ささくれ治してもらった
仁志隆生
ささくれ治してもらった
まだ寒いし水も冷たいから、雑巾がけも大変。
手はあかぎれささくれだらけ。
うう、痛いよう。
けど我慢しないとまた……。
「ほら、さっさとしないと夕飯抜きだよ!」
大きな怖い声が聞こえてきた、うう……。
「お情けでこの家に置いてやってるんだ。ちゃんと働きな!」
そう言って奥様が向こうへ行かれた。
数ヶ月前、わたしは母親を亡くした。
父親はいなかったし、誰なのか知らない。
母を弔った後、どこで聞いたのかこの大店の旦那様がやってきて、自分が面倒見るから安心おしと頭を撫でてくれた。
そしてわたしを引き取ってくれたけど、その旦那様もすぐに亡くなってしまい、今は奥様が主。
今は毎日奥様に怒鳴られ、時には折檻されたりと……。
たぶん疫病神みたいに思われたのだろう。
他の奉公人もわたしをよく思ってないのか、殆ど話しかけてこない。
それでも追い出されないのはなぜだろ?
一日の仕事が終わり、今日はご飯もいただけた。
あとは寝るだけ。
あの古くてボロボロな物置小屋がわたしの寝床。
寒いけど雨露凌げるだけでもマシと思わないと。
ってあれ? 戸が開いてる?
閉め忘れてたかなと思いながら中に入ると、
そこにいたのは、わたしと同じくらいかなって感じの女の子だったって、
「ねえ、あなたどこの……まさか盗人?」
「そうだよって言ったらどうする?」
女の子がこっちを見ながら言う。
「見なかった事にするから早く逃げて」
わたしは戸の方を指して言った。
「あれ? なんで誰か呼ばないの?」
女の子が首を傾げてるけど、
「あなた、たぶん貧しい家の子でしょ」
「なんでそう思うの?」
「だってボロ纏ってるだけだし。あ、そうだ」
わたしは隅に置いてある物入れから桃色の小袖を出した。
「これあげるから、早く出てって」
「いいの? それ大事なものじゃないの?」
「いいよ」
おっかさんのものだけど、この子に着てもらえるならいいよね。
わたしはもう着ることないから。
「ぬふふふ、いい人だね。たぶんあんたも酷い目にあってるのに」
女の子が妙な笑い方しながら言った。
「そんな事いいから、早く」
「うん。じゃあ」
その子はわたしにを抱き合げ、へ?
「実はね、盗もうと思ってたものはあんたなんだよ」
「え? ってキャアアー!?」
気がつくと空に浮かんでいた。
屋敷も周りの家もどんどん小さくなっていく。
もし落っこちたら……。
「大丈夫、落ちないからね」
女の子は今度は優しげな笑みを浮かべて言った。
「え、え? あなた何? 妖怪?」
「違うよ。さ、着いたよ」
「え、あ……」
目の前にあったのは、金色に光っている大きく立派なお屋敷。
そして足元は……雲の上ってこんなだったんだ。
「さ、入ってよ」
女の子はいつの間にかわたしがあげた小袖を着ていた。
「あ、よく似合ってる。よかった」
「ぬふふふ、ありがと」
「ってここどこ? もしかして極楽?」
「そんなんじゃないよ。さあ」
わたしは女の子に手を引かれ、お屋敷の中に入った。
「うわあ……」
中は広くて真っ白な壁に、見たこともない模様が書かれた襖。
廊下もぴかぴか。
なにここ、極楽じゃないならなんなの?
「さ、まずは一緒にお風呂入ろうね」
「え、いいの?」
「遠慮しないで。その為に盗んできたんだから」
女の子はまたわたしの手を引き、湯殿へ連れて行ってくれた。
「ああ、いいお湯だった」
ゆっくり温かいお湯につかったのは初めて。
誰かと洗いっこしたのも初めて。
あれ、あかぎれもささくれも治ってる?
「よかった。みよちゃんのお手々綺麗になって」
わたしの手を見ながらあやちゃんが言った。
名前はさっきお風呂で教えあった。
「うん。あの」
「お礼はいいの。あたしがしたかったから」
あやちゃんがそう言って止めてきたけど、それでもと言おうとした時……。
ぐううとわたしのお腹の虫が鳴った。
「あ……」
「ぬふふふ、みよちゃん、やっぱりあんまりご飯貰ってないんだね。さ、あっちで一緒に美味しいもの食べようね」
あやちゃんがまたわたしの手を引いて、別の部屋に連れて行ってくれた。
「うわあ……」
そこには真っ白なご飯に大きなお魚、他にも見たことないようなものが乗っているお膳が二つあった。
「さあさ、たくさん食べてね。おかわりもあるから」
「うん、いただきます」
もう遠慮なくさせてもらお。
「美味しかった?」
「ええ、もうたくさん」
あんまり美味しかったので何杯もおかわりしちゃった。
食べながらいろんなお話してたけど、そういえば。
「あやちゃんはここに一人で住んでるの?」
だって他に誰もいないし。
「普段は別のとこにいるの。今日はみよちゃんを連れてこようと思って準備してたの」
「そうなの? ……あの、もしかしてあやちゃんは神様か仏様?」
だってここ雲の上だし。
「だから違うってば」
あやちゃんはちょっとムスッとしながら言った。
「ごめんなさい。じゃあ何?」
「なんでもいいでしょ。さ、今日はもう寝よ」
お膳がいつの間にか無くなっていて、大きくて温かそうな布団が置かれていた。
「ねえみよちゃん、一緒に寝てもいい?」
あやちゃんがまたまたわたしの手を取って言う。
「え、ええ」
「よかった。じゃあ」
あやちゃんと一緒にだからか、すぐに眠くなって……。
「……ん、ふああって、寝過ごしちゃった!」
また怒鳴られると思ったらそこは物置小屋じゃなかった。
「あ、そうだった。あやちゃんに連れてこられて」
「おはよ。さ、朝餉できてるよ」
あやちゃんがお膳持ってきてくれた。
温かそうなお粥だった。
ああ、そういえば旦那様に連れてこられた最初の日に食べさせてもらったのも、温かいお粥だったなあ。
あの時は奥様も頭を撫でてくださったなあ……。
食べ終わってから、あやちゃんに手を引かれて連れてこられて来た場所。
そこには井戸があった。雲の上にもあるんだ。
「ちょっとここ覗いて見て」
あやちゃんがそう言うので、井戸の中を見てみると……。
え?
