2章 58話

 鏡花きょうかに誘われてやって来た、彼女の自宅。それだけでも緊張する所だが、何と今は両親不在。

 帰りも遅いので、恐らく鉢合わす事もないと思われる。そんなドキドキの状況に置かれたまま、鏡花の自室まで案内されてしまった。



「えと、あんまり物は無いんだけど、ここが私の部屋だよ」


「お、おう。……何か、上手く言えないけど、鏡花っぽい部屋だな」


「え? そ、そうかな? その、変じゃない?」


「整理整頓もされてるし、綺麗な部屋だと思うぞ」


 あと、凄くいい匂いがする。でもそれは口にしない。何か、ちょっと変態っぽいから。だけど、好きな女の子の匂いって、なんでこんなにも良いんだろうか。


 あんまり室内をジロジロ見渡すのも悪いかなと思うものの、誤魔化しきれない好奇心も確かにある。

 本棚には色んな本が入っているものの、漫画っぽい本は無かった。あんまり漫画は読まないと聞いていたけど、一切持っていないとは。


「本が多いな。本当に好きなんだな」


 俺の背と変わらない高さの本棚が3つあり、全てに隙間なく本がずらりと並んでいる。内容までは分からないけど、とにかく量があるのは間違いない。


「そう、だね。暇があると読んでるかな」


「オススメとかあるの?」


「え? そうだね……男の子なら、これとか」


 渡された本は、日本各地の有名なラーメン屋を巡りながら感想を書いたエッセイだった。

 説明されて思ったのだが、エッセイって何だろう? いまいち本のジャンルには詳しくない。言葉としては聞いた事があるけど、意味までは知らない。


「エッセイってどう言う本なんだ?」


「うーん。書く人によってそれぞれなんだけど、自分の意見や感想とかを書いた本って感じかな」


「ブログみたいなものか?」


「そうだね、近いかも。そんな感じだよ」


 それからこの本について、鏡花が色々説明してくれた。確かに内容はちょっと気になる。

 少々主語がデカいかも知れないが、体育会系でラーメン嫌いな奴って居ないと思う。思いっ切り運動した後に仲間内で食べに行くラーメンは美味い。


「私ね、この作家さんが好きなんだ! 他にもこんな本書いてたりしてね」


 本の話になったからか、鏡花が普段よりも饒舌に語り始める。そして今、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 この作者、名前からして男だよな。今、鏡花は好きって言ったよな。


 そう言う意味で言ったのではない、恋愛的な意味ではない。だから、気にする事じゃない。そう、俺は彼氏でこの作者と鏡花の間に接点など無いんだから。



「サイン会に行った事があるんだけど、渋くてカッコいい人だったんだ~」



 ちくしょう。渋さなんて若造には絶対に出せない大人の特権。ズルいだろそんなの、どうやって太刀打ちしろと言うのか。

 おまけに本を出してサイン会までやれる大人。きっとお金だって持っているだろう。ちょっとバイトで稼いだ程度の俺では勝ち目がない。

 恋愛的な好きではないと分かっているが、自分以外に鏡花に好かれる男が居る事には変わりない。


「どうかした?」


「いや、何でもない。あ、あのゲーム機、うちにもある」


「ああ、アレの事?」


 話題を変えたくて、この嫉妬心を誤魔化す為にゲーム機に話題を移す。世界中で売れているらしい有名なゲーム機だ。

 今までゲームなんてやって来なかった俺は、触った事もないけれど家にはある。開けてもいないままだし、使い方でも聞いてみよう。


「実は、貰っただけで使った事ないんだよな」


「え!? そうなんだ。結構楽しいよ?」


「俺、殆どゲームをやった事ないんだ」


「今時そんな事あるんだ……」


 それから、実際にゲーム機を起動して貰い、どんな感じなのかを見せて貰う事になった。

 鏡花もそれほどガッツリやるタイプではないらしく、結構ライトに遊んでいるらしい。結城ゆうきさんと小日向こひなたさん、3人で一緒にプレイする事が多いらしい。


「協力プレイか。それって、俺も鏡花とやれるのか?」


「もちろん出来るよ! 何か一緒にやってみる?」


 それから鏡花に選んで貰った何作品かを2人で遊んでみる事にした。ゲームそのものへの興味はさほど無かった。

 ただ、鏡花と一緒に出来ると言う一点に惹かれるものがあった。最初はそれだけだったのだが。


「案外、面白いもんだなゲームって」


「良かった、楽しんでくれて」


 これなら、俺でもプレイ出来るし悪くない内容だった。純粋に楽しいと思えた。昔はこんなの、何が良いんだと思っていたのに。今は鏡花と一緒にやっているのが楽しい。


「鏡花と居ると、色んな事が楽しくなるな」


「うぇっ!? きゅ、急にどうしたの!?」


「いや、ホントに心からそう思ったんだ。鏡花を好きになって良かったなって」


「うぅ……突然そんな事、恥ずかしいよ……」


 さっき作家の件で嫉妬心を拗らせてしまったからか、それともこの空気感に当てられたのかは、分からない。でも、嘘偽り無く本当にそう思ったから。だから言わずにはいられなかった。


