人類最強の剣神・クアイン、英雄譚の最後の一頁

オドマン★コマ / ルシエド

第1幕 奇跡

 ここは、剣と魔法と奇跡の異世界。

 箱の中には、災厄が詰まっていて、箱を開けると全てが飛び出すが、最後に一つだけ希望が残っている……などという、御伽噺が語られている。

 どんなに苦しみと絶望が満ち満ちていても、箱の中には希望がある、そういう話だ。


 男はその話を聞いて、こう応えた。


「箱を開けないまま、箱に入って、災厄を全て殺せたら理想だろう。開けなければ決して外に逃げられない箱、素晴らしい。私も欲しい。絶対に殺したい敵とはその箱の中で戦っておきたい。それが騎士というものではないだろうか」


 男にとって、人を害する災厄とはただただ敵であり、箱とは敵と戦う為の逃げ無き死地であり、そして、希望についても独特の観点を持っていた。


「災厄と同じ箱に閉じ込められていても、災厄に負けず、災厄に殺されず、災厄に染まることなく、災厄に屈することなく、周りの全てが敵の中で自分を貫く。その希望というものは最も強い心の象徴だろう。だが、いずれは我々が救わなければならない。騎士とは、孤独に戦う者を救いに行くものだ」


 男はやがて、弟子を取り始めた。

 剣の弟子である。

 才能のある少年を、108人。

 厳しい修行、相争う競争、命懸けの実戦、戦争への参加、魔法術という外道での人体改造……その繰り返しの果てに、男は1人の剣士を完成させた。


 後に、『剣神』と呼ばれる最強の剣士である。

 そうして生み出された彼がまずしたことは、最強の剣士を生み出すため無数の犠牲を積み上げた、傍若無人の師匠を討つ事だった。


「あ……ガッ……何故っ……」


「弱い人間が講釈を垂れたところで、たしかなことなど一つもない。そうだろう、師匠」


「弱……ぃ……? 私が……?」


「貴方はもう、私より弱い。だから貴方の教えの通り、今の貴方はもう、何も正しくはない」


 師匠を討った13歳の少年は、することもなかったため、世界中から強者が集まる『捧剣祭』に出場し、5年連続の連覇を成し遂げ、世界に広く知られ、疑いようもない最強の1人となった。


 少年の名は、クアイン。

 若き日は『神気楼』のクアイン。

 連覇の後は、『剣神』クアイン。


 万人単位の開戦派異民族をたった1人で撃退し、大農園を襲った大魔獣の首を落とし、大噴火によって街に降り注いだ火山岩の全てを切り落とし、挑まれた勝負の全てに彼は打ち勝った。


 積み重ねられた武功は「クアインは強い」という評価を産み、やがて「クアインのようだ」という形容を産み、「クアイン以降では初めて」という称賛を定着させ、「クアインという名称そのものに強いという意味がある文化が醸成された」とまで言われるようになった。


 それから、20年の時が経ち。


「クアインさん。貴方はもう二度と剣を握ってはいけません。激しい運動も控えて下さい」


 剣神は、剣士としての生涯を終えつつあった。


たしかに治せないのか?」


 問いかけるクアインに、医師は頷く。


 ここはセムラセム王国、王都アブ=ジャードのアッカド大病院。ここで治せない病気は無いと言われている、世界最先端の医療が集う場所だ。

 逆説的に言えば、ここで治せない病は、世界のどこに行っても治せないということでもある。


「治せる治せないの話ではありません。これは、。魔導解析……今は霊子解析とも言いますが、これで何も分からないのであれば、おそらくどこに行っても分からないと思います」


たしかか」


「……はい」


 かつての剣神クアインを知る者が今のクアインの検査結果を見れば、目を覆うだろう。


 なんと細い腕か。

 なんと衰えた足か。

 なんと脆い骨か。

 なんと濁った血か。

 なんと力の無い瞳か。

 なんと弱々しい呼吸か。

 なんと働きの悪くなった脳か。


 筋骨隆々な大剣豪が老衰によって痩せこけて棒のようになってしまうそれに似た、けれど決定的に違う『異常な衰え』によって、クアインは不可逆にその強さを奪い去られていた。

