つれないね、恋の分からず屋

伊藤東京

入学 1

 私は普通のことができない女子高生だった。自意識過剰で自信過剰。意義もないのに毎日高校に通学することが私には苦痛だった。

 私にとって学校に行くことは個性を矯正されて社会の為の労働に特化したロボットになることだった。

 幼稚園に入園するときから、小学校、高校、大学と、一流企業に入社できるまで永遠に終われない試験の連続。やっとのことで一つの試験に合格しても、喜ぶ暇もなく次の試験に向けて準備しなければならない環境。

 例え試験に合格できても、それが一流企業への就職を意味しないなら、その試験はただの準備運動に過ぎないという雰囲気。

 生まれた時から死ぬまで続く試験の存在が私を苦しめた。その休みない努力を要する世間を私は狂気的だといつも思っていた。

 一流大学に入学できれば人生は安泰だと信じて疑わない世間はオカルト的でもある。

 ただ、もし一流大学に入るのが人生をかけるほど重要なことだとしたら、なぜ一流大学の入学試験問題以外を勉強し続けなければならないのだろうか? 私はずっとそう思っていた。

 特に入学試験の試験範囲が各大学の学科によって違うと明確に分かっているなら、毎日健気に高校に通う必要はあるのだろうか? 

 効率的に考えれば、試験範囲を一生懸命勉強したほうがいいのではないのか? 

 勉強する意味が大学入試の為ではなく、人生の質を上げるためだというのなら、なぜ周りの人たちはこんなにも血眼になって大学入試の合格こそがその人の価値や成功を決めるもののように扱うのだろうか?

 私は学校生活に納得できなかった。けれども私の周りの人々は、そんなこと考えたこともないという風に学校に毎日通っている。

 それだけじゃない。毎月、それぞれの学科テストの成績を真剣に捉えすぎて、そのことばかり偉く扱う。私の周りの人たちがそれ以外のことについて真剣に考えたり尊敬している様子を私は上手く思い浮かべられない。

 そもそもスマホやパソコンがある今、何かを暗記し続けるより、プレゼンテーションやエッセイを殆どやらせてもらえないことが疑問でしかなかった。

 今の勉強の仕方の一体何が成功した人生に繋がるというのだろう?

 私がそんな風にひねくれていたから学校では友達らしい友達なんて出来なかった。

 授業でグループにならなければいけない状況があれば必ず最後に残った。

 学校で勉強するのは自身の有限な時間を浪費する、無駄な行為だと思っていた私は変人とされた。

 ある生徒はそんな私を積極的に虐めてきたし、ある先生はそれを見て見ぬふりして過ごした。頑固者の私のことを周りが疎ましく思っているのは分かっていた。

 それら全てが辛くて、高校に入学してからすぐ、私は自分で受験勉強をしたいと思うようになった。もちろんそのリスクは大きい。けれど、私には自分で努力して受験勉強に備えられるという自信があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る