 照れる鏡花を見ていると、やっぱり凄く可愛くて。知っている誰よりも魅力的に思えた女の子で。

 鏡花の部屋で、2人でベッドに腰掛けていたから。お互いに何となくそう言う空気になったのは分かっているから。


 初めてのキスから、それなりに時間が経った。今までした回数なんて、もう数えてすらいない。

 恋心に任せて互いに交わしている内に、いつの間にかただ唇を合わせるだけのキスでは無くなっていて。


 互いの口元から響く水気を含んだ湿っぽい音は、もう聴き慣れたもので。だけど、慣れては来ても、それだけで高ぶる気持ちは日に日に強くなっている。


「っ……」


 こうしている時に鏡花が漏らす嬌声が、普段の鏡花にはない妖艶さが、ゾクゾクとした感覚を与えてくる。

 全身から力の抜けた鏡花が、ベッドに倒れ込むのに引きずられて、俺もまたその後を追う。結果的に押し倒した様な体勢になってしまった。


「あっ! いや、これは、その、そう言うつもりではなくてな!」


 家を出る時にした決心はなんだったんだ。こんな、なし崩し的な感じで、そう言う事をするのは良くないだろうに。

 電気だって点きっぱなしだし、そもそも避妊具が今手元にない。今ここで、鏡花に手を出すわけには行かないだろう。


「その、私は、嫌じゃ、ないの」


「……今、なんて……」


「嫌じゃ、ないんだよ。ただ、ちょっと、まだ怖い気持ちもあって……」


 それはそうだろう。男の初めてと女性の初めては同じではない。最初は痛いと感じる人の方が大半だと聞く。そりゃあ恐怖心もあるだろう。妊娠のリスクだってあるんだから。


「分かってる。無理にするつもりは無いから安心してくれ」


「うん……でも、その。何も無しだと、男の子は辛いんだよね?」


「いや、それは……良いんだよ。気にしなくて」


 そりゃ正直辛い面もあるけど、彼女とこうして居られるだけでも十分な満足感がある。鏡花とは、そう言う所はちゃんとしたい。誠実に、清らかなお付き合いをするんだ。






 嘘ですめっちゃ辛いです。さっきから鏡花が目茶苦茶エッチな感じだし、もう何か色々とヤバイ。

 最近分かって来た事だけど、鏡花はスイッチが入るととんでもなく魅惑的な空気を纏う。正直、かなり魅力的です。


 世の中の清らかなお付き合いをしている男性達、みんなこれ我慢してるの? 無理じゃない?

 鋼の精神力が必要だろこんなの。勝つか負けるかを賭けた、決勝戦最後のPKよりキツイぞ。


 そんな建前と本音の葛藤をどうにか押し隠している真に、鏡花が出した答えが更に真を窮地に追い込む。



「その、胸、触るぐらい、なら……良いよ」




「…………は?」


 今なんとおっしゃいましたか? え、良いの? 鏡花、それは本気で言っているのか? 良いって言ったよな? 冗談とかじゃないよな?


 まことの脳内では、天使の真と悪魔の真が激論を交わしていた。もちろん触るか触らないかが議題ではない。両方一気に行けと訴える悪魔と、片方だけにしておけと訴える天使だ。随分と低俗な天使である。


「その、ど、どうぞ」


 いきなりの事に混乱したままの真をそのままに、鏡花が自分の手で真の右手を掴む。そのままゆっくりと動かし、自分の左胸に真の右手を導く。


「あ、え? き、鏡花!?」


 右手から伝わる柔らかな感触。見送りの際にポーカーフェイスを作りながらも、全神経を組んだ腕の肘に集中させて感じていた、あの感触よりも更に柔らかい感触。

 たった1枚の薄いTシャツごしになるだけで、こんなにも柔らかいのか。これが、鏡花の、胸の感触。

 凄い、と言うバカみたいな感想しか出て来ない。実際、今俺はバカになっているに違いない。きっとIQが3ぐらいまで落ちてる。

 あまりの柔らかさと、鏡花の胸を触っている事実と、鏡花が漏らす吐息に毒されて夢中になって居たから、重要な事に気付くのが遅れる。


「あっ……」


「き、鏡花、まさか……これ……」


「い、今は着けてないから……」


 例えバカになって居ようとも、流石に分かる。今指が触れた膨らんだ部分は、胸の大体中心付近にあって。そこに何があるかと言えば1つしかない。

 鏡花の言葉が全てだ。つまり、今着けていないのだ。ほぼ生に近い状態で揉んでいたと言う事。

 その事実を知った事で、より夢中になった真は、鏡花の胸と唇の感触を堪能し尽くした。




 それ以上先に進む事が無かったのは、真に残された僅かな理性の賜物であった。ほぼ生殺しに近い終わりではあったものの、満足感は十分過ぎるほど得られていたのもある。

 これより先は、その時までの楽しみにしておけば良いのだから。


「じゃ、じゃあ晩御飯の用意するから」


「あ、うん。下に降りようか」


 ギリギリ一線を踏み越える事なく、しかし確実に進んだ関係にお互い気恥かしさを感じながら、何処か残る名残惜しさを感じつつも、2人は本来の目的を果たす為に鏡花の自室を後にするのだった。

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