 しかも、医者に聞いても「分からない」としか言われない。治す目処が立たないのだ。


 この恐るべき現象は、まだ40歳にもならないクアインの体を、50年分の加齢を超越するほどの衰弱で蝕み、なおも蝕みを深めている。


「クアインさん、もう一度確認させてください。貴方は正体不明の獣23体と交戦、見たこともない謎の攻撃を受け、以後その身体が衰弱し続けているということで間違いないんですね?」


「ああ」


「……その敵を捕獲、あるいは打倒すれば、解決の糸口が見えるかもしれませんが……」


「そういうものではない。それだけはたしかだ」


「何故ですか?」


たしかな勘だ」


「……そうですか。普通の患者であれば妄言の類と思うところですが、他ならぬ剣神クアインの言うことならば、それが真実なのでしょうね……」


 医者は無念そうに拳を握り、申し訳無さそうにクアインに頭を下げた。


「お役に立てず、本当に申し訳有りません」


「謝罪は必要ない、先生。私が騎士である以上、どこかの戦場で死ぬことは分かっていたことだ。残り時間があるだけ幸運だったと思うべきだろう」


「……わたしは悔しいですよ。わたしも昔は、あなたの試合を観に行って、手に汗握っていた、ありきたりな子供の一人でしたから」


「そうか」


 この医者は高等学院で医学を修めたエリートである。彼は代々国の医療を担ってきた『カフの一族』という医学一族の末端だ。その医術は、患者の命を掌の上で自在に転がすとたとえられるほど。彼が助けられなかった患者は多くない。


 そんなエリートが、実績と実力を評価され、謎の病に侵された世界最強の騎士の命を託され、力を尽くし、知を尽くし、手を尽くし……皆の期待を背負った上で、『救う方法はない』と結論を出すしかなかったのだ。


 その絶望と挫折感は、他人が推し量れるようなものではないだろう。


「ですが、治せなくとも、抗いましょう」


 医者はいくつかの薬の名称を紙に書き出し、同席していた薬学院の人間に渡した。

 おそらくは15分とかからず、指定された薬が運び込まれて来るだろう。


「脳の神経を刺激する薬。心臓の働きを補う薬。筋肉の衰えと骨の脆さを補強する薬。それと病原菌への抵抗力を高める薬です。造血などその他の必要な促進効果は貼るガーゼの術式で補っていきましょう」


「薬は持ち歩くのが不便だ。魔法の類だけでたしかな効果を得られるようにできないか」


「何事もいいとこ取りが一番です。奇跡論も薬学論も併用が一番治りが良くなるんですよ」


「分かった。従おう」


 薬を受け取り、クアインは頷く。


 背は高くとも、やせ細った身体。

 うっすらと浮かぶ目の下の隈。

 いつまでも治らない擦り傷、指のささくれ。

 かつては綺麗だった茶髪は今は見る陰もなく、肩まで伸びるボサボサで白髪混じりの茶髪へと成り果てている。

 ただただ、眼光だけが鋭いまま。


 医者が死力を尽くしても、この衰えを減速させることしかできないという、呪いじみた『それ』の正体は、衰えている彼本人にも分からない。


「繰り返しの忠告になりますが、剣は二度と握らないで下さい。激しい運動も厳禁です。健康を維持する程度に歩くのは推奨しますが、激しい運動は確実に寿命を縮めます。今の貴方の身体は泥で固めた砂の人形のようなものなんです」


「分かった」


「お屋敷で落ち着いた療養に励んで下さいね。わたしも定期検診に行きますから……投薬でなんとか延命しつつ、治療の道筋を探しましょう」


「分かった」


 薬入りの袋を受け取り、剣聖クアインはまっすぐ目的地へ向かった。

 医者は、彼が家に帰ったと思っただろう。

 だが、彼は家には帰らなかった。


 クアインが真っ直ぐに向かったのは、王都の建物の販売・賃貸・流通などに携わる、不動産業の店舗がある地区だった。

 クアインは勘で店を選び、そこへ入る。


「お、らっしゃ……おおぅっ、ウチの店なんかに普通は一生来ぃひんそうな大有名人……」


「ここは不動産屋でたしかか」


「はいはいはい、その通りやでー! ウチこそここら一帯に名が轟い……てはおらんけども、良心良識がモットーの不動産、その名も」


「私の私有地、屋敷、そしてそこにある家具貴金属その他全て売り払いたい。代金は半分を屋敷で働いてくれている執事達に、残り半分は孤児支援院に寄付しておいてくれ。たしかに任せる」


