマワリのように明るい笑顔を見ていると、恐怖や寂しさを忘れられる。シズクは俺にとって太陽みたいな存在だ。空に雲がかかっていても、シズクは変わらず俺のことを明るい笑顔で照らしてくれる。だからこそ、俺はそんな笑顔を守りたいと思っていた。

「兄さんは本当にドラゴンが好きですね」

「ああ。いつか、俺は世界一のドラゴンライダーになるんだ」

 ドラゴンライダー。ドラゴンと心を通わせ、大空を共に翔ける天空の勇者。物語だとよく主人公として描かれている。父さんが昔ドラゴンライダーだったから、子供だった俺が憧れるのは自然なことだった。

 得意になってシズクの方を見ると、シズクは冗談みたいな夢に目を丸くしていた。

「世界一の、ですか? ドラゴンもいないのに?」

「ドラゴンはこれから何とかするさ。強くてかっこいいドラゴンに乗って、世界中を旅してまわるんだ。そうしたら、おとぎ話よりずっとすごい話をシズクに聞かせてやるからな」

 シズクには、この家から出られない理由がある。たとえこの嵐が晴れても、だ。シズクは、陽の光に当たると比喩じゃなく体が焼けてしまう。そんなシズクに代わっていろんな景色を見て回って、それを聞かせるのが俺の夢だ。

「ふふ、楽しみにしていますよ」

 シズクが笑っているのを見ていると、こっちまで安心してくる。止まない雨は無い。きっと、ぐっすり眠って目を覚ませばこの嵐も夢のように収まってるはずだ。

「ちゃんと眠れそうか?」

「はい、もう怖くありません」

「それはよかった」

 今思えば、怖かったのは俺の方だ。空想の世界に入り込むことで、怖い現実から目を背けることができる。夢を語るのは、一種の現実逃避みたいなものだった。夢ってのは、ある意味で現実とは真反対だから。

「きゃっ!」

 ふと、シズクのか細い悲鳴とほぼ同時、カーテンの外側に一際大きな稲光が走る。今までで一番大きな雷鳴が響いたのは、その直後だった。

「今の、近いな」

「森の方へ落ちたみたいですが、大丈夫でしょうか」

 怖いもの見たさに窓の外を見ると、家の周りを囲む森に向かって落ちていく影が目に入る。

「あれは……ドラゴン?」

 大きな翼に体を包んだ、人間くらいの大きさの影。ドラゴンにそっくりな形だった。さっきまでドラゴンの話をしていたから、見間違えたのかもしれない。シズクも不安そうな顔をしながら窓枠に手を掛けて外を見つめていた。

「こんな嵐の中を飛んでいるということは、野生のドラゴンでしょうか。珍しいですね」

 島にいるドラゴンは、基本的には人に育てられたドラゴンだ。当然、こんな嵐の中でドラゴンが飛んでるわけがない。もし雷に打たれてこの森に行き着いたなら、今頃ひどいけがをしてるかもしれない。

「兄さん?」

 か細い声に振り返ると、心配そうな顔をしたシズクと目が合った。きっと、俺の考えてることが分かってるんだ。だけど、もしあの影が瓦礫や岩なんかじゃなく雷に打たれたドラゴンだったら。そう考えたらじっとしていられなかった。

「悪いシズク、ちょっと様子を見てくるよ。一人でも大丈夫か?」

「はい。気を付けてくださいね、兄さん」

「……大丈夫。嵐なんて、怖くないから」

 今思えば、それは自分に向けた言葉だった。嵐は怖い。でも、前に進まないといけない。だからこそ、安心できる何かが必要だったんだ

 軽く明るい金髪をなでると、シズクは安心しきった表情で目を閉じた。

 嵐なんて怖くない。内心で繰り返しながら角灯に火をつけ、玄関の扉に手をかける。

「ひどい雨だな」

 一思いに扉を開いた瞬間、水の入ったバケツをひっくり返したような大雨に一瞬で玄関が水浸しになる。雨だけじゃなく、風もひどかった。目も開けられないほどの暴風雨に、立っているので精一杯。吹き荒れる風と大粒の雨が相まって、森の中はざわざわと煩いくらいの雨音が響いていた。

「……早くいかないと」

 木の幹が揺らされるほどの風に足元をすくわれそうになる。こんなに激しい雨なら、外に出なければよかった。でも、こんな嵐の中、たった一人でいるのはどれだけつらいだろう。そう考えたら、自然と足が前に出た。家の中にいた時はあんなにも外が怖かったのに、気づけば暗闇に包まれた森の中に飛び込んでいた。

