1章 第39話

 麗らかな午後の日差しが降り注ぐ山中にて、蹲って頭を抱え陰鬱な空気を生み出している女の子が居た。佐々木鏡花ささききょうかである。

 

 な、なんだよアレ!? 私はどうしちゃったの!? 何がしないの? だよ馬鹿じゃないの!?

 何であんな事しちゃったんだよ最近の私は可笑しくなったのか!? あんな姿をまこと君以外の誰かに見られたら、溶鉱炉に身投げするしか無くなるよ。羞恥心がチェストバスターしちゃうよ。


 自分では全然そう思えないけど、真君としてはこんな私がか、可愛いらしい。さっきも喜んでくれたし。

 前よりはだいぶマシにはなってると思うけど、可愛いくはないと思うんだけどな。ただ、幾ら自分で否定しても、当の真君があの通りだから仕方ない。

 それはまあ確かに嬉しいし照れ臭いんだけど、本当に私の何処がそう思わせるのかは未だに分からない。


 だと言うのにあんな、あ、あんな自分からキスを強請る様な真似をしちゃうなんて。恥ずかしくてたまらない。……でも、嫌いじゃないんだよね。むしろ気分が良いと言うか。

 

 やっぱり、欲求不満なんだろうか? これってそう言う気持ちなのかな? これより先に進みたいんだろうか。これより先、つまりはそう言う行為なんだけど。

 前と違って今はどうだろう。想像してみると……多少なりとも興味はある。未知の体験に対する恐怖と知りたいと思う気持ちが半々だ。

 キスだけであんなに気分良くなれるのなら、その先を知りたいと思うのは仕方ないよね。

 わ、私だって人間だからね。性欲ぐらいあっても良いんだよね、生物学上は女なんだから。


 そんな事を悶々と脳内で繰り返していた鏡花の側にまことは居ない。キャンプ場の利用者が共用で使うトイレに行っている。

 順番待ちの人達の邪魔にならない様に、鏡花はトイレから離れた位置で待っていた。

 

 自分の思考に没頭していた鏡花は、油断していたし無防備でもあった。近付いて来る2つの影に、鏡花は気付いて居なかった。




「ね〜君こんなトコでどうしたの? 体調悪いの?」


「良かったら俺達のテントで休んでく?」


 蹲っている鏡花に近付いて来た二人組の男達が、鏡花に声を掛けて来た。無遠慮にもわざわざ肩に手を乗せている。

 流石に体に触れられれば自分の世界に入り込んで居た鏡花でも気付く。


「あ、まこ……えっ、あの? 誰ですか?」


 見知らぬ男性2人が直ぐ側に居た。2人とも如何にも遊んでいそうな見た目の男性達だ。多分大学生かそれぐらいの。


「君がここで蹲ってたからさ、助けが居るかなって」


「俺らに任せといてよ」


 絵に描いた様なチャラい人達だった。色んな所にピアスを付けていて、痛そうだなとかどうでも良い事が気になってしまう。それと、気安く触らないで欲しい。


「あの、えと、別に困ってる訳ではないので、大丈夫です」


「そうなの? ごめんね〜なんか。でもさ〜せっかく知り合えたんだし、ちょっと遊ばない?」


「名前なんて言うの?」


 まさかと思ったけど、この2人ナンパしてるの? 私を? いきなり過ぎて対応に困る。何よりナンパなんて初めてされた。正しい対処法なんて分からない。

 ただ一つだけ分かる事があるとすれば、見知らぬ男性に下心を向けながら、こうして触れられるのがこれ程までに不快だと言う事だ。


「あ、あの! 本当に大丈夫なんで、離して下さい」


「ま~ま~そう言わずにさ。一緒に遊ぼうよ」


「損はさせないよ~? 良い思い出作ろうよ」


 何だよこの人達、全然引き下がらないんだけど。そんなに私を持ち帰りたいのだろうか。

 もっと他に居るだろうに、何でわざわざ私なんだよ。物好きな人達だ。



 今までナンパなどされた事が無かった鏡花には分からない事だが、モブオーラが皆無の今の鏡花はそこそこ良いラインに居るのだ。この様なナンパ目的の男達にとって。

 見るからにガードが弛そうで、男性経験も少なそうな手頃な女。声を掛けても露骨に嫌そうな顔を見せず、押せば行けそうな隙のある大人しそうな女。

 これ以上ないほどに良い鴨が居たのだから、当然彼らは喰い付く。ちょっとアルコールでも飲ませてしまえば、簡単にヤれるだろうと判断したのだ。


「ちょっと! は、離して!」


「そう言うなって、悪い様にはしないからさ」


「そうだよ俺達と楽しもうぜ~」


 そんな事を言いながら、鏡花の肩に触れていた腕が背中をなぞる様に腰の方へ向かって行く。


「っ!?」


 鏡花はあまりの不快感に悲鳴すら上げる事が出来なかった。真に触れられる感覚とは真逆を行く気持ち悪さが鏡花の全身を這い回る。

 思わず鏡花は助けを求めた。声にならない悲鳴の中には、真を呼ぶ心の叫びが含まれていた。




「おい」


「あ?」


 鏡花が今一番望んでいた声の持ち主が、すぐ後まで来ていた。ナンパ目的な男達とは違い、ちゃんと本当の意味で鏡花を求めている、鏡花にとって世界で一番物好きな男の子が。


「この子には俺が居る。他を当たるんだな」


 あっという間に真はナンパ男から鏡花を奪い取る。それまでの不快感が嘘の様に消え去り、いつも鏡花に安心をくれる温もりに包まれる。

 同じ男性の手であっても、これほど違うものなのだと鏡花は関心した。触れられる相手の違いがこれ程かと。

 そして同時に、もう二度とあんな男には触れられたくないと、心から思った。


「ちっ、彼氏持ちかよ」


「行こうぜ」


 如何にもナンパ者に相応しい負け惜しみを零しながら、すごすごと離れて行く。明らかに自分達の負けなのに、あれほど強がれる彼らが鏡花には理解出来なかった。

 恐らく一生理解出来ないだろうし、理解したいとも思わない。そんな事より、トイレから帰って来た彼の事の方がよほど大切である。


「大丈夫か鏡花?」


「えっと、大丈夫。ありがとう……」


 鏡花を救い出した頼れる腕に腰を抱かれながら、彼の顔を見つめる。


「どうかした?」


「……彼氏だったの?」


「あ、あれは! その、つい言ってしまっただけと言うか、言葉の綾と言うか」


「じゃあ、違うの?」


「いや、それは! だ、大体鏡花も鏡花だぞ! だから言っただろ。こう言う事もあるって!」


 誤魔化されてしまったが、彼の言い分はご尤もである。少し前に言われていた、防犯意識の欠如が今日まさに露骨に出てしまった。

 お陰様で大変不快な思いをする事になったのだから、その点については反論のしようがない。


 ただ、その結果テンプレみたいな恋愛物の定番イベントを、体験出来たとも言える。

 如何にもベタベタな展開なのに、それがこんにな嬉しいんだから、素直に喜んでも良いだろう。


「またこんな事があったら俺だって嫌だ。……鏡花聞いてるか?」


「聞いてるよ。ありがとうね」


 ひと悶着はあったけれど、これはこれで良かったなと鏡花は晴れやかな笑顔で返した。


 その笑顔が大好きな彼は、もう何も言う気にはなれなかった。ああ、この笑顔なんだよな見たい表情は。そんな風に考えながら、鏡花の浮かべる笑顔を眺めるのだった。

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