「なんやて!?」


 驚く店主の女性と契約についての会話を交わしたクアインは、指を切り、血判契約紙に指紋に沿った判を押し、あっという間に全財産を売り払った上で手放してしまった。

 自宅で療養する気がまるでない。


 クアインが次に向かうは、平民向けの量産品の武器屋。古ぼけた歴史のありそうな鍛冶屋の奥から、ラフな格好に身を包んだ桃色の髪の女鍛冶師が顔を出す。


「職人、剣を一本」


「はいハイ……ヒエッ、剣神様ぁ!?」


「剣を一本」


「な、なななナ、こ、こんナ店にアナタに似合う剣なンテ一本も置いておりまセヌがぁ!?」


「普通のでいい」


「はいィ!」


 剣を一本。片刃の鉄剣を購入し、クアインはそれを腰に差して歩き出す。


 こほっ、と小さくむせこんだクアインの手に、咳と共に飛び出した血の塊が着地した。


 それを投げ捨て、クアインは街を出る。


 全て捨て、クアインは身一つで旅立った。


「さて」


 目標は1つ。

 狙うは23。

 何処いずこよりか来たれり不気味の獣。

 倒さなければ、次の犠牲者は剣神ではない。

 罪も無い普通の子供かもしれない。

 それは騎士が見過ごしてはならない事だ。


「死ぬ5秒前まで剣を振っていないようなら、それは騎士ではない。たしかな事だ」


 かくして、最強だった騎士は旅立った。


 その旅の果てに、たった一つの答えを見つける、恐るべき獣を討つ旅に。


 そして、それが彼にとって最後の旅となった。






 川を越え、谷を越え、山を越え、魔導陥坑を越え、魔獣の森を越え、伝説の戦場と語り継がれる荒野を越え、クアインは歩いた。歩き続けた。


 獣は、虚無から生まれることなどない。

 どこかに住み着き、どこからか来ている、そうであるはずだと、クアインは考えていた。

 彼が探していたのは、獣の巣。

 恐るべき獣の警告を各地に残しながら、クアインは獣の巣を探して歩き続けた。


 結論から言えば、クアインはかの恐るべき獣の巣を見つけることはできなかった。


 見つけたのは、被害者だった。

 クアインと同じように、不気味な獣に追いかけられている幼い少女を、クアインは発見した。

 獣はあの日にクアインが見たのと同じような、奇妙奇天烈な姿をしていた。


 黒く、暗い。

 自然の色がない。

 厚みがない。

 けれど紙のようではなくて、ペラペラに感じることもない。見ていると不安になるような、この世のものとは思えない、条理の外にあるような形。


 たとえるならば、『紙の絵に見える立体』『立体に見えるように描いた紙の絵』。

 あるいは此処ではない世界の言葉で通じるように表現するならば、『3Dの存在であるかのように錯覚させる2Dのキャラクター』。


 それは、状態を形容する言葉を使って評するならば、『濃淡が揺らめく影で出来た獣』のような存在だった。

 最も形状が近いものは、おそらくは狼。

 それが齢10にも届かなそうな女の子を追いかけ、今にも噛みつかんとしている。


「……ようやく見つかったか」


 クアインは軽く跳んで、《《前方に》600歩ほど離れた位置を走っていた少女を抱え、獣の噛みつきをさらりと避けた。


「!?」


「えっ!? えっ!?」


 知性があるのか、影の獣が驚き、一瞬遅れて反応した少女が困惑する。


 影の獣の目が細まり、一瞬にして尾が伸びる。

 伸びた尾は漆黒の刃となり、音速を超える苛烈さで振り下ろされる。

 黒き断頭、威力は必殺。

 少女を抱えたまま、クアインは右方に跳んで刃を避け、刃は神速の切り返しをもってして追撃、クアインを両断せんとした。


 だが、クアインは少女を抱えたまま、右方に跳んだはずなのに、左方へと跳んでいた。理屈ではなくからそうだった。クアインが跳んだ方向の逆に尾の刃を振るったがために、当然のようにその一撃は空振った。


「!?」


 困惑する影の獣は狼のように唸り、訳が分からない新手の出現に警戒し、後ろに跳び距離を取る。

 この獣には、確かな知性がある。

 限りなく弱体化してしまっているクアインは、その知性にこそ警戒心を掻き立てられた。


 クアインに抱きかかえられた少女は何がなんだか分からないようであったが、獣がクアインを警戒したこと、クアインが自分を守ってくれたことは理解できたようで、クアインに抱きつき、目を真っ直ぐに見て懇願する。