見えたのは奥様の部屋。
そこで奥様と番頭さんが何か話していた。
ここからじゃ聞こえないよね、と思ったら聞こえるようになった。
「まだ見つからないの?」
「はい。方方を探しましたしあちこちで聞いて周りましたが……」
「そう……」
「奥様、もう一月ですし、これだけ探して見つからないとなると、その」
番頭さんがそう言ったって、え?
一月って、ここへ来てまだ一日しか……?
「とにかく探して頂戴!」
「は、はい、分かりました」
番頭さんがそそくさと部屋を出ていくと……。
「うう……」
え? 奥様、泣いてるの?
「ごめんね、おみよ……あんたが悪いわけじゃないのに」
え、どういう事ですか?
奥様にはわたしの声は聞こえてないようで、蹲ってずっと泣いていた。
「うん、もういいかな?」
あやちゃんがわたしの横で言う。
「もういいって?」
あやちゃんはそれに答えず井戸の底を見て、
「おい、聞こえるか?」
声色を変えて奥様に話しかけた。
すると奥様は顔を上げ、辺りを見渡した。
「わしは地蔵菩薩である。おみよはわしが預かっておるから、いくら探しても見つかるはずがないぞ」
「え……あ、な、なぜ?」
奥様が天井を見上げた。
こっちは見えてないんだよね。
「なぜだと? お前はおみよを散々いじめていたではないか」
「……ですが」
「なんだ? 言いたい事があるなら全部言うがいい」
「……いえ、私が悪いのです。いくら夫の妾の子だからって、あの子に罪はないのに、つい」
え? わたしが旦那様の子供?
「最初は私もあの子を引き取る事に賛成しました。私はとうとう子を産めませんでしたから……」
けど、だんだんと憎らしくなっていきました。
妾の子をなぜ面倒見なければと。
それで辛くあたって……。
そして、いなくなったと聞いて精々したと思いました。
けど時が経つにつれ、あの子は無事でいるのだろうか、お腹空かせてないだろうか、どこかで泣いてないだろうかと……。
「なぜかそんな事ばかり思うようになりました。どうしてか自分でも分からないのですが……ううう」
奥様は泣きながら言った。
「本当はおみよが可愛くて仕方なかったからだろ」
あやちゃんがそんな事を言った。
「だが、自分から生まれてきてくれなかったのが悲しかったから、憎らしかった。そうではないか?」
「……そうかもしれません」
奥様がまた俯いて言われた。
「そうか。それで、もういじめたりしないか?」
「……はい。これからは精一杯大事にします」
「うむ。だがおみよが帰りたくないと言ったら、どうする?」
「その時は……せめて、謝らせてください」
「分かった。では少し待っておれ」
「みよちゃんはどうするって、聞くまでもないね~」
あやちゃんが聞いてきた。
「え、まだ何も言ってない」
「その顔見たら分かるよ」
「あ」
わたし、いつの間にか泣いていた。
……うん。ばかかもだけど、奥様を信じようと思った。
「最初はね、みよちゃんを連れてきた後であの女も殺しちゃおうと思ってたの」
「え?」
「けどね、よく見るとあの女の心にもささくれができてたから、治してあげる事にしたんだ」
あやちゃんは笑みを浮かべて言った。
「そうだったんだ。あ、あやちゃんはお地蔵様だったんだね」
「ううん。お地蔵さんはちょっと好きだから真似しただけだよ」
「え、じゃあ本当は何?」
「なんでもいいでしょ。さ、ここに飛び込んだら帰れるよ」
あやちゃんが井戸を指して言う。
「えっと、怪我しないよね?」
「大丈夫だよ。さ」
「うん。あの、ありがとう」
「ううん、こっちこそだよ。あんなに楽しくお話したことなかったから、嬉しかったよ。じゃあね」
あやちゃんが手を振って言った。
「うん。できたらまた会おうね」
わたしはそう言った後、えいやと井戸に飛び込んだ。
「ん、あれ?」
「おみよ、気がついたのね」
目を開けると奥様が泣き顔でわたしを見ていた。
「よかった。上から落ちてきたからもしかしてと思ったわ」
「奥様、あの」
わたしは留守にしたお詫びをと思ったら、
「……ごめんなさい。もうしないから、ごめんなさい」
奥様はわたしを抱きしめて、謝りながら泣かれた。
「……はい」
わたしも思いっきり泣いた。
もうされないからじゃなくて、これからはと思って……。
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