「なんだこれ、羽根……?」

 森に入ると、足元に見覚えのない羽根が散らばっていた。空を走る稲光を反射して白銀の羽根が白い光を発している。

 この辺りではこんなきれいで大きい羽を持つ鳥は見たことがない。よく見ると、雷が落ちた方向に羽根の道ができていた。まるで、自分の存在を叫んでいるように。助けを求めているように。声が聞こえたわけじゃない。そんな気がしたんだ。見間違いじゃない。確かにこの道の先に何かがいる。

 羽根が散らばっている方向をよく見ると、獣道を伝って森の中の泉の方につながっているのが分かる。きっと、森の中に落ちて、休める場所に向かったんだ。

 恐る恐る羽根の跡をたどると、だんだんとその感覚が短くなる。

 裸足で出てきたから泥だらけだ。だけど、この嵐の中でドラゴンはもっと痛い思いをしているはずだ。びしょ濡れになりながら木々のトンネルを抜けると、いつもは鳥や動物が水を飲んでいる泉に、ただ一つ、いつもと違う影が座り込んでいた。

「白い……ドラゴン?」

 純白の翼に、純白の羽毛に包まれた体。鳥のくちばしみたいに細長く尖った凛々しい顔立ち。この辺じゃ見たことない種類のドラゴンだ。

 硬い鱗と大あごを持つ爬虫類じみた姿の力強いドラゴンと違って、繊細で、神々しさすら感じるほどの美しさ。大きさは人間の大人と同じくらいだったけど、その姿は絵本で見た伝説のドラゴンそっくりだ。

 体中が泥まみれで、ところどころが真っ赤に染まっている。元が真っ白だからか、傷を負っている部分が余計に鮮やかで、思わず目を背けそうになる。それでも、その神々しさを欠片も損なっていなかった。

 こっちの気配に気づいたのか、蹲っていたドラゴンは驚いたように蒼い目を見開いた。

『キミは……誰?』

 ドラゴンと目が合うと、高い声が頭の中に響く。周りを見ても人はいない。当然だ。こんな嵐の中外に出る奴なんかいない。

「驚いた。しゃべれるのか」

 目の前のドラゴンが喋ったんだ。信じられないけど、それ以外にあり得ない。

 動物は人の心を理解している節があるけど、自分から話しかけてくるのは初めてだった。ドラゴンは知能が高い生き物で、人の言うことを理解し、時には感情すら読み取ることができる。知ってはいたけど、言葉を話せるドラゴンがいるなんて思わなかった。

 感嘆のため息に応えるように、さっきと同じ声が頭に響く。

『驚いたのはこっちだよ。人間なのに、ボクの事を怖がらないなんて』

 怖いもんか。大雨の中ずっと一人でいることを想像する方がよっぽど怖い。雨風をしのげる家の中でもあんなに怖かったんだ。いつ雷が落ちてくるかもわからない状況で誰も助けに来ないなんて俺なら絶対に耐えられない。

 動けないでいるドラゴンに駆け寄って白い体を持ち上げようとすると、ドラゴンは体を震わせる。急に触って驚かせたみたいだ。ドラゴンの蒼い瞳には、切迫した顔を浮かべた金髪の少年が映り込んでいた。

「俺はレイン。この森の住人だ。今、安全なところに連れて行くからな」

 羽毛に包まれた体を抱えて背中に負ぶっていこうとしても、ドラゴンはびくとも動かない。ドラゴンは空を飛ぶために見た目よりもずっと軽いって聞いたことがある。それなのに、全身が雨に打たれてずぶ濡れなせいか大人の人間よりもずっと重く感じた。それでも無理に持ち上げようとすると、もう一度頭に声が響く。

『もうびしょ濡れじゃない。今は雷が鳴ってない時間の方が短いくらいだし、危ないよ。ボクは大丈夫だから、キミはボクの事なんか忘れて帰った方がいい』

 子供ながら、ドラゴンの言っていることがなんだか気に食わなかった。自分だってびしょ濡れだ。俺なんかよりよっぽどひどいけがだってしてる。それなのに、どうして俺の事なんか気にするんだろうか。

 意地になってることは分かってる。だけど、遠回しに頼りがいがないって言われてる気がして、癪に障ったんだ。だったらもう、他の手段なんて頭に浮かぶ余地はない。

「背中に掴まれるか? 少しくらいなら、おぶっていけると思う」

『どうしてそこまでするのさ。ボクの事を助けても、この怪我じゃ何もできないよ』

 別に見返りが欲しいわけじゃない。俺がしたいから助けるんだ。理由は明白。

「俺は世界一のドラゴンライダーになるんだ。困ってる人や……ドラゴンを助けるなんて当たり前だろ」

 俺が本気だと分かったのか、弱々しく抵抗していたドラゴンは力を抜いて俺の背中に体重を預けてくる。白く大きい翼に包まれると、嵐の中なのに、なんだか暖かかった。

『変な人間』

 そう言って、純白のドラゴンは空のように青い眼を閉じた。

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