「ねえ、助けて! あいつらあたしを狙ってるの! このままじゃ殺されちゃう!」


「……なに? たしか」


「確かよ! だから、助けてっ……」


 歳は10歳に届かないくらい。

 髪は金と紫の二色。

 手足は衰弱した後のクアインと比べても、なお比べ物にならないほど細く、ろくに食べ物を得ていないことが明らかな痩せ細りだ。


 痩せ細ってなお幼い美少女といった容姿だが、土まみれでボサボサの髪、ボロ布のような千切れかけの灰色の服、擦り傷が残る手足が痛々しい。

 だが、汚れと傷だらけの風体の中で、ただ1つ、青空のような青い瞳が、宝石のように、綺麗に、穢れなく、透き通るように輝いていた。


 だが、それらの外見的印象より強くクアインの気を引いたのは、『あいつらあたしを狙ってるの』の一言だった。


「……」


 クアインの位置が、不思議と


 抱えた女の子ごとまた獣の視界から消えたクアインは、近くに転がっていた大岩の陰に女の子を隠し、剣を抜く。

 飾り気の無い片刃の鉄剣。

 どこにでも売っているようなものだが、打った鍛冶師が優秀だったのだろう。重量も切れ味も、一般的な鉄剣としては申し分ない。剣に込められた想いが切れ味を形作っているかのような、鍛造品の良作だ。


「そこに座っていろ。すぐ片付く」


 少女に声をかけた次の瞬間、クアインは獣の背後から、その首を斬りつけていた。


「!?」


 なんとも言えない、不思議な音が響く。

 剣でゴムを叩いたような、そんな音。

 それでいてクアインの手に残る手応えは、鉄剣で鉄塊を叩いたようなそれだった。


 音と、手応えが、矛盾していた。

 この獣は、通常の条理を超越している。

 剣で斬りつけるだけで誰もがそれを理解する。


「っ」


 衰弱した肉と骨に、硬いものを剣で斬りつけた反動が響く。

 かつての剣神クアインであれば、敵のハンマーで腕を殴りつけられてもビクともしなかっただろう。

 そういう鍛え方をしていたし、そういう強さを備えていた。


 だが、今の彼にそれはない。

 硬いものを斬りつけただけで腕が痺れてしまう。

 まるで、普通の剣士のように。


 陰の獣が秒に4度繰り出して来た必殺の噛みつきを、クアインは軽やかに──身体に負荷がかからないように──、流れるように避けていく。

 そんなクアインに向け、遠方から少女が声を張り上げ、叫んだ。


「待って! そいつ攻撃が効かないわ! 誰が何をしても傷一つ付かなかったの! 逃げて! 危ないことしないで! 一緒に逃げましょ!」


 クアインは無視した。

 少女の声は悲痛であったが、クアインがその要望を聞いてやる義理はない。

 クアインは全盛期の戦闘行動の1万分の1も動いていないにもかかわらず息が切れ始めた身体に、体力の低下を痛感しながら、獣の連撃をかわし続ける。


 獣の一撃一撃が必殺。

 外れた攻撃が、鉄鉱混じりの大岩を粉砕する。

 攻撃速度も非常に速く、音を置き去りにする速さを備えながら、連撃の組み立てに獣らしからぬ確かな知性と、洗練された戦闘技巧が見て取れる。


 そんな影の狼と戦ってみたクアインの感想は、『前に戦った獣よりは弱い』だった。


(……あの時の23体とは比べ物にならないほど弱い。1体と1体で比較してもこの狼の方が弱い。たしかにあの時の獣と同種なのは手応えからも感じるが。上位種と下位種が存在するのか……?)


 クアインは鉄剣を振るう。

 まるで、光が弾けたように見える剣神の斬撃。

 その斬撃は1つのようにも、100のようにも見える、曖昧な見え方をする蜃気楼の如き斬撃だった。


 それが影の獣の急所に相当していそうな場所を全て斬りつけるが、『生き物でないものに急所などない』とでも言わんばかりに、獣は全ての斬撃を無造作に弾き切る。


 何の攻撃も効かない無敵の獣が吠え、咆哮が戦場を支配し、遥か遠くから少女が喉が張り裂けんばかりに叫び続ける。


「逃げて! ……死なないで! もう誰も……あたしのために、あたしのせいで、あたしの目の前で……死なないでっ……!」


 それは、少女の悲痛な叫びだった。


「死なないで! 逃げてっ!」


 諦めがあり、悲しみがあり、痛みがあり、絶望があり、心配があり、怒りがあり、焦りがあり、無念と、無念と、孤独と、恐怖と、後悔と、自責と、染み出るような無力感があった。


 それを受けて、剣神クアインは「ふむ」と無感情な呟き一つ口端から漏らし、剣を逆手に構え。


たしか、久しぶりだな。『死なないで』などと言われるのは。『どうせ死なないでしょう』なら聞き飽きるほど言われているのだが」


 すっ、と剣を振った。


 ぬるっ、と、音がしたような。そんな錯覚が生まれるほどに滑らかな切断によって、影の狼の首は落とされた。


 いとも容易く。

 ひどく呆気なく。

 ありえないほどに気軽に。

 は、剣神の一撃によって不可逆の死を迎えた。


「……え……」


 少女は、信じられないものを見た。


 かの獣はかつて、少女の眼前で多くの人を殺し、その過程で全ての抵抗を踏み潰してきた。

 剣では斬れず、槍は刺さらず、炎で焼けず、水で溺れず、潰れることもなく、感電さえも無効化して、神の奇跡を再現した攻撃でさえも無傷だった。

 この少女を守ろうとした多くの大人が、そんな獣に噛み殺されてきた。


 だが、クアインはそんな獣をあっさりと仕留めてみせた。

 それどころかどこか不満げで、『もっと軽く倒せたはずだ』という顔をしている。


「……衰弱はたしかに進んでいる、か。今まで通りには戦えないなら、他のやり方を……」


 肩を軽くぐるりと回し、クアインは剣を鞘へと収める。


 右に跳んだはずなのに、左に跳んでいる。

 殺したはずなのに、死んでいない。

 無敵で殺せないはずなのに、殺せてしまう。

 その謎が解けない者には、剣神クアインは倒せない。彼はそういう風に自分を鍛え上げている。


「な、なんで、あいつらは絶対に倒せないはずじゃないの……? なんで……?」


「少しいいか」


 クアインがまた先程まで居た位置から少女の目の前に位置を動かし、突如目の前に現れた男に少女が驚くも、なんとか咄嗟に言葉を紡ごうとする。


「! あ、あの、さっきはありが……」


「まず聞かせて欲しい。あれに狙われていると言っていたが、いったい……」


 両者が同時に話し出そうとして、少女が言葉を止めて、クアインが目を見開いて発言を止める。


 ボロ布のようだった少女の服の背中が破け、そこから、人間に無いはずのものが見えた。


 いや、『人間に無いはずのもの』ではない。


 だ。


「……たしか、その翼は……」


 右に黒翼。

 左に白翼。

 布で覆われなくなった2つの翼の周囲に、世界を巡る不可視の『力』が集まり、翼の周りを循環する形で流れ、少女の背後に薄っすらと光の輪が見える。


 白黒二極の両翼に、その翼が巡らせる『天使の輪』の光。それは伝承の文献に存在を確認できる、大昔に生きたある超越生物の特徴。




「堕天使?」




 かつて人類の生存権を脅かし1人の勇者と22人の騎士と戦い、その数を大きく減らし、大昔に絶滅した、伝説のもの。

 剣神クアインはかつて堕天使と戦い人を守った伝説の騎士、『勇者の瞳』アインの子孫。

 すなわち堕天使とは、クアインの体に流れる血が定める、人族の絶対的天敵に他ならない。


「どういうことだ。たしか堕天使は、1000年以上前に絶滅したはずだ」


「……」


「狙われている理由とは、それか?」


「……そうよ。悪い?」


 少女は気持ちを苦々しく噛み潰すように、そう吐き捨てた。


「こんな世界に、こんな生き物として生まれるくらいなら、堕天使なんかに生まれるくらいなら、生まれて来なきゃ良かったって、あたしが一番思ってるわよ……! 悪い!?」


 堕天使を滅びに追いやった騎士の裔。

 人を滅びに追いやろうとした堕天使の裔。


 それは、奇跡のように残酷な出